歴史と現実:突然やってきた疫病
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文/鄭宇明  

 【明慧日本2021年3月26日】歴史上の数回にわたるパンデミックは、しばしば人々が油断していたときに疫病が津波のように襲ってきて、人々を驚かせることになりました。

 ロンドンの大疫病:突然やってきて、突然去っていった

 1832年3月のある夜、フランス・パリのダンスホールで人々が大はしゃぎしていたとき、パリ滞在中のドイツの詩人ハイネは、その悲惨な瞬間を目撃しました。「3月29日にパリでコレラの流行が発表されたとき、多くの人は気に留めず、病気を恐れる人々を嘲笑し、コレラの出現を無視することにした」

 「突然、ダンスホールの真ん中で踊っていたもっとも面白いピエロの足がすくんで、倒れてしまった。外された仮面の後ろから現れた彼の青紫色になっていた顔を見たとき、人々は驚いた。笑い声が一気に消えた。その場にいた人々は馬車によって病院まで素早く運ばれたが、踊り場で着ていた衣装のまま次々と倒れていった...」

 津波のように突然襲ってきた疫病は、人々を不意打ちにしました。

 この流行は1年前にロンドンで発生しましたが、あまり人々に重視されませんでした。当初、イギリス人はコレラが貧困層しか罹らないものだと誤認していました。

 18世紀末にイギリスで起きた産業革命はヨーロッパ全体に繁栄をもたらし、人々は工業化による奇跡と無限の富に酔いしれていました。公共医療もかつてないほどの成長を遂げていました。ヨーロッパではかつて「黒死病」が発生していたため、イギリス政府は早くも1518年に史上初の疫病法を発表し、感染者の外出を重罪または死刑で禁止し、感染していない家族が徘徊した場合は浮浪者として扱い、鞭打ちや投獄などの刑罰を与えることにしました。

 しかし、産業革命によってもたらされた繁栄と厳しい防疫規制は、疫病を止めることはできません。1831年、ロンドンではコレラが流行し始めました。まもなく、人々はコレラは貧しい人々だけが罹るものではないことに気づきました。疫病の発症、蔓延と予防対策は謎のようにイギリス人を悩ませていました。疫病から逃れるために、人々は急いで都市部から田舎へと移住しましたが、そこも同様に恐ろしい状況になっていき、結局は隠れる場所がなくなってしまいました。

 コレラがヨーロッパで流行していた際、1831年にドイツのベルリンでドイツの哲学者フリードリヒ・ヘーゲルの命も奪いました。しかし、謎に包まれていたロンドンの大疫病は1832年に突如として止まり、消滅しました。

 18世紀の産業革命によってもたらされた海運や輸送によって、ウイルスが拡散しやすくなったのではないかと、疑問を提起する人もいました。しかし、6世紀のローマのパンデミックを遡って見てみると、この説は自ずと破綻を来してしまいます。なぜならば、当時は東西ともに封建社会であり、新しい輸送手段がなかったにもかかわらず、疫病はあっという間に広範囲に広がっていました。

 スペイン風邪:秋に発生した第2波はさらに猛威を振るった

 20世紀初頭、「パンデミックの母」と呼ばれるスペイン風邪が世界を席巻しました。世界保健機関(WHO)と米国疾病管理予防センター(CDC)によると、スペイン風邪は1918年から1920年の間に世界中で4,000万人~5,000万人の死亡をもたらしました。そして、多くの科学者や歴史家は、当時の世界人口の3分の1(約18億人)がこのウイルスに感染していたと考えています。

 第一次世界大戦が終わる前の1918年3月、海岸線に沿い、あるウイルスが蔓延し始めました。スペインが最初にその被害に遭い、「スペインの貴婦人」という非常にロマンチックな名前が付けられました。春はインフルエンザに罹りやすい時期ではありますが、患者の回復が早く、死亡率も平時に比べて高くありません。当時は第一次世界大戦が世界の話題となっていたので、インフルエンザは歴史に埋もれました。

 しかし、秋になるとすべてが変わりました。以前は珍しくなかったこのウイルスが強毒性の株として再登場し、北米とヨーロッパを襲いました。

 多くの患者は数時間から数日で亡くなりました。4カ月の間にスペイン風邪は世界中に広まり、最も離れた地域にまで広がっていきました。翌年の春に流行が収まった時、5,000万人~1億人の死者が出たと言われています。

 一般的に、世界のインフルエンザの死亡曲線はU字型で、子どもや高齢者、抵抗力の弱い人が死亡のピークを占めています。しかし、1918年のスペイン風邪は、子どもや高齢者に加えて、20歳から40歳くらいの若年層がパンデミック全体の死亡者数の50%を占めるという、独特のW字型の死亡曲線を描いていました。推測では、65歳以下の病死した人が死亡者総数の99%を占めていました。

 1919年3月になると、流行は急に止まりました。急に来て急に止まったスペイン風邪は、恐ろしいほどの膨大な数の死者数を出しました。

 科学者の警告「津波のように押し寄せてくるだろう」

 1年以上続いている中共ウイルスの流行は、変異を経てさらに世界中で広がっています。全世界で1億人以上が感染し、214万人以上が死亡したとのデータが出ています。さらに恐ろしいことに、英国版のウイルスの変異型の伝播率は、現在流行中のウイルスに比べて70%も高くなっています。

