脚本の結末を書いているのは誰ですか
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 【明慧日本2021年8月14日】この前、同修である母と一緒に『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』を学びました。師父は「私はいつも人類が芝居のようだと言っていますが、最後のとき人間が救われるかどうか、法を正す過程で衆生を救うことができるかどうかは未知のことです。これは脚本にない内容です。人類の文化、考え方、行為など全てはあの未知のことのためにあります。最後に一体どのくらいの生命を残すことができるのか、これは按排されていません」 [1]と説かれました。

 ここまで読むと、突然今まで見たことがないように感じました。以前は、正法の全ての過程は按排されており、いつ終わるか、如何になるか、全てを脚本通りに演じており、自分が尽くした度合いによって結末に大きい影響を与えるという考えはありませんでした。しかし、この一段の法からは、結末は懸念されるものの、事前に按排されたものではないことを悟りました。

 正法の結末は、師父が何を求めるか、大法弟子が師の法を正すことを手伝う中、師父が求めることをどれだけ達成できたかによります。結末は師父が正法時期の大法弟子に思いきりやってもらうために残したものです。

 正法の結末を言及すると、多くの同修は「いつ終わるのか、早く終わってほしい」と思ったりしています。また予言によって結末の時間を推測する人もいます。師父が「人を救う数満たれば 邪悪あわせて誅す」 [2]

 どのくらいの人を救えるのですか。

 弟子「師父は以前、少なくとも大陸(中国)の50パーセント以上の衆生を救うとおっしゃっていましたが、現在の形勢はどうなっているのでしょうか? 私たちが引き続き正念を持って精進していれば、この目標を超える可能性があるのでしょうか? 60、70パーセントに達する可能性があるのでしょうか?」

 師「どの次元の神もこの世のことを見て、自分たちの按排を行ないました。どの次元の按排でもこの世の人を10人に1人という割合で残すことにしています。現在の皆さんが行なった状況から見れば、まだ十分ではありません。私がどのくらい残したいということではなく、できるだけ救い、少なくとも半分残し、または70、80パーセントの人を残せば最も良いので、私は皆さんにできるだけ行なうように言ったのであって、これが理由なのです。世の人の多くが天上からやってきたのだと私に分かっているので、当初それらの神が按排したときの情況とは違っています。彼らは今日の人類がこのような人類で、皆高い次元から来たのだと分かっていれば、当初世の人を10人に1人の割合で残すと誰も言う勇気はありません。しかし、邪悪はすでにここまで按排し、これらのことを誰も戻すことができなくなったため、邪悪が作ったこれらの障害を前に真相を伝えることを緩めてはいけません」 [3]

 私たちは、今、3億8000万人を救っており、中国人の半分は7億人です。3億8000万人を救うのに20年以上かかったようですが、中国人の半分を救うには手が届かないと感じる同修もいます。では計算してみましょう。例えば4千万人の大法弟子が出てきて、平均1人が10人を救う割合だと4億人になります。実は想像するほど届かない数字ではなく、肝心なのは皆が一体となり、他の人を待つのではなく、全員が出てきて人を救うのです。疑ったり文句を言ったり、期待したり、行動を遅らせたりするのではなく、着実に自分が救うべき衆生を救うのです。正法がいつ終了するかは私たち次第です。

「多くの衆生が救い済度されることを待っており、真相を伝えなくてよいのですか?! 私まで皆さんを手伝っています! 常人を救うことは本来、皆さんの仕事です。私は皆さんを救い、皆さんが常人を救うのですが、今は私まで皆さんを手伝っています。人を救うことをやめたらあなたはまだ大法弟子ですか? 最後に清算するとき、あなたはどのように判断されますか? そのとき、泣いても仕方がないのです」 [4]

 全然関係ない例を挙げると、仕事をするときは、一日の仕事の量が決められており、それを完成する大体の退勤時間もあります。しかし皆はだらだら仕事をしていると当然、全体の仕事量を時間内に終わらせることができないので、退勤時間にどうやって仕事を切り上げますか。ここで、上司に「いつ帰れるか」と問い返したりします。これは可笑しいのではないでしょうか。早く家に帰りたいのであれば自分の仕事を速やかに終わらせないといけないでしょう。

 個人的な悟りであり、不適切なところがあれば慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「劫」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地の説法十』「明慧ネット十周年法会での説法」
 [4] 李洪志師父の経文:「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/11/429293.html)
 
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