河北省秦皇島市の馬艶華さんに懲役3年6カ月の不当判決
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 【明慧日本2024年4月4日】河北省秦皇島市の山海関区の法輪功学習者・馬艶華さん(72歳女性)は、今年3月1日、撫寧区裁判所に懲役3年6カ月の判決を言い渡された。現在、馬さんは石家荘市女子刑務所に拘禁されている。

 山海関区東街派出所と撫寧区検察庁、撫寧区裁判所は結託して、馬さんに数年前から濡れ衣を着せようとしていたという。

 馬さんは遼寧省阜新市の出身で、後に秦皇島市に移り住んだ。20年以上リウマチに悩まされ、胃にも深刻な問題を抱えていた馬さんは、1996年7月、法輪功を学び始め、「真・善・忍」を基準として、善良な人間になるよう自分を要求した。法輪功を学んで1カ月後、馬さんは持病が消え、「私は本当に病気がなくなり、体が軽い状態になりました」と喜んでいた。

 しかし、1999年7.20から、中国共産党当局が法輪功迫害を発動した。法輪功を学び続けたとして、馬さんは数回も連行・拘禁され、労働教養処分3年以上を科された。教養所で馬さんは殴打、侮辱、体罰、睡眠の剝奪、強制的な灌食、内容不明な薬物注射など、残酷な迫害を受けた。

 以下、馬さんが受けた迫害事実の一部である。

 1999年7月、馬さんは法輪功の無実を訴えるため、北京に行ったが、帰宅してから、阜新市和平派出所の警官に連行され、24時間拘束された。そのことでかなりショックを受けた馬さんの母親は、その1カ月後に亡くなった。

 2000年1月29日、阜新市和平派出所の范という警官は、何の証明書も提示せず馬さんの家に押し入り、家宅捜索をし、法輪功の書籍などを押収し、馬さんを派出所に連行し、24時間拘束した。それ以来、警官とコミュニティの職員は頻繁に馬さんの家に行き、嫌がらせをしていた。派出所の私服警官が24時間体制で馬さんを監視し、馬さんの家が夜遅くまで電気が消えないと馬さんの家のドアを蹴ったりし、幼い姪が怖くて眠れなくなっていた。 迫害を免れるため、馬さんは2001年の「端午節」の日に家を離れ、放浪生活を余儀なくされた。

 2002年4月2日夜、馬さんは法輪功の真実が書かれた横断幕をかけ、ステッカーを貼ったことで、警官に連行された。警官は馬さんの頭を膝で突き、馬さんの手を踏みにじった。その痛みで、馬さんは気絶しそうだった。阜新市海州区公安分局で、「610弁公室」の警官・馮国平が馬さんの髪の毛を引っ張って、平手打ちしたり、蹴ったりした。その夜、警官は馬さんを阜新市辛地留置場に移送し、72日間拘禁した後、不当に3年の強制労働を言い渡した。

 2002年6月12日、馬三家労働教養所に収容された馬さんは、毎日暴力を振られながら「転向」を行われた。わずか2カ月で血尿が出るようになった。

 ある日、馬さんは法輪功を誹謗中傷する映画を見ないで、「法輪大法は素晴らしい!」と叫んだため、警官に強制労働期間を3カ月延長された。

 2002年10月末、馬さんは囚人バッジをつけないため、3日間昼夜にわたって、警官にロープで縛られ、寝ることも、顔を洗うことも、座ることも許されず、食事やトイレは他の人に世話してもらった。

 2002年末、「転向」を拒否した法輪功学習者は、労働教養所から「50㎝ほどの瓦の上にしゃがむ」ことを強いられ、その範囲からはみ出すと殴打された。馬さんは36時間しゃがむことを強いられ、足の感覚を失い、後遺症が残った。 

 2003年9月5日、警官・張磊は馬さんに21日間睡眠を許さないうえ、奴隷労働を強いた。

 同年11月末、馬さんは50㎝ほどの四角いタイルの上に朝4時から夜11時まで座らされ、そのタイルから出ることが許されず、1日に2回だけトイレに行くことが許された。

 その年末、馬三家労働教養所は、法輪功学習者の「転向」を強化するため、遼寧省で最も悪質な警官らを同教養所に呼んできた。そのため、教養所のすべての部屋が「処刑室」と化してしまった。馬さんの「転向」を担当した瀋陽の警官は、馬さんに睡眠を許さず、目を閉じるたびに殴った。馬さんの左側後頭部に卵大の腫れものができた。また、男3人、女2人は馬さんを地面に押し倒し、何度も殴り、馬さんは全身があざだらけになり、7日間拷問を受けた。

 2004年1月、馬さんは第6隊に移され、10月には第2隊に移された。その後、2005年10月11日に馬三家教養所を出るまで、警官は馬さんを部屋から出すことも、庭に出すこともなかった。

 2005年4月1日、「転向」を拒否した法輪功学習者たちは、馬三家教養所の2階に拘禁され、シャワーを浴びることも、何かを買うことも、外へ出ることも許されず、ベンチやマットの上に座ることも許されず、毎日朝5時から夜9時まで、タイルの上に座ることを強要された。当時、法輪功学習者たちはこの迫害に抗議するため、全員断食を行った。

 同年4月6日の朝、警官数人が馬さんのいる部屋に入って馬さんに灌食しようとしたが、部屋にいた全員が、馬さんが食事をしたことを証言した。しかし、大隊長は信じず、9人の警官を呼んできて、馬さんを押し倒し、馬さんの口をこじ開け、強制的に灌食しようとした。そのため、馬さんの歯はぐらぐらになった。馬さんは苦んで意識を失ったが、目を覚ますまで1時間以上も地面に横たわっていた。その夜、馬さんは血尿が出て、発熱した。翌日、警官は馬さんを馬三家病院に連れて行き、検査を受けさせたが、その結果は馬さんには知らせなかった。

     拷問の再現:内容不明な薬物を強制注射

 5月7日の朝、警官は馬さんを1階の拷問室に引きずり込み、馬さんの体を大の字にして手足に枷をつけ、午前8時から夜10時過ぎまで、内容不明の薬物を5本注射した。馬さんは排尿ができず、お腹が腫れ上がり、苦しんだ。その後も馬さんは1階に引きずられ、薬物を注射された。その後、馬さんは昼夜、咳き込むようになった。このような迫害が1カ月ほど続いた。

 馬さんは馬三家労働教養所で3年3カ月間迫害された。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/24/474523.html)
 
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