「協調」と「協力」が入れ替わった時
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文/海外の大法弟子 

 【明慧日本2021年6月7日】少し前まで、私は皆さんと同じように普通の学習者でした。RTC電話チームで電話を掛けて真相を伝えていました。新型コロナウイルスの感染拡大につれて、自宅にいる時間が増えました。そして、私は協調人の同修に臨時のチームリーダーに任命されました。

 最初はあまり実感がなく、今まで経験したことのあるチームの同修たちと一緒に電話を掛けるだけで、なんとも思いませんでした。しかし、それでは不十分で、より多くの同修が第一線で電話を掛けて真相を伝えることができるように、私はほかの同修に気を配らなければなりません。知らないうちに、以前より多くの責任を負っていたことに気付きました。より多くの同修が第一線で電話を掛けて真相を伝えることができるために、まず自分を突破しなければなりません。そして、同修に対し、より多く関心を持ち、つまり、この面において、継続的に自分を高めなければなりません。

 普通のメンバーとして、チームリーダーと入れ替わった時に、初めて他人と仕事の連携をとるときの自分の様子がハッキリと見えてくるのです。 RTC チームでは最近、30分の交流時間にもっと心性に関する体験を共有したいと要求しました。 私はまず、交流する流れについて思いつく限りの最善策を通知文にまとめました。 それから、チームの告知をあまり気にしていない学習者がいることを知っていたので、一人ずつ個別にメールで注意を促しました。

 本番となれば同じ仕事に直面しても、同修によって反応が違うことがわかりました。 そうです、反応が全然違いました 。少し立場を変えてみるとよく分かります。 立場を変えるというのは、自分が何かを協調する立場になって、協力する側の立場にいたときの自分の反応を振り返ることです。 つまり、協調人同修が何かを提案したときに、みんながどのように協力したかということです。 積極的に協力する度合いはどのようなものだったのでしょうか。 分かりやすく言えば、これは「協調人の仕事に協力できるかどうか」という問題です。

 その反応はとても明確でした。中には、言われなくても自分にベストを尽くすことを求め、とても丁寧に準備をしている同修がいました。また、協力してくれる同修もいますが、それは協力しなければならないことを知っているからです、しかし、心がけが足りません。 3つ目のタイプの同修は根っから協力することを心に留めておらず、自分の番になるまで協力しようとしません。メールで尋ねると「準備はまだです!」と返信をしてくる人です。 第4のタイプの同修とは口実を作り、怖気づいて戦から手を引くものです。

 最後に振り返ってみて、全体像が明らかになりました。 そこで、一つ一つ同修の言動を自分のと照らし合わせてみると、最もできた者は心がけをしてくれた同修だとわかりました。彼女は気を使ってくれたのでした。そして、私が協力してほしいときには常に応えてくれました。自分なら彼女のようになれるでしょうか? できない同修の場合は、次のような現れ方をします。気配りはできないが、少なくとも協力する必要性は認識しています。 あとは、協力するのが億劫で、相手のことを考えず、とにかく自分のやりたいようにやってしまうこともあります。 これらの現れは、自分の行動の中に本当に存在していることもあるのです。これまでの自分の言動や同修への接し方が、今になってみな自分に返ってくるのです。

 「無条件に協力する」というのは、ある境地、ある修煉の次元の現れだと理解しています。

 自分がどれだけ人に与えられるかが修煉の次元です。

 これにより、師父が話された「何をしても人のことをまず考えるようにします」[1]という言葉を改めて理解することができました。これは、生命の境地の現れなのです 。それは、生命が宇宙の法理に従い、則って行動する現れであり、自我に固執しない現れでもあります。自我を放下し、七情六欲、自分の嗜好、自分の見栄、プライド、自分の観念なども含めて手放すことです。

 以上は私の感想です。不適切なところがあれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/10/423136.html)
 
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