怨恨を捨てる
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文/湖南省の大法弟子・李悟 

 【明慧日本2024年9月10日】私は長い間、2人の兄、2人の姉、義理の弟に対しても怨んでいました。その怨みの根本的な原因は、彼らが私から借りたお金を返さず、しかも、いつも私に失礼な態度をとっているからです。利益を損失した私は心のバランスを崩し、強い恨みの念を長年抱いていました。

 私は長年、法輪大法を修煉してきて、「三つのこと」をやっているのですが、法を学んでも頭に入らず、体の調子も時々悪いのです。特に昨年は大きな交通事故に遭い、危うく命を落とすところでしたが、慈悲深く偉大な師父に命を救われました。それで「私は修煉者だから、無条件に内に向けて探すべきだ」と思うようになりました。

 『明慧週刊』のある記事の中で同修がこう言っていました。「どうして、他人を恨むのでしょうか? 基準に達していないのはあなた自身であり、あなた自身が常に基準に達するのが遅れているからこそ、他人がそのような行動をとるのです。それはあなたに向上する機会を与えていると思いませんか? どうして他人を責めるのですか? 他人に感謝すべきです! あなたが本当に向上して基準に達したときに、他人がそのような行動をとらないと思います」

 この話は私を震撼させました。私は、「『害』を与えられたと思ったすべての人々に本当に感謝すべきだ。その人たちは私を向上させるために、苦を嘗め、犠牲を払いました。どうして彼らを責めることができるのか?」と、心の底からこのように思うと、私の心は穏やかになりました。同時に、私が他人に与えた「害」に対する罪悪感と後悔の念で満たされました。私のこの非常に頑なな怨恨は打ち砕かれました。

 この同修の話からまた、気づかされることがありました。「もし、彼らが私に借金を返さないのは、私が前世で彼らからお金を借りて返さなかったことがあるかもしれないし、彼らが今世で、そのお金を精算しているかもしれない。それなら、不公平ではないでしょう。もし、私が前世、彼らからお金を借りず、今世、彼らが私のお金を返さなかったら、私に徳をくれるでしょう。私は苦しみを耐えて業力を消すことができ、師父が私の業力を徳に変えてくださるのです」

 もし、大法弟子がいつも自分が修煉者だと思うことができ、心性を向上しさえすれば、師父はさらに、徳を功に変えてくださいます。私たちは本当に「一挙多得」になります。ですから、人と物事が自分に「害」を与えたと感じるとき、私たちの向上や円満のために良い環境を提供していると考えなければなりません。

 私の観察では、私の地域で亡くなった修煉者のほとんどは恨む心を持ち、それを長い間取り除くことが出来なかったからだと思います。怨恨には嫉妬心や利欲も含まれています。大法弟子である以上、これらをすべて取り除かなければなりません。

 師父は「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」(『精進要旨』「境界」)と説かれました。

 私たち大法弟子は、時々刻々法に従って自分を要求し、大法と同化し続け、向上し続ければ、新しい宇宙に回帰することができると思っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/9/7/481613.html)
 
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