歴史は本来ならば このように繰り返すべきではないはず
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文/中国の大法弟子 簡懿

 【明慧日本2020年7月21日】史実はいつも人々を驚かし、そして、私たちに多くの教訓をもたらします。もしも、時間が巻き戻せれば、善良な人はこのような過ちを繰り返す事を選択しないはずだと思います。

 北周の武帝は道教も佛教も共に滅ぼし、死後にその報いをもたらす

 佛教の書籍『法苑珠林』(ほうおんじゅりん)の中には、このような物語が記載されています。隋朝の開皇(かいこう)11年、太府丞の趙文昌は死んだ後に、胸のあたりがまだ暖かかったため、家族は棺桶に入れませんでした。すると数日後に蘇って、家族に地獄での見聞を語りました。趙文昌は閻羅王(えんらおう)の所へ行って、自分が生きた時に佛法を学び、『金剛般若経』を暗記していたので、閻羅王の尊敬を得て、この世に戻って来ました。

 趙文昌はまた、「地獄で二人を見ました。一人は秦の時の将軍・白起でした。彼は大きな糞溜の中に拘束されて、頭だけが糞溜の外で浮かんでおり、大変悲惨な状況でした。白起は40万人を殺害したため、地獄で罪を償っていました。もう一人は佛教を滅ぼすために、急病で死んだ北周の武帝・宇文邕でした。彼は生きた時の神武としての覇気がなくなり、小さな部屋に拘束されて、三つの重い鎖に繋がれていた」と言いました。趙文昌は昔、武帝の近衛兵でしたから、昔の主君だと分かっていました。武帝は趙文昌に、隋文帝・楊堅(ようけん)に話を伝えるように頼みました。その伝言は、「私の一生は多くの間違いを犯したが、多くのことについては理由があり、閻羅王に弁解できる。しかし、佛教を滅ぼしたことは罪が非常に重く、許されないことである。そこで隋文帝にお願いしたいのは、私のため多くの善事を行なってもらい、また法事を行なってもらい、早くこの私をこの地獄から脱出させてほしい」ということでした。

 武帝・宇文邕は生きていた時、地獄に落ちることは少しも怖くない、と話したことがあります。武帝は佛教を禁止し、道教を滅ぼしました。574年武帝は自ら北斉(ほくせい:550年 - 577年)を征伐した後、4万軒のお寺の佛像を壊して経文を焼き払い、財産をすべて没収し、土地を王侯貴族の邸宅に変え、さらに300万人もの僧と尼を還俗させ、そしてさらに、耕田に対しては全てに税金をかけ、納めさせました。しかし翌年、35歳の若い武帝は急に病にかかり、死にました。

 武帝・宇文邕は佛教を滅ぼすとすぐに、北周という国に滅ぼされて、宇文皇族は皆殺しにされました。これは悪には悪の報いがあったのではないでしょうか。武帝・宇文邕は地獄の苦しみから早く解脱できるようにと求めていることは、『冥報記』、『古今図書集成』、『太平広記』などの古書に記載されています。隋文帝・楊堅は確かに武帝・宇文邕を苦界から救うため、法事を行ないました。このことも史書の『隋書』に記載されています。

 佛教は中土(今の中国全土の範囲を指す)で四回の法難があり、それぞれは北魏の太武帝・拓跋燾(たくばつとう)、北周の武帝・宇文邕、唐の武宗・李炎、後周の世宗・柴栄(さいえい)でした。この四人が皇帝になった当時、佛像を壊したり、お寺を壊したり、佛経の経文を燃やしたり、僧や尼を殺したり、あるいは僧や尼を還俗させたりしました。その結果、天が怒り、人が恨み、民心を失い、いくら説き聞かせても聞かず、最後にはとうとうこのような大罪を犯し、四人の皇帝のすべてが早世しました。拓跋燾は宦官に殺されました。宇文邕は身体全身が爛れて、急病で死亡しました。李炎は中毒で死亡しました。柴栄は急病で亡くなりました。

 佛教はインドで消滅する過程で、法難が続く

 佛教は佛教の発祥地のインドで、王権や外道からの弾圧を数回に渡り受けました。

 佛教はインドのマウリヤ朝の第三代の王・アショーカ王の時代に最高潮になりました。アショーカ王は一生の間、8万4千の佛塔を建立して供養したことにより、多くの外道(げどう:仏教徒の立場から見て、仏教以外の教え。異端)の者に嫉妬されました。アショーカ王は死んだ後、将軍プシャミトラはブリハドラタ王を殺害して、王位を得て、バラモン教を国教として佛教を滅ぼし、800カ所のお寺を壊し、出家した佛教徒の弟子達を次々と集団で殺害しました。また、出家してない佛教徒を拘束したり、鞭で打ったりしました。

 『大唐西域記』の巻第三によると、クシャーナ朝のカニシカ王は死んだ後のグプタ朝になってからは、バラモン教は徐々にヒンドゥー教に変わりました。当時の北インドのミヒラクラ王は佛教を敵視して、大規模に佛教を弾圧しました。

