文/広東省の大法弟子
【明慧日本2020年7月25日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
過去の1年間は、弟子が修煉の道で反省し肝に銘じるに値する1年であり、弟子は迫害に対する観念を変え、慈悲深く衆生を救い済度する立場に立ち、大法の威徳を現し、迫害を解体した1年であり、また成熟に向かった1年でした。
昨年(訳注:2018年)私は夫と協力して法輪大法の資料を配り、ネットワークカメラに写真を撮られ、当時すでに悟りがありましたが、正念が強ければ何も起こらないと勘違いしていたため、いつも資料を避難させませんでした。その後、警察が訪ねて来て不当に連行し、パソコン、プリンター、レコーダー、大法書籍および大量の資料を奪い「資料を作り広めた」という理由で、私と夫に対して激しく迫害を強めようと企みました。この1年間、私は同修たちと全体で協力し、最終的にこの巨難を解体しました。その間、私にはいくつか感じるところがあり、またいくつかの経験と教訓を得て、ここで師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。
一、魔難の中で心性を修める
留置場での初期、去来する良いことと悪いこと、不足、修煉の道での進退などが、走馬灯のように私の頭の中に現れ、私は多くの不足を探し、過去には修煉に対して厳粛さが足りず、安逸心があるのを長期にわたって重視せず、潔癖症、さらに名・利・情および自分を実証しようとする執着など、たとえ心をえぐられ骨に突き刺さるように感じたとしてもこれらの執着を取り除かなければならないと決心しました。他の人が示す私の各種の執着心と修煉中の漏れに対して、私は弁護士に「おっしゃることはみな正しいです」と言いました。ただこの一言だけで、二度と弁解せず、その後私は自分が向上したと感じました。
今(2019年11月)思い返してみると「耳障り」な問題は実際すべて思い出せないと私が思っていると同修が言っていることについて、その時私は「いかなる形式の魔難でも、病業の中に身を置いている同修たちを含めて、他の人が示す不足を重視しなければならず、そういった不足は実際多くの場合すべて正しく、ただ人の観念と情が抵触するだけで、観念を変えることができるかどうか、行なうことができるかどうか、この迷いを破れるかどうかを見ているのだ」と悟りました。
留置場の雑然とした狭い倉庫は、陰気でじめじめ湿っているために病人を作り、毎日倉庫の中には二十数人が歩いており、互いに何回ぶつかったかもわからず、この劣悪な環境で、安逸心を断ち切ろうと私は決心しました。
眠ってしまい、毎日の五式の功法を保証できずに怠け、毎朝たった3分間だけ行なうという以前の私を改め、マントウ二つを食べて水を飲み、時間を無駄にせず動功を煉り、正午は昼寝をせず、力を集中して正念を発し、毎日坐禅を続けました。耳もとに大法の音楽はありませんが、法のエネルギーが充満していました。倉庫の中の常人は私が「病人」であることを信じないばかりでなく「私の顔色がよく、色白でうっすらと赤みがさしており、あの劣悪な環境で傷つけられ憔悴し病気で元気を失った表情をしている他の人とはまったく違う」と驚きました。
同時に師父は私がいくつかの法を思い出すように加持してくださり『洪吟』から『洪吟三』まで、『轉法輪』や各地での説法などの中のいくつかの内容を思い出し、毎日時間を決めて学法しました。私は「修煉者にとって、まさに法に則り心を勇猛にして修煉に励んで、はじめて、生命に貴重な意義が生まれる」ことを悟りました。
人には善悪の両面があり、留置場の劣悪な生活環境はいつも人間性の「私」の一面を打ち、人為的に多くのトラブルを作り出し「留置場にいることによって」みな心が狭くなり、さらには心が健康でなくなり、異常な状態になります。留置場でお湯を飲むには、お湯が供給される時間に制限があるので、速やかにお湯を手に入れる必要があり、ベッドを広げるためのインスタントラーメンのダンボールを破り、湿り気を隔てる人造皮革は誰にとっても利益であり、たった50センチの場所で眠り、いつも寝るためにけんかが起きます。私は時には寝ながら隣のベッドに当たり、隣の人は故意に指の関節で私の腰を指し、隣の人が良く眠れるように、私はできるだけ体を横にし、気持ちを穏やかに保ちました。
