昆明市の72歳学習者 自らが受けた迫害を述べる
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 【明慧日本2020年7月25日】私の名前は李世霞で、72歳で、昆明市新草房北村3号に在住していた。私は小さい時から胃痛という病気があり、原因は不明だった。毎回胃痛が起きた時に、痛くて耐えられずベッドで絶えず転がるしかなかった。1997年末、法輪功の修煉を始め、学法煉功を通して、心を修めて暫く経つと病気が治り、しかも家族との関係も大分良くなった。

 1999年7.20中国共産党による法輪功への迫害が始まって以来、私は法輪功の修煉を堅持していたため、現地公安局と村委会からの監視をずっと受けていた。私は5回にわたって連行され、家宅捜索を受け、懲役2年執行猶予3年の判決を下された。その後雲南第二刑務所に入れられて理不尽な迫害を受け、限界まで痛めつけられた。

 一、雲南省共産党委員会(政府をリードする機関)へ陳情に行って連行される

 2000年4月4日朝、私は雲南省共産党委へ陳情に行った。目的は法輪功及び法輪功創始者への濡れ衣を晴らすためだった。党委陳情事務室のスタッフは「法輪功の陳情は上のリーダーしか応対できないので、皆さん待っててくれ」と100人近くの陳情者に言ってくれた。20分後、一団の警官らが駆け付けてきて、「法輪功の陳情なら別の場所に移動する」と言いながら私達を1台のパトカーと1台のバスに乗るよう強要し、昆明市五華区公安局に運び、車庫内に閉じ込め、私たちをの写真に撮ったり、尋問したりした。

 その後、私達はそれぞれの住宅区の派出所の警官により移送された。私は菊花村派出所へ移送され、そこで尋問され、指紋を取られた。私は当日帰ることが出来たが、他の学習者達は留置場や拘置所に入れられたり、労働教養を強いられたりした。

 二、世人に真相を伝えて、何度も連行され、家宅捜索を受けた

 2011年10月27日、私は学習者・トウ桂英さんと共に昆明晋寧城で神韻のDVDや法輪功迫害の実態の資料を配布していた際、現地の警備員2人により掴まれ、その後駆けつけてきた警官により晋城公安局に連行された。そこの警官らは皆法輪功迫害の実態の資料を読み、私達の話を受け入れるように見えた。午後4時過ぎ、警官は弁当を私達に買ってくれて、「帰ってもいい」と言い、私達2人を解放した。

 2014年10月、私達は昆明官渡区大沖村で真相を伝えていた際、またもや中国共産党の虚言に騙された人に通報され、水海子派出所に連行され、そこで写真を撮り、登録、2時間尋問を強要された。

 2016年9月24日午前、私は他の学習者5人と共に外で法輪功迫害の実態を伝えていた際、再度共産党の虚言に騙された人に通報され、警官により連行された。私達は派出所へ連行され、その後病院へ連れて行かれ衣服を、全部脱がされ、レントゲン検査、採血を強要された。病院で身体検査が完了後また公安局へ戻され、そこでもう1回採血などの検査を強要された。70歳以上の年配者4人は2000元を強請り取られた後、裁判待ちの形で一時解放されたが、私ともう1人は70歳以下のため、留置場に入れられた。2017年8月29日、私は懲役2年執行猶予3年の判決を言い渡された。

 三、雲南省第二女子刑務所に拘禁される

 2019年6月25日、司法所のある人にやられて、午前7時、十数人の警官と司法所の人員らは我が家にいきなり押し入り、何も言わず私を掴んで両手を背中に回し、床に押し付け、「収監するぞ」と脅した。その後私をパトカーに入れて病院へ運んで身体の検査を強要した後に私を留置場へ連れて行った。留置所で収容の手続きをしていた際、私はサインを拒否した。その時、警官は「収容した後お前を始末してやる」と脅した。 

 私は刑務所に収監されていた間、様々な理不尽な迫害を受けた。毎日2人の受刑者に監視され、法輪功を放棄する、いわゆる「三書」を書くよう強要された。私はいつも書かなかったため常に侮辱され、虐められた。特に、トイレに行くことを度々制限されていた。ある日、私の我慢が限界になり、「あなたたちは引き続きそんなことをすると、私は大声で叫びます!」と言った。受刑者らは事態の悪化を心配したため迫害を多少抑えた。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/18/408988.html)
 
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