 1月22日付のワシントン・ポスト紙によると、デンマークの科学者は、英国で初めて発見された中共ウイルス(コロナウイルス)の変異型が驚くほどの速さで拡散しており、現行の感染拡大防止策はこのウイルスには効かないと述べています。

 デンマークの科学者クラウス氏は、この変異型ウイルスは驚くほどの速さで広がっており、4月上旬にはさらに大流行するだろうと考えています。「この期間は津波のようなものだ。海岸に立っているあなたは海水が引いていくのが見えるが、その後、津波が押し寄せてきて、圧倒されるようなものになる」

 厳重な封じ込め対策が施されているにもかかわらず、デンマークでは週に70%のスピードで変異型ウイルスの感染者が増加していると報告されています。デンマーク当局は、2月中旬にはこの変異型ウイルスが国内のウイルスの主流になると予想しています。

 デンマークのフレデリクセン首相はある文章の中で、変異型ウイルスの驚異的な広がりをこのように表現しています。「コペンハーゲンのパーケン・スタジアムの最上階に座っているところを想像してみてください。これは3万8千人を収容できるサッカースタジアムです。蛇口から滴る水で満たしていきます。最初の1分は1滴、2分目では2滴、3分目では4滴になります」

 フレデリクセン首相は、この(指数の増長)スピードでは、44分でスタジアムを満たすことになると言いました。しかし、最初の42分間、スタジアムには何もないように見えます。「要するに、水位が上がっていると気付いた時、もう遅いのです」

 70カ国以上で感染拡大している変異型中共ウイルスは、急速に拡散するだけでなく、旧ウイルスよりも致死率が高い可能性を示唆する証拠があります。イギリス政府の主席科学顧問であるパトリック・ヴァランス氏は、ケント郡の変異型ウイルスは旧型のウイルスよりも広がりが速く、しかも「あらゆる年齢層が感染する可能性がある」ことが分かったと述べています。

 中国の研究者が学術誌「疾病サーベイランス」で発表した最新の報告書では、2021年には流行がさらに深刻化し、3月上旬までに少なくとも300万人以上が死亡するだろうと警告しています。最悪のシナリオは、世界全体で500万人の死者を出すことです。

 中国科学院上海パスツール研究所の学者による解説によると、これは世界的な医療システムの崩壊を引き起こす可能性があり、つまり、ウイルスが変異していくにつれて、変異型が人口の中に隠れ、季節になると流行が現れるということです。

 このシナリオでは、大規模な都市封鎖、PCR検査の実施、厳しい衛生制限を設けるなどの流行の拡大を阻止するための中国の流行防止モデルも役に立たないだろうと、研究者たちは考えています。

 「抗疫」神話に騙されないように

 世界的に見ても、ウイルスの正体に対してまだはっきり分かっていない状況の中で、中国共産党は疫病と戦うための完全で成熟したシステムを確立したと考えており、疫病に勝ったといい成功したイメージを作り上げてきました。専門家の中には、「発見はすなわち転換点」と自信を持って言っている人がおり、患者が見つかりさえすれば、伝染の連鎖のビッグデータを検索し、完全な隔離、完全な検査によって流行を迅速にコントロールすることができると考えています。その中で、上海は疫病対策の優等生とさえ評価されています。根拠は、感染拡大の後に受身的に患者を見つけたのではなく、市内に散在する発熱クリニックで事前に患者を見つけることができたからです。

 ウイルスは目に見えず、手に触れることもできない存在であるため、実際、正確な予防や制御は、すでに発生したケースに対してのみ可能です。しかも、その隙さえあればどこにでも付け込む性質は、我々の既成概念を打ち破るものとなっています。この間、専門家たちは国内での伝染は抑制されており、感染源は主に国外、または冷凍魚介類の輸入だと考えていました。しかし、河北省と黒龍江省での発生は農村部からの拡散であり、この一点だけでも当初の認識を覆すことができました。農村にはどうして県外のウイルスがあるでしょうか? 河北省の発生源は一体どこでしょうか?

 さらに気になるのは、最近、河北省の石家荘では、罹患者がゼロになった後に新たな感染者が検出されたことです。ネットユーザーの疑問は解消されず、隔離が徹底的に行われているのに、なぜ新たな確定症例が出てきたのでしょうか? ビッグデータや集団隔離の効果を祝い、流行が抑えられたと人々が喜びの声を上げるとき、いつも新たな予想外が現れるのは偶然でしょうか? それとも「抗疫」神話に惑わされないよう、人々の注意を促す不思議な計らいなのでしょうか。

 実際、人々のウイルスに対する知識は非常に限られており、既存の知識や経験もほんの上っ面でしかありません。歴史を見ても、パンデミックは突然やってくることが多く、数多くの広範囲かつ集中的な発生があった場合はどうなるのでしょうか? その時も隠すことができるのでしょうか? 中共による「抗疫」が成功したというプロパガンダのもと、人々は鈍感になっていて、知らない可能性がまだたくさんあることを忘れていました。人間は大きな災害の前では小さな存在であり、より多くの畏敬の念を抱き、より多くの反省を重ねて、はじめてより冷静になることができます。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/7/419619.html)
 
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