ある時留置場で横になり「長亭にて臥し寝て目を微に開け 山の脊梁を枕にし、峰を脚の下に敷く 龍が飛び、鳳凰翼を広げ、仙娥が舞ひ 他日位に帰れば長風に駕す」[1]という大法が私の頭に浮かびました。大法が頭に浮かぶにつれて心境はさらに開豁になりました。
中国共産党のデマのために、下品な言葉を使う受刑者が私の信仰を非難し始めました。最も汚いところで、最も神聖な大法がなんと誹謗中傷され、心に屈辱を感じましたが、同時にどのようにして受刑者たちを救い済度するかを考える時間がさらに多くなりました。留置場では多くの人がある一連のことを認識しており、認識していることとは「老獪さ」であり、粗野な人以外は社長や経営者などもおり、私は理知的に法を実証しなければならず、十分な善の念を表し、他の人が気に食わないという私の観念を取り除いて、はじめて受刑者たちを救うことができました。師父は「まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」[2]と説かれました。
自分をしっかり修めると同時に、はじめて順を追って次第に進みながら、異なる段階において出会うことになる人に対して理知的に真相を伝え、三退を勧めることができます。受刑者の中の聡明そうな1人の社長が私に「故意にあなたを困らせ非難する人を見たり、聞いたりして、理不尽にあなたに対応しても、あなたはやはり同じように彼女たちに良くし、さらに自分の不足を調べています。そうでなければ私はとっくに行動に出ています。あなたは本当に道徳と自制心が強く、本当に真・善・忍を修めており、敬服します」と言いました。
二、正念正行し迫害を解体する
留置場に入れられた初めの数日は、心の中では真相を言い出せずに悲しみ、大法弟子が何をすべきかは知っていましたが、マイナス思考もまた私にショックを与えました。はじめの数日間、慈悲で偉大なる師父はずっと私の正念を何度も加持してくださり、かつてネット封鎖を突破して見た神韻公演の演目や神韻交響楽団が目の前に浮かび、師父に感謝し、中国共産党の立錐の地であっても、世の中の最も殊勝な法を感じ取ることができ、私のために神の力を送ってくださり、さまざまな方法を利用して私のマイナス思考を打ち破ってくださった師父に感謝申し上げます。
ある夜、私は心の中から悲しみが湧いて来て、とても抑圧され、涙があふれ出ざるを得ませんでした。この時、隣の受刑者が突然善意を以って私に「姉さん、早く寝た方がいいよ」とアドバイスしてくれました。すぐにさまざまな悲しみの感情が打ち破られました。またある休憩時間、私は名、利、情に影響され、心の中でこの上ない悲しみを感じ、努力して着実に修め、美しく平和な印象を人々の目の前でずっと現すために手を抜くことはできませんでした。体を起こした後、暗い天井を見ていると「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」[3]という師父の法が突然目の前に現れました。急に、心の中の曇りが雲散霧消しました。魔難の中で、師父がそばにいらっしゃることを信じれば、師父は私たちに正念を与えてくださいます。
留置場に不当に連行された時、私は同修と「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫び、留置場で買い物券を受け取る時、写真を撮る必要があり、私は髪を整え、写真を撮っている警官に微笑みながら「きちんと写真を撮ってください、私は『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』をここにいるみなさんにもたらします」と言いました。留置場では一年中、苦難が多く劣悪な環境に直面する中で、この写真はいつも「私は、衆生のために来た!」という正念を保つことを私に思い出させるものでした。
正邪の大戦の中で、大法弟子は団結し、発揮した正念はすさまじい勢いでした。過去の1年間で、多くの同修がみな私と同修を救いに来てくれたことを私は知りました。私の不足が見えたので、救いに来た多くの同修が以前の私に対する見方を捨て、病業の反応を耐え忍び、恐れる心を取り除くなど、寛容さを抱き無私で何ものも恐れず、救い出す中で自分の道を歩み、みな多少なりとも収穫と向上がありました。
私と同修を救い出す中で、家族と同修はすぐに弁護士を頼み、法律上の手続きを踏みました。表面上、弁護士を通じて警官がぬれぎぬを着せた過程での漏れを見つけ出し、法曹機関に対して一定の圧力を加え、弁護士は警察と接触し裁判が始まる段階で起こるプラスの効果は必ず確かなものでなければならず、不当に法廷尋問をした時に法律的な方面から出発し、全面的に大法の真相を伝えました。当然、裁判の中で大法弟子は主役になり、全面的に法輪功の真相を伝え、各次元の空間に対して起こる作用はさらに深く効き目が長いものでした。
