【明慧日本2022年1月12日】数日前、私の住む地域の警官が、法の執行の名目で海淀支部の4・5人の警官を引き連れてきて、いわゆる事情聴取を行ったことがあります。まだ法輪功を修煉しているのかどうか? 本を持っているかどうか等を聞かれました。中には50歳位の人がいれば、30歳、40歳位の若い人もいました。私は動じずに、穏やかな口調で彼らと話をしました。
しかし、私は良く修めておらず、肝心な所まで至らなくて、彼らを救うことができませんでした。この過程で、警官に対して恨む心、軽蔑、復讐等の感情はないものの、師父が言われたような慈悲の心もありませんでした。「論語」に書かれている「天体、宇宙、生命、万事万物が宇宙大法によって切り開かれたため」 [1] この法を思い出し、彼らも大法が作り上げた生命だと思うだけで、師父の宏大なエネルギーに守られ、中心が黄色、周辺はオレンジ色の平和で慈悲深い威厳な光に包まれていると強く感じ、自分もこの力に驚かされました。そこで、警官に法輪功は中国で法律を遵守しており、合法的である」と言うと、彼らは何も言わずに全員出て行き、まるで見えない大きな手が彼らを私の家から連れ出したようでした。
心の中で笑いました、師父の慈悲なるご加護に感謝致します。合十!
警官が帰った後、自分の一思一念を振り返り、もしかして、これはある段階での試験かもしれないと思いました。しかし自分は警官に対して自分の立場をはっきりさせなかったし、真相の要領も上手く伝えきれず、警官に法輪大法は素晴らしいということを理解させず、真相伝えの基準を満たさなかったので、不合格でした。
いつも明慧ネットで、同修たちが真相伝えに関する交流文章を読んで、大法の真相を知らない衆生を理解させ、三退までさせたことを見るたびに、本当によくできました、基準を満たしたと心の底から感心しています。それに比べて、私は真相を伝える点ではほとんど何もしておらず、数人の人に大法の真相を理解させ、三退をさせただけなので、本当に恥ずかしい限りです。
師父は「比して学び、比して修す」 [2]と説かれました。私はまだ努力しないといけません、向上して、修煉中の試験で基準を満たすようにしたいです。
師父の新経文「目覚めよ」を学び、師父は「一部の「情」が重い学習者が長期的にそれを重視していないため」 [3]と説かれました。自分の実際の修煉状態と照らし合わせ、皆さんに自分の悟りをお話ししたいと思います。多くの同修は且つての私と同じで、親や子供、夫婦に対しての情はとても感触が深く、しかし普段遭遇する不機嫌な事や怒り、悔しさ等の感情は無視しがちです。私はこれまで、利益心、怨恨心、嫉妬心等から原因を探すことが殆どでした。最近、学法している時「怒ることも情によるもの」 [4]という法について新たな認識がありました。普段私たちは良いことに出会う時感じる幸せは情であり、また、怒りや恨み等も情の表現であり、言い換えれば情が重く、取り除かなければならない不純な物です。
警官のような特殊な職業についている人に対しては、対立した態度をとりがちです。それは明らかに大法の基準に合致しておらず、大法は修煉者が純粋であることを要求しており、どうして、まだこれらのことに執着できるのだろう。個人的な理解ではこれも隠された「情」の一種であり、気が付きにくく、見つけ出して、すぐ発正念をして取り除きます。
師父は「今までいつも皆さんに言っていますが、今の中国人は簡単な生命ではありません。この人間の皮はまだそのままですが、人間を主宰しているのはすでに昔の人間ではなく、その多くは高い次元から下りてきた生命です。また、多くの歴史上の各民族の王が中国に転生したため、中国の今の人たちは普通の生命ではありません。ただ人間が転生し、神が世に下ったら、全て迷いの中に入らなければなりません。迷いにいる人は利用されやすいのです。しかし、彼らは法を得て、救い済度されるべき人です。しかも大きな縁を持っています」 [5]と説かれました。
師父のこの法を思い出して、師父の宏大で慈悲深い優しさを感じ、涙が浮かんで来ました。今回、家に来た警官の中に師父がおしゃられた生命がいるかもしれない、彼らを排斥してはいけない、師父が求められたようにこれらの生命に優しく、大切にしないといけません。彼らに大法の真相や三退をすることを完全に理解させることはできなかったが、しかし師父のご加持で、私の言動を通して、警官に大法の素晴らしさや大法弟子の優しさを感じてもらうことができると思いました。
実は日常で学法や修煉をしている中、沢山の修煉体験があり、しかし悟っても全部書いていませんでした。私の所は同修と交流する環境がありませんが、毎週明慧ネットにアクセスして、良い文章を保存して、時間がある時に読んでいます。これも一種の交流方式です。同修の文章を読み自分の修煉と不足を比較し、また交流文章を書いて同修と交流し、励まし合うことで、比して学び、比して修すという効果も発揮できるのです。
最近のささやかな修煉体験であり、不足なところがあればご指摘や補充をお願いします。ありがとうございました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「論語」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」
[3] 李洪志師父の経文:「目覚めよ」
[4] 李洪志師父の著作:「轉法輪」
[5] 李洪志師父の著作:『各地での説法五》「二〇〇五マンハッタン国際法会での説法」