 ハルシャ・ヴァルダナの時期に、東インドのシャシャンカ王は西に侵略して、佛法を滅ぼし、佛教徒を殺害していました。シャシャンカ王はまたブッダガヤにある菩提樹(ぼだいじゅ:釈迦牟尼佛が円満成就した所)を伐採して焼却し、釈迦牟尼佛が涅槃(ねはん)した寺院を焼き払い滅ぼしました。11世記、アフガニスタンのムハンマド・バフティヤール・ハルジー王がインドを侵略すると、イスラーム教がインドに侵入して来て、インドの佛教に深刻な打撃を与えました。佛教の信仰をやめてイスラーム教を信仰しなければ、殺害されることが多かったのです。そのため、およそ12世紀に入ると、密教は山奥のネパールやチベットに逃げ込み、そこで広まりました。

 しかし、佛教はインドで約千年ほど経って、徐々に消えていきました。今インドで佛教を信仰している人はわずか1%にも足りません。今のインドでは動物を信仰する人もいます。インドの北のある町ではネズミ神というお寺があり、その名称はカルニマタ寺院です。毎日多くの信者がこのお寺にお参りし、拝んでいます。ネズミが人を救い済度できますか?

 佛教の法難によって、歴史の中で大疫病がもたらされる

 佛は人間の世に生まれて降りて来て、佛法を伝えて人を救い済度しました。衆生は佛法を誹謗中傷し、弾圧し、不敬な行ないをしたり、また曲解したりして、佛教の内部の要因にしても、外部の要因にしても、すべての衆生が佛法に対して、罪を犯したことになります。このような人の人数が多ければすべての人の共業になり、その一帯は貧しくなっていき、天災や疫病などの苦難が続々と来るようになります。

 19世記から今まで、疫病神はインドから離れたことがありません。1817年、インドのガンジスデルタから起源した霍乱(かくらん:激しい下痢や嘔吐を伴う病気)は「ラクダの旅」と言われて全世界に流行し、その恐怖はヨーロッパの中世期のペストを除けば一番酷いもので、19世紀中ずっと存在し続け、インドだけでも1500万人~3800万人もの死亡者数を引き起こしました。

 1898年、インドムンバイの穀倉地帯の従業員にペストの症が現れ、すぐにペストの疫病が爆発的に蔓延し、その年だけでも50万人もの人が死亡し、その後の10年間に、ペストによって死亡した人数は1000万人以上にのぼりました。その後の30年間に、また1250万人のインド人がペストにかかって死亡しました。1994年にインドでは再びペストの疫病が現れ、そのため、30万~50万人のスラト市民はスラトからインドの各地に逃げました。また、1926年~1930年の間、インドで天然痘が流行して、50万人もの人が死亡しました。

 1918年のスペイン風邪の時、あるインド人はその時のことを思い出しながら、「ガンジス川には死体が至る所に溢れ、私の妻の死体もその中にありました。火葬用の木材が足りず、それは私の一生の最も忘れられない悲しい時期でした。私の家はその瞬間に全てが消えてしまいました」と話しました。米国の人口統計学の専門家・キングスリー・デイビス氏は、スペイン風邪によってインドで死亡した人数は2000万人にものぼり、インドの人口の5%を占め、死亡率が10%にもなると推算しました。

 現在、エイズの流行については、インドは世界第三位になっており、患者数も約200万人にのぼります。また、インドでは毎年、約1~2万人がマラリアによって死亡しています。それと同時にデング熱、カニコラ熱、傷寒(しょうかん)、脳炎などの病気も、インドで頻繫に爆発的に蔓延しています。ごく最近では武漢肺炎がインドに蔓延し、インドの町中で武漢肺炎の患者が突然倒れた映像がネットで多く掲載されており、武漢肺炎はインドで深刻な問題になっています。

 インドは人類の流行性の疫病の大本営になり、近代から今日まで約7000万人が疫病によって死亡しました。人口密度が高くて貧しく、生態環境が汚くて悪いという疫病が流行しやすい外的要素以外にも、原始佛教への迫害によって生成した共同の大きな業力が、次々と疫病が引き起こされる深い原因の一つとなっています。

 疫病にターゲットにされた古代ローマ

 古代ローマはキリスト教を約300年にわたって迫害していました。それによって疫病は3回にわたり古代ローマに降りて拡散し、約6000万人もの人が死亡しました。313年にミラノ勅令を発して、キリスト教を公認して、キリスト教徒に対する弾圧が終わりましたが、キリスト教への迫害に参与したローマ人の業力は、この公認によって全てが消えたわけではありません。541年から591年までのユスティニアヌスのペストによって、3000万人~5000万人が死亡しました。

 古代ローマがキリスト教の惨烈な弾圧は大変酷いもので、同様に、疫病の凄まじさは人々を驚愕させました。

 善に基づくキリスト教徒は放火犯として、権力者らに邪教徒と中傷され、見せしめのために、コロッセオに投げ捨てられてライオンの餌食にされたり、松明(たいまつ)の下で焼かれました。キリスト教の信仰をやめない者は拘禁されたり、酷く虐められたりして、異教徒、狂人と見なされていました。そして為政者はそれらの密告者に褒賞を与えました。キリスト教徒が野獣に餌食にされた痛ましい光景を見物することが、ローマ人の執政者らが精神的な刺激を求める一種のカーニバル(お祭りさわぎを伴う催し)化してしまいました。神の使者が逃げ惑う中で、死を目の前にして祈ることしか出来ませんでした。