私に関心を寄せた家族の手紙と同修の励ましの言葉を弁護士が持ってきて、中国共産党の留置場の中で温かみを感じ、正念を保持し、裁判が始まった時に正念を思うように発揮し、大法弟子の立派な風采を現しました。師父は「私は善の念を抱いて、全ての衆生を救うという願いをもってやってきました」[4]と説かれました。このような人の目に見える真実の迫害に直面し、私は観念を変えなければならず「迫害されている」という概念がなく、ただ衆生を救い済度するという観念があるだけでした。
「もうすぐ裁判が始まりますが、気持ちはどうですか?」と留置場の倉庫番の常人が私に尋ねました。私は「彼らが私に対して裁判を開くのではなく、私が彼らに対して裁判をしにに行くのです」と言いました。不当な裁判の当日、朝に第一式の功法を煉った時「体と心が一つになり 動と静は機に随い 天を頂き独り尊く 千手佛が立つ」[5]という師父の四つの口訣によって私は神の状態をもって直面すべきだと悟りました。私と夫は法廷に入る時「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と高らかに叫びました。
「裁判官の皆さん、検察官の皆さん、法廷尋問に参加される皆さん、みなさんに縁があり、法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 世界は真・善・忍を必要としている! 私たちの世界はますます良くなると、ぜひ覚えてください」。私はそう言いながら座席に向かい、一歩一歩に慈悲と威厳を込めました。裁判官は私を阻止せず、さらに「当事者の刑具を除去するように」という弁護士の要求にすぐに同意しました。
裁判官が「なぜ法輪功を修煉するのですか」と私に尋ね、私は「世論が言っているような虚しい思想で頼るものがないのではなく、法輪功の真・善・忍の法理は確かに道徳を向上させることができ、心から本当の良い人にならなければならず、よい人とは私たちの社会に有益であり・・・」と言いました。裁判官は数秒間まじめに私を見ていました。
弁護士はいわゆる「証拠」を巧妙に入手し、中国共産党の法の執行手順の漏れを見つけ出し、私と同修のためにきわめて正確で力のある弁護を行ないました。私は知恵をもって人の良知と善念を呼び覚まし、自分が不当に連行され留置場内で起きたことを説明し、法廷にいる聴衆に影響を与え、密告し誹謗中傷した者、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)、警察署の警官の乱暴な行為に対する義憤が空気中に満ち、雰囲気が重苦しくなりました。警察が座る傍聴席にいる2人の目が赤くなり、目をこするのを家族が見ました。
判決が下される時私は順番に発言し「私は今日この長い法廷尋問で中華民族の悲哀を感じ、こんなにも多くの警察が出動しており、ただ『天から賜る幸福』のためにこの真実の話をします。私は今日ここに立ち自分のために拍手を送らなければならず、なぜなら私は良好な状態を保ってここで話ができるからで、私の家族はかつて監獄法によってファシスト式の残酷な睡眠剥奪や、肉体的迫害を受け、また強制的に洗脳され信仰を放棄するよう迫られました。そしてこれらすべてによって法廷での判決で罪を着せられました。法輪功学習者たちが刑務所内で受けている残酷な迫害は隠されています。私は心の中に強大な佛法を持っており、法輪大法が永遠に不敗の地に立っていることを信じています」と述べました。銃口を高く上げることについて私は裁判官たちに警告し、さらに法廷で法輪功の真相を伝える手紙を渡し「手紙を必ず読んでください」と裁判官に伝えました。
この手紙は留置場でも何回も留置場の警官、所長、駐監検察室(訳注:刑務所や留置場に駐在する検察官用の事務所)などの関係部門の人に手渡し、さらに控訴後に高等裁判所の裁判官に渡しました。
法廷を離れる時、私は被告席を手で指し示し「江沢民はいずれ必ずこの被告席に座り、全世界の人々によって裁かれるでしょう! みなさんが江沢民を起訴するのです! 江沢民の罪をうやむやにしてはならず、党員、共青団、少年先鋒隊を脱退すれば、平安が保たれます」と言いました。続いて私は「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と繰り返し大声で叫びました。そして法廷を離れました。
