文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年6月17日】最近、私たちの学法チームの同修が病業で亡くなり、周りの同修に大きな衝撃を与えました。この同修が亡くなった原因はいくつかありますが、私から見ると、一番の原因は怨恨心だと思います。 同修の姑はとうの昔に亡くなっていますが、ここ数年の学法チームで彼女は、何度も姑からひどい仕打ちを受けたことを口にしていました。ずっと忘れることができないようで、心のわだかまりになっていました。法を勉強している時、彼女はよく咳をしましたが、 咳がひどくなると水を飲んで抑えていました。病業の仮相が深刻になった時、 チーム内の同修は彼女に怨恨心が強すぎると指摘したことがあります。 彼女はそれを認めましたが、その怨恨心をしっかりと修めることができませんでした。
怨恨心は人々の日常生活の中で普遍的に存在しますが、もはや習慣的な思考形式になっています。自分の努力に対して、何も報われないときに怨恨心が生じます。他人の言動や行いが、精神的であれ、物質的であれ、あるいは世間体の面で、それが自分の利益に関わると、往々にして怨恨心が生じます。自分の意志や考えに沿わないときも、怨恨心が生じる可能性があります。長年の修煉を振り返ってみると、怨恨心がもたらした被害はあまりにも大きいのです。同修の中には、怨恨心によって病業の仮相を引き起こしたり、ひいては亡くなった人もいますが、このことは常人に与える影響が非常に大きく、悪党のでっちあげや誹謗中傷と相まって、大法弟子が衆生を救い済度することがより困難になっています。
怨恨心と嫉妬心の根源は、利己心、憎しみ、悪に根差しており、どちらも善と忍の対極にあります。私の理解ですが、嫉妬心の表出は、他人が自分を超えることは許さないというもので、怨恨心の表出は、少しの損失をも被ることができず、そうでないと憤慨するのです。怒りや憎しみを晴らすため、不満を解消するため、あるいは損失しないようにと、理由を見つけては弁解し相手と戦ってしまいます。メンツを保つため、また強い者の前で我慢する人もいますが、深く考えずにすぐ口を開いて争う人もいます。口には出さなくても、心の中で不満を抱いている人、また葛藤や不満が溜まって突然爆発してしまう人。どうしても我慢できなくて、吐き出せる相手を探したり、トラブルを引き起こしたりして自分の業力を増加させてしまう、などのさまざまな現れがあります。そのため、怨恨心が生じると、嫉妬心、闘争心、顕示心、歓喜心、競争心、負けず嫌い心、劣等感などを伴うことが多いのです。大法弟子の修煉は、人間のあらゆる執着心を取り除き、法の要求される基準に達することです。
私は、煉功中に落ち着かず、何度も考えてしまうことがありました。もちろん、これらは正念によって取り除くべき雑念ですが、ストーブの上の水の入った鍋が沸騰した後、一時的に冷めたとしても、ストーブが熱されるとまた水が沸騰するように、激しく湧きあがった雑念を正念によって一時的に鎮めたとしても、完全に取り除かれていなければ、無意識のうちに再び湧き上がってきてしまいます。思ったのですが、恨みが多くてそれを放下できないとき、煉功するときにその思いをずっと考え続けるのでしょうか? しかし、それらはすべて恨み、憎しみ、悪です。師父は私たちのために功を演化させることができますか? 他の空間では何が出来上がるでしょうか? これは師父が説かれた「邪法を練る」ことであり、結果は深刻で本当に恐ろしいのです!