「魔の罠」をはっきりと見極めよう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年11月11日】もし、あなたに自分の身辺に魔が座っているのが見え、そして、この魔があなたを不利な目に遭わせようとしているのがはっきり分かった場合、このとき、魔があなたにどんなことをやらせても、あなたは何も従わず、魔の求めに対して逆方向の動きをとると私は思います。

    しかし、この魔はこの空間ではなく他の空間におり、肉眼では見えませんが、魔はまたあなたに様々なことを行なうように指図してきます。この中の一部はあなたを助けるために何かをやっているようです。例えば、病業中の同修は身体上の辛さが確かにあります。そして、その辛さを時々刻々いつでも感じ取れるようにし、魔はあなたにいくつかの観念を打ち込み、「座ることは立つことより楽、横になると座るより楽、休息と睡眠は煉功より楽」などと唆(そそのか)します。魔はあなたが最も弱っているとき、これらの正しくない人心と思考をあなたに浸透させてきます。あなたは魔が見えないので、これらの観念は自分が考えたもので正しいと思い込み、いつの間にか魔のすべての按排に従ってやってしまいます。もしも、ずっと気付かずにやり続ければ、最終的には魔に按排された道に入り込んでしまうことになります。

    ある日、私は電動バイクに乗り、転倒してしまい手首をケガしました。手首の骨が突出し、もう片方の手のひらに七つの小石が入り込み、他にも様々な損傷がありました。このとき、あの魔が私の周りにすべてを作ったことに気づきました。おそらく私は今回のことの前に、法に則っていない状態があり、私はこれらを見つけて正しました。そのためには、魔に押し付けられた思考と順序を打破しなければなりません。私はまず傷口をきれいに洗うか、あるいは変形した手を数日間休ませて感覚が戻るのを待つことを考ることなく、すぐに五式の功法を煉り上げました。 その時、手足はまだ完全に自由に動かなかったのですが、私はすべての動作を正しくするように頑張りました。初春の時期でしたが、煉功している間、涙と汗で全身がびっしょりと濡れましたが、 私は体のすべての感覚を感じませんでした。しかし、夜になると痛みで眠れないこともありました。また、静かな夜は自分を最も緩め易い時なので、そんな時は、自分にあれこれとつまらぬことを考える時間を与えず、師父の説法を聴いたり、煉功したり、正念を発しました。 わずか4日間で、他の人に言われた全身の数カ所の「重い傷あと」が完全に消えました。 私は頭の中で負傷したと考えておらず、この4日間は普段通りに出社し、仕事も遅らせませんでした。

    考えてみたら、病業だけではなく、修煉者は家庭や会社やその他の社会環境にしても、いかなる人との間に越えられない心性の関、同修間の隔たりも含め、それは肉眼で見えない魔から構成した全てではないでしょうか?

    時折、同修は一家みな修煉していると聞いていますが、トラブルが続き、お互い交流のとき、具体的な出来事から「あなたの言葉はひど過ぎる」、「彼の行為は心無い」と相手の善し悪しを量ることに陥ります。常人の間では、「家庭の事は正解か不正解かということはそんなに多くはなく、家庭は是非を判別する所ではない」というフレーズがあります。 しかし、一部の同修は、必ず一つの「理」を選定し、いつも大法で他人の言葉や行動をり、自分の観念に合う法理を見つけて他人を説得したり、またそうでなければ互いに「私のことは言わないでよ、私もあなたのことを言わないから」という表面的に穏やかな状態になったりします。 これらの考えすべては、以前からすでにずっと按排されていたのではありませんか? 目的は、大法弟子の間の内部のトラブル、あるいは直接次元を下げるためです。しかし、一部の家庭ではただお嫁さん1人、またはお婆さん1人だけが修煉し、学法をしっかりやり、師父の教えに従い、どんな困難に遭っても文句を言わず、時々刻々内に向けて探し、自分を修め、家庭環境を変え、家族の皆は大法に対して反対していましたが、今では支持しています。このような同修は、本当に人々に 密やかに尊敬されました。

    もし一人一人の同修が、この「魔」の破壊をしっかり見極め、魔の思考に符合せず、師父の教えに従って自分だけを見て、自分を修め、なるべく自分を高める心があれば、修煉は別の境地にあるかもしれません。

    では、どのようにこの「魔」のすべての按排を打破するのでしょうか? 家族同修に関わらず他の同修との協力において、少なくともその中の1人だけでも「魔」の考えに従って行動せず、完全に師父の法理に従って自分を着実に修めて向上しさえすれば、この魔の罠を掻き乱すことができ、魔の按排がいっぺんに消え失せるかもしれません。あるいは少なくとも大きな改善がなされるかもしれないのです。 周りの同修も徐々に分かるようになり、導かれて確実に修めたら、それは全体の向上になるのではありませんか?

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/11/384933.html)
 
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