法廷から滞在室に行く間、私はさらに大声で司法警察の警官たちに真相を伝え「共産党はこの十数年中華民族の人としての屋台骨を曲げ、わずかな利益のために人に真実の話をさせようとせず、現在ただ法輪功(の弟子)だけが真実の話をしようとしており、天安門焼身自殺は嘘を作っており・・・自分に関係ないと思ってはならず、みなさんは昼間は仕事で制服を身に着けていますが、夜は家に帰って人の親となり、家庭があるのですから、自分のために考えなければなりません」と言いました。司法警察の警官たちはみな私に対してとても礼儀正しく接しました。
不当な法廷尋問記録を読み合わせる時、法廷書記は弁護人および私たちにとって有利な話を故意に書かず、そうであれば開廷しても法定書記たちに隙を与えないと私は思い、私は修正をして多くの内容を補充し、最終的に障碍を突き破り「真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」が法定書記によって書かれました。
車に乗って法廷の外に出た時、空はすでに暗く、門のところにいる開廷に参加した多くの法廷警察の警官が、私たちが乗った車が出てくるのを見て、突然一斉に大きく笑い、笑い声が澄みきっていました。私は護送車の前方の席に法廷警察の警官と一緒に座っており、統率を取っていた警官も影響を受け、車の窓を開け、外に向かって大声で笑い、おおよそ十数人の法廷警察の警官に笑いかけ「お前らも乗るか? 乗りますか」と聞きました。路上で、私は心でとてもはっきりわかっていると感じ、第三功法の「心に慈しみを持って意は強く 天と地を突き通す」[5]という口訣の内涵を少し悟り、自分は常人ではないのだとわかり、私の生命は法を正すために来たのだとわかりました。正々堂々と法を実証すれば、この生命に心残りはありません! 私は法廷警察の警官に「みなさんに今日は功徳があり、私のために車を運転し私は法廷で法輪功の真相を伝えることができました」と伝えました。夫は法廷警察の警官に「空は明けていくはずです!」と言いました。
統率を取っていた法廷警察の警官は別れる時私を指さし「あなたは勇敢だ!」と心の底から言いました。留置場の警官は法廷尋問の状況を私から聞き「无私无畏(無私で何ものも恐れない)」という四文字でまとめました。
本当に心の底から大切にし人々を救い済度し、人は自分が得たものを感じ取ることができます。私たちは法廷で態度を示し、裁判官や警官と接触する中で、裁判官や警官も観察し、私たちの断固とした態度と行為により同時にまた中国共産党により注がれた裁判官や警官の毒素がなくなりました。そして、留置場で、接触した所長と多くの警官もまた私を尊重し大切にし、冬に私に与えられた綿の布団はみな新しいものであり、生活において私に優先的に手配しました。
留置場に戻り、私は引き続き三つのことをしっかりと行ないました。
不当な判決が出される日、裁判所に行く路上で、私には「数年の判決が言い渡されるだろう」という考えが浮かび始め、弁護士は以前「中国共産党内部の規定で3年から7年です」と言い、さらに「4年の判決が言い渡される可能性があります」と言いました。私はすぐに師父にご加持を求め、思想業を排除し「師を信じ法を信じているか?」と自問しました。懲役4年の判決を言い渡され刑務所に送られるかもしれないという虚像を一掃し、裁判所の邪悪を一掃し、まるで師父の慈悲深いお顔をずっと見ているかのように、心はだんだんと静まってきました。まもなく裁判所に着き、雑念はまったくなく、ただ救い済度するという基点に立っていました。
私は身なりをしっかり整え、法廷に入りました。不当に開廷された時と同様に、私は歩きながら「真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい! 江沢民は2015年にすでに21万人の法輪功修煉者の実名により最高検察庁に告発されており、国際的にも多くの国が、人道に反する罪や拷問罪、ジェノサイドなどにより江沢民を起訴しており、現代社会の腐敗や売春・麻薬・賭博がどんなに氾濫しようとも、私たちはよい人になり、ただ『天から賜る幸福』を話しただけで不当な判決を受けるのです。暗いところで不道徳な行ないをしても、電光の如く神にははっきりと見えてしまい、因果応報に遭うであろうし、法輪功修煉者に対して判決を下すことは殺害の罪業を背負うことになります。裁判官、私はあなたがよくあることを願い、あなたが巻き添えを食らい、あなたの未来がなくなってしまうことを見たくはありません」と言いました。
