坐禅している45分の間に 切断された掌の筋が完治する
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文/山東省の大法弟子  

 【明慧日本2020年9月23日】明慧ネットに掲載された「正念について」という文章に深く感動すると同時に、修煉を始めたばかりの頃に起きた、とても思い出深い出来事を思い浮かべながらこの文章を書きました。同修のみなさんと交流したいと思います。

 1998年9月に法を得て、2カ月が経過したある日、夫と私は家の大掃除をしていました。花瓶の掃除をしていた時(普段から掃除をするとき、手袋をする習慣がなかったため)、左手で花瓶の真ん中の部分を持って右手で上下に洗っていたら、突然花瓶が真ん中から割れてしまいました。私は夫に「早くティッシュを取って」と言いましたが、夫に「どうしたの?」と聞かれ、私は「手のひらを切ってしまった」と言いました。夫は「見せてくれ」と言いました。私は「大丈夫だ」と言いながら、手を開いて夫に見せました。何ということでしょう、私の中指と人差し指の下の掌のやや上の所に、大きな切り口がザックリと出来ていました。中指と人差し指をつなぐ筋(白くて中太の木綿糸のようなもの)や血管をすべて切断していて、骨が見えていました。しかし、不思議なのは大量出血もなく、傷口からほんの少しだけ出血しているだけでした。

 夫は私の手を見てうろたえて呆然としていました。夫は非常に心配して、どうしても病院に行くように言いました。私は少しのトイレットペーパーを使って傷口を押さえ「今、私は法輪大法を修煉しているので、師父が私を保護してくださっているので、心配しなくていいよ、大丈夫だから」と言いました。夫はそれでも「病院に行くのが遅れると破傷風になるし、病院に行って縫合しないと手が不自由になる」と怒って言いました。私は「大丈夫だから心配しないで」と言い続けていました。夫は私が自分の主張を堅持する様子を見て、夫はさっさと向きを変えて寝室へ行き、ベッドに横になって休んでいました。

 その時、私は夫に怒っていたわけでもなく、頭の中では何も考えていなかったのです。私は左手を上向きの状態にしたまま、右手を使って残りの掃除や料理を終わらせてから、学校から帰って来た子供の昼ごはんを支障なく作りました。

 午後9時、自宅で静功を煉っている時に、結印しようと思っても左手が開けないため、結印できなくて、その時に私は「師父、必ず結印できるように助けてください」と思うと、左手が瞬時にまっすぐになり、右手に奇跡が起きたかのように左手の上に乗っていました。 私は直ちに法輪が傷口のところで急速に回転しているのを感じました。当時は静功45分間を煉り終えたあと、左手の傷口を見てみると完全に治っていました。

 私は興奮して夫を呼んで見てもらうと、夫は何度も何度も見てくれ「なんでだろう、どうしてだろう、本当に不思議だ」とずっと言っていました。翌朝、集団で煉功するとき、左腕と左手が奇跡的に伸びてまっすぐになりました。この日は左手全体がパンのように腫れ上がり、3日目の朝、集団煉功するときには、左手はあまり痛くなく、この日、左手全体の皮が剥がれました。4日目には左手が完全に自由に動き、何の問題もありませんでした。

 当時、私は修煉を始めたばかりで、大法の法理については知っているようで、知らないような感じでした。心の中では、これこそが自分の人生の中で待っていたものだと思っていました。職場の同僚から「あなたは法輪大法を信じていますか?」と聞かれたのを覚えています。 私は「自分の全身の一つ一つの細胞のすべてが、法輪大法を信じています」と答えました。

 今にして思えば、修煉の初期の頃、考えはシンプルだったのですが、師を信じ、法を信じていたため、大法の不思議さが現れてきたのだと思います。

 師父への感謝の気持ちを込めて、師父に拝礼致します。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/20/412003.html)
 
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