 しかし、それらの悪の報いも、凄まじい勢いでやって来ました。歴史学者・ジョン氏は、「ある時期を境に、人々はお互いに会話している最中に、家の中で、あるいは路上で体が揺れ始め、バタバタと倒れました。またある人は道具を持って工芸品を作りながら、そのまま倒れて死んでいきました。そして一部の人の内臓が外に流れ出ました。一部の人は鼠径腺(そけいせん:鼠蹊リンパ節のこと)にかかって膿汁が溢れ出たり、また高熱が出て2、3日以内に死んでいきました。一部の疫病感染者は数日間は生きられますが、もう一部の患者は発病して、すぐに死んでしまいました。すべての王国、すべての国土、すべての地域、及びすべての強大な都市、その中の住民は一人として漏れることなく疫病神にいじられていました」と話しました。

 キリスト教を迫害したローマ皇帝も悪の報いを受けました。暴君ネロは暴動の中で自殺して、亡くなりました。デキウスは戦死しました。クラウディウス・ゴティクスは疫病にかかり、死亡しました。ガレリウスは全身の細胞に大量のウジ(蛆)がわき、大変な苦痛の中で亡くなりました。

 ジョン氏は、当時の疫病を自ら経験しました。彼は『聖徒伝』の中で、「我々が自分の罪よって受けた巨大な災難について、私たちの子孫は必ず恐怖と戦慄(わなな)きを感じるであろう。そして受けた罰は、我々の子孫がもっと賢明になることができれば、神の怒りを鎮め、未来の苦難から救われることができるであろう」と書き残しました。

 しかし、人類はジョン氏の警告を聞き取り、受け入れていません。

 中共産党が法輪功を弾圧し、すでに2回の大きな疫病をもたらす

 「無神論」と「虚、悪、闘争」を宣伝している中国共産党(以下、中共)は、人類が未来へ行く道を切断する災難になりました。1999年、中共は宇宙大法である「法輪大法」を弾圧し、すべての中国人を巻き込みました。近年、これらの悪の報いを受けた人はとても多いのです。

 明慧ネットに掲載された2011年4月19日の記事によると、河北省賛皇県(さんこう-けん)の規律検査委員会常務委員・滑海英は法輪功を迫害することを専任しており、法輪功学習者・丁剛子を酷く迫害して死に追いやりました。そのために2002年2月10日、滑海英の18歳の息子の滑恒は、交通事故で死にました。滑恒の魂は彼のおばさんの身体に付き、滑海英に、「お父さん、今後は法輪功のことに干渉しないでください。法輪大法は正法です。分かりましたか」と言われた。滑海英は何かを悟り、承諾しました。河北省の高官はこのことの真偽について、調査しました。滑海英は事実を漏れなく報告し、最後にはこの仕事を辞めると申し出ました。

 その文章には、また山東省沂水県(ぎすい-けん)高橋鎮の社会治安综合治理委员会・于長亮(27歳)が法輪功への弾圧に参与して、2006年清明祭の前に交通事故で死亡し、于長亮の魂は高橋鎮の人民武装部の部長・張永新の奥さん(潘氏)の身体に取り付き、羅書記、竇鎮長、また社会治安综合治理委员会主任・王少波を呼んで来て、「お前たちは、近年良いことを少しもやらず、良い人達(法輪功学習者)をひどい目に遭わせておる。お前達がここでもし悔い改めなければ、すべてが終わりだ。私も終わりだ」と警告しました。そして当日、多くの中共の末端の幹部の者らはこれらのことをじっと見ていました。

 明慧ネットには、悪の報いを受けたケースが非常に数多く掲載されています。中共が法輪功を迫害するために、すべての人々にこの弾圧に対しての態度を示すように要求しており、すべての中国人を扇動して法輪功学習者達を敵視するように誘導しました。誰かが法輪功学習者を迫害することに参与すれば、その者の職位を昇進させたり、金儲けの機会を与えました。中共は中国人を永遠に二度と戻れない深淵へと連れて行きました。

 歴史の教訓に基づいて、2003年のSARSと2019年の武漢肺炎について、高い次元の理で原因を考えれば、すべて中共が法輪功を弾圧したためにもたらされた災難と気づくでしょう。しかし、この二つの疫病の中で、中共は引き続き真っ赤な噓をつき続け、引き続き自画自賛しています。その目的は共産党の権力と虚言を守って、中国人を次の大淘汰の中で、もろともに淘汰させるためなのです。

 歴史は本来ならば、このように繰り返すべきではないはずです。中共の邪悪さ、狡猾さについてはっきりと認識し、また大法の真相が分かったならば、次の災難をきっと乗り越えられます。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/17/407779.html)
 
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