私はまた傍聴席に座っている警官に対して真相を伝え、夫は私に引き続き真相を伝えると、裁判官が夫を遮り「判決を言い渡します」と言いました。そして裁判官が判決文を読み上げ、私は「山河越えて 何度もあなたのために来た あなたを愛してる 貴い中国人よ 心からの声聞いて・・・」と『貴方の為に来た』を高らかに歌いました。ここまで歌った時突然心が静かになり、続いて私と夫は同時に「法輪大法好! 法輪大法好!(法輪大法は素晴らしい)」と念じました。裁判官はしばらく動かずに私たちを凝視し、その瞬間私たちは「法輪大法好!(法輪大法は素晴らしい!)」の威力を目にし、裁判官の背後の良くない思想要素を一掃しました。私に対する検察官の告発を受け入れないことを法廷が発表し、私は不当に懲役1年の実刑判決を言い渡されました。数カ月後私は留置場から正々堂々と家に帰りました。
不当に数年間の実刑判決を言い渡された夫に対して、裁判の結果が出た後、裁判官はすぐには立ち去らず、横の出入り口の外に立って、苦しそうな表情で夫を見ており、それは裁判官のわかっている一面によるありさまであるとは言え、一つの生命が修煉者に罪を下し、何と残念な結果になることでしょうか? 裁判官は黙って凝視しており、まるで「すでにできる限り刑を軽くした」と言っているかのようで、同修である家族は裁判官に対して手を振り、裁判官は少しすっきりした感じでうなずいて去っていきました。
この裁判官の考えははっきりしており、敏捷性があり、開廷時この裁判官は優位に立ち、傲慢で、さらに弁護士を一度法廷の外に追い払いました。大法弟子の善はかたい氷のような嘘と敵意を溶かすことができ、理解した人は変わるのです。
三、大法を実証し衆生を救う
留置場に入って2日目、私に高血圧の虚像が現れ、血圧計は200以上を示し、私は薬を拒否し、釈放を要求しました。
私に高血圧の虚像が現れている間、留置場の医者はいつも「高血圧は常に中風や血管破裂や、死亡する可能性がある」と言い、私の心は自然体で、病気の反応はなく、病気であるという概念もなく、私は大法の超常性を堅く信じており、こんなにも長年修煉しており、病気になることはあり得ません! 毎日煉功し、一年中太陽の当たらない部屋の中にいても太陽が当たっているかのように私の顔は赤く、心が前向きであるのを同じ監房にいる人と警官が見て、とても不思議に思いました。
その後、みんな私の体を心配しなくなりました。かえって若者たちはいつも見舞ってくれました。ある人は私が仙人だと言い、なぜならその人の夫は血圧が170で、毎日薬を飲み、それでも倒れ、それに対して私はとても健康で、何の「病」の反応もないからでした。さらにある人は私に「絶技」の教えを請い「どうすれば血圧を高くできるのですか?」と聞きました。ある人は「血圧をあともう少し高くすべきであり、そうすれば解放される」と言いました。
同じ監房にいるある人は、ずっと私を観察し、私の状況を見た後、母親が高血圧で入院している、と言い「あなたのお人柄と健康な体を見て、法輪功が本物であると私は信じ、高血圧はまったくあなたとは関係ないかのようです」と言いました。その人は刑務所に服役に行く前、何度も私と約束し、出所した後必ず法輪功を学ぶと約束しました。
あるお年寄りは他の宗教を信じており、稼ぐべきではない金を稼いだために数カ月間刑務所に入れられました。そのお年寄りは、実名で江沢民を告発しました。そのお年寄りは「あなたが法廷でおっしゃったことは、あなたがおっしゃったのではなく、法輪功の神がおっしゃったのです」と言いました。そのお年寄りはさらに「あなたはとても強く、捕まえられてここにきて、とても驚きましたが、あなたはそれでもここで煉功を堅持でき、くだらない話には耳を貸さず、さらに堅持しました。神はあなたが好きで、それは神の愛であり、人の愛ではありません。現在の人は多くが死んで地獄に落ちるでしょうが、あなたは地獄に落ちず、天国に上るでしょう」と言いました。そのお年寄りはさらに「あなたは偉大です」と言いました。私はそのお年寄りに「それは大法の偉大さであり、偉大な大法弟子を作り上げるのです」と伝えました。そのお年寄りは家に帰る前に私に、自分の親戚と友人および宗教を信じている知り合いの友人たちに大法弟子の偉大さを伝える、と言いました!
