文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年9月22日】私の夫は1998年に法輪大法の修煉を始めた古い弟子です。そのおかげで、私は早い段階で『轉法輪』を読むことができました。しかし当時はざっと目を通しただけで、大法が良いことだけは知っていました。2006年のある日、私は次のような法の文章を読みました。「『先生、常人の中で良い人になればそれで十分でしょう。いったい誰が修煉して本当に成就できるのですか?』と言いました。これを聞いてわたしは本当に悲しくなりました」[1]
これを読んだとき、「おや、この人はまさに私のことではないか?」、「このままではいけない。師父を悲しませてしまいます。私は修煉したいのです」、この一念で、私は光栄ある法輪大法の弟子になります。それ以後、私の生命は大法に溶け込み、大法の一粒子になりました。
「どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」[1]。この法を学んだとき、私は子供のように言いました。「師父、弟子は真剣に、着実に修煉します。でも転びたくないのです。転んだら痛いから。私は転ばずに悟るだけでもいいですか?」。すると「悟ることができさえすれば大丈夫ですよ」と、まるで師父がおっしゃったのが聞こえてきたかのようでした。
2006年6月、「欲を絶ち、心を修めよう」とういうタイトルの心性交流の文章を読みました。欲を絶つということは修煉者にとって、通らなければならない道だと悟りました。禁欲について夫と話しました。夫は長く修煉をしている弟子なので、ずっと前から思っていたようです。もちろん同意してくれました。時に欲望が抑えにくくなったときは、「高い次元から見れば、常人は社会の中で、まるで泥んこ遊びをしているようなもので、汚さも知らずに地面で泥まみれに遊んでいるのです」[1]の師父のこの法を思い出せば、正念が戻り、心が純粋になり、どんなに高まった欲望も抑えることができます。
同修のAさんは田舎で法輪功に対する迫害の実態を伝えた時、派出所に連行されました。私と何人かの同修は派出所の外で発正念をして、連行された同修が正念をもって、解放されるように、師父に加持をお願いしました。Aさんは無事に解放されましたが、その後私の家に来て怒りながら言いました。「Bさんは派出所に直接行って、私を助けようとしてくれたのに、あなたは行こうとしなかった。それでも同修と言えるの? 常人よりも酷いのね!」。Aさんの怒りと非難に対してちょっと悔しくて、Bさんに会って聞きたいと思いました。
あの時、派出所に行くことを誰も言い出さず、私もそうしようとしなかったので、やはり自分には恐怖心があったのでしょうか? しかし、BさんはCさんではなく、私を悪く言いました。「それは、悔しさに耐えられない私の心に対して言っているのではないか?」。そう思うと私はAさんと口論せず、本当にAさんのために派出所に行かなかったことを後悔しました。「当時の私には正念がなかった」と解釈しました。
2日後、Aさんから電話がかかってきて、「悪く思って、ごめんなさい。Bさんはそんなことを全然言っていなかった。あなたは本当に素晴らしい」と私に謝りました。私は心から嬉しくて、「大丈夫だよ、私に心性を高める機会をくれて、ありがとう」と言いました。師父は私たちに教えてくださっています。「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[2]。私はこの法理の一部をある程度理解していました。そうでなければ、同修との間に誤解が生じていたかもしれません!
あるとき、法輪功への迫害の実態を伝え終え、車で家に帰る途中、思いもよらず、ずっと警官に尾行されていたのです。私がその警官たちに真相を伝えようとすると、警官の1人が憎々し気に「まだ言うのか! 派出所に着いたらひどい目に遭わせてやる!」と言いました。私は心の中で「それはたいしたことではない。師父は私を守ってくださっている」と呟きました。師父は私のそばにいらっしゃっているようで全然怖くなく、否定的な考えもありませんでした。
私は発正念をしながら、うちに向けて探しました。このごろ、順調に人を救うことができ、歓喜心や顕示心が生じてきました。師父は迫害を認めず、弟子も迫害を認めません。私は師父のおっしゃることしか聞きません。修煉の過程で漏れがあっても、法の中で自分を正し、旧勢力には私に試練を与える資格はありません。そう思うと同時に、私を迫害しようとする他の空間の邪悪な生命と要素を消滅させることを加持してくださるよう、師父にお願いいたしました。
警官の尋問に対して、私は何も答えませんでした。
約2時間後、2人の警官が部屋に入って来て、「名前を言えばすぐ家に帰してやるよ」と言いました。私は落ち着いて「名前を教えないのではなく、もし私が協力したら、あなたに被害が及ぶことになり、言わないのはあなたのためです」と言いました。その警官は3回も同じことを尋ねましたが、私も同じ答えを繰り返しました。最後に警官は「もう帰っていい」と言いました。私は無事に派出所を出ました。
私は知っています。師父のご加護により、私は今日まで無事に歩んでくることができたのです。私が知らないのは、「師父が(私のために)どれほどの心血を注いで下さったのか!」ということです。「師徒は情を講ぜず 佛恩は天地を化す」[3]。師父の広大な佛恩の恵みを受け、本当に幸せです。弟子として、多くの人を救い、師父と一緒に帰って、はじめて偉大な師父のご期待に応えることができるのです!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」