留置場での1年間で、私は絶えず行動と言葉で真相を伝えました。最初は、監房の中の人は中国共産党の中傷と毒害のために、陰であれこれうわさしていました。私は監房内の人たちのうわさ話を問題にせず、監房内の人たちに行動において惜しみなく、思想において諭しました。毎月たった1000元の予算の留置場では、人と人はみな利益の交わりがあり、一包みのザーサイで少しの恩情を得ることができます。そして私はみんなに対して一視同仁し、監房内の人たちの衣服が足りているかどうかに関心を持ち、自分のお金を使って監房内の人たちにものを食べさせ、監房に入って来る人は、心の中は解くことのできないわだかまりがありますが、私は監房に入ってきた人たちとすすんでおしゃべりし、同時に真相を伝えました。監房内には良い人も悪い人もいますが、私が善良な人間であることをみんな知っていました。
あるお年寄りは、常人社会では女性の主任で、同情心があり、また善良で、最低生活の保障が困難な家庭を無条件に助けるために数百元の補助を受け取り、障害者手帳を偽って申請したため、同僚が機嫌を損ね、報復に遭い、そのため告発され、地区内の「詐欺犯」(すなわち庶民を助けるために共産党の金を搾取したこと)の名義で留置場に捕まりました。そのお年寄りは無実の罪を着せられとても腹が立ち、庶民のために行なったことなのに、どうしてこのような結果になるのか、わかりませんでした。私はそのお年寄りに共産党の本質を暴露し「共産党の言うこととすることは別で、国民のために奉仕しているのではない」と暴露しました。最終的に党員であったそのお年寄りは党、共青団、少年先鋒隊を脱退し、また江沢民を告発しました。
留置場内で会ったすべての人に、私はいつも出会った人たちの話を拝聴するようにし、また出会った人たちに法輪功の真相を伝えました。最終的に、監房内の100人以上が三退に同意し、十数人が江沢民を告発することに同意しました。
最もかわいそうなのは司法関係者であり、司法関係者はみな自分が悪事を行なっていることを知らず、よい人を迫害することの報いについて知らないのです。私たち大法弟子は不当に捕まり、家族に対する打撃はとても大きく、家族は警察署、国内安全保衛部門の警官、裁判官、検察官などに多くの手紙を郵送したり手渡したりし、私たちの家がこの数年受けた迫害と家族に対してもたらされた大きな精神的障害を述べ、特に子供の信念は純情で、善で、多くの人がみな泣いたといいます。私と夫も当事者の角度から留置場、駐監検察室、一審の裁判官、検察官、高等裁判所の裁判官に真相を伝える手紙を書きました。全方位から邪悪を解体し、司法関係者を救い済度しました。
地元の大法弟子も全面的に真相を書いた手紙と弁護士の意見書を郵送し、心から善を勧め、司法関係者の角度から出発し、司法関係者の未来のためを思いました。弁護士は各段階で「拘禁必要性審査申請書」や「法律意見書」などの各種の文書を提出し、司法機関へ行き、釈放を要求しました。地元の同修は弁護士が釈放を要求することに正念を発することを重視しました。師父のご加持とみんなの全体の協力の下、中国共産党が私たちに対して激しく迫害しようとする計画を解体しました。
邪悪が関係部門の人々をコントロールして大法弟子に対して犯罪を犯させることを許してはならないことを私は悟りました。私が家に帰る時、中国共産党が慣例に従い洗脳班あるいは地元の「610弁公室」などに私が引っ立てられるかもしれないことを同修は心配し、私は「そういうことは存在しない」と言い「私を迎えに来る時花束を贈ってもらい、私は『法輪大法は素晴らしい』と叫びながら留置場を出ることができ、これも善良な人々(善良な司法関係者を含む)が見たがることだと私は信じます」と家族に伝えてもらうよう弁護士に頼みました。その後私はやはり忙しく絶えず留置場に出入りする人々を救いました。私は自我に執着しませんが、敬うべき同修の皆さんはすでに外で私が安全に家に帰れるように正念を発していました。
私が間もなく家に帰る前日の夕暮れ時、狭い窓から虹色のような夕焼けが目に映え、とても暖かく、私はこのような夕焼けを見たことがありませんでした。その後に頭の中に「日出りて霞満天に映り 遠く眺みて残月雲煙に落つ 百年の紅い禍は大法解き 不信のこと全て来たり 真相大いに顕し 天地を重ねて開ひては又一元」[6]という師父の法が浮かび上がりました。心の中でこの上なく感動し、師父に感謝申し上げました!
私は留置場で師父のこれらの法を思い出す時、いくつかは今まで私が暗唱できなかったかあるいはよく覚えていなかった法でしたが、その時は頭の中に浮かび上がりました。これが大法の奇跡です。
留置場を出る前に留置場で話す機会の少なかった年齢の少し高い留置場の警官に真相を書いた手紙を書き、封筒に入れ、その警官に渡す手紙であることを礼儀正しく言いました。その警官は「私にくれるのですか? あなたが出ていくその日に私は他の警官と交代し、早めにあなたを出しましょう」と言いました。留置場の釈放は一般的にいつも午前10時過ぎあるいは午後になってやっと監房を離れますが、私は9時過ぎに監房を出て、およそ10時過ぎに留置場の門を出ました。
その後天目の開いた同修が「当日、9時過ぎに留置場の門が開き(それはちょうど私が監房を出た時間であった)、門のところで多くの神が迎えているのが見えました」と言い、私が出てきた時に後ろに多くの神がついて来ており、立掌し、とても荘厳でした……。その後その同修はその殊勝な一幕を回想し、頭の中がみなその荘厳な場面を許容できないかのように感じたそうです。
すべてがみな自分で決めたことであり、私は「真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」、「法輪功を迫害した江沢民を告訴する」と叫び、留置場の出口には家族が花をもって迎えに来ており、同修が私の笑顔を迎えているのが見えました。朗々たる乾坤が見え、世の中で幾人もの人たちに出会うたびに、私は「法輪大法は素晴らしい!」と高らかに叫ばなければなりません。引き続き留置場の門の外で迎えに待っている幾人もの人々に大法の真相を伝えます。
旧勢力がどのような打撃を加えようと、いかに迫害しようと、大法に対する私の信念と正念は揺れ動いたことはありません。ですからどのような環境であろうと、私は自分が大法弟子であることを誇りにします! 大法弟子は邪悪な環境を恐れず、正念正行しさえすれば、師父は私たちのために考えてくださり、環境は正念正行に伴って変わるはずです。
私たちは師父のご加持の下で迫害を軽減することができ、今回のことも弁護士が希望を見出し、弁護士はいつも多くの開廷に立ち会っており、中国共産党が法律を無視することも深く知っており、結果に対しても大きな希望を抱くことはありませんでした。弁護士のAさんは不当な法廷尋問の後「法廷で『法輪大法は素晴らしい』と叫んだことにはとても震撼しましたが、往々にして(法廷尋問での弁護を含む)震撼させればさせるほど判決は重くなります」と言いました。弁護士のBさんは不当な裁判結果に参加した後「震撼したことはやむを得ません」と言いました。比較的重い判決から軽い刑で刑務所に送られずにすぐに私が家に帰ってこられたのを見て、またその過程でも中国共産党を震え上がらせることができたのを見た時、弁護士のCさんは「時に私たち弁護士が一緒に今回のことを話す時も、震撼を感じるでしょう」と言いました。
以上が弟子のこの1年来着実に修めた少しばかりの修煉体験です。妥当でないところがありましたら、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いいたします。合掌
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「長亭に臥す」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「忍とは何か」
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「正念正行」
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年ワシントンDC法会での説法」
[5] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「二、動作図解」
[6] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「法天地を開く」
(明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)