文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年9月17日】同修のみなさん、こんにちは!
最近、私達の地区では数人の同修が旧勢力に隙に乗じられて、強制連行されました。それを聞き、私はとても悲しくなりました。しかしそれは人間の情のためではありません。同修らがお互いに意見や、アドバイスをし合って、真摯にそれを受け入れ、旧勢力に隙に乗じられて欲しくないからです。ここで、私は修煉の厳粛さについて述べたいと思います。浅はかな悟りですが、同修と交流して切磋したいと思います。
宇宙には最も偉大な師父がおられ、私たちはみな同じ法を学んでいますが、同修のみなさん、胸に手を当てて反省してみてください。師父の説かれたことについて、私たちはそれをどのくらい信じ、どのくらい実現し、どのくらい本当に悟ることができたのでしょうか。また、師父と法輪大法に対する考えは、法を得た当初と同じ感性の部分がとても強いのか、それとも本当に心性を修めるに伴い、ますます理性的になり、法理がますます多く現れ、すべてがますますはっきりとしているのかどうかということです。
修煉は最後になればなるほど、その厳粛性が現れます。一部の同修は事業のために一生懸命働いていたり、不動産購入に投資したり、給与の高さを比べたり、人の美しさに嫉妬したり、経済的に豊かな人を羨んだり、公の場でも陰でも人を攻撃したり、皮肉ったり、男女の情、子孫の前途、飲食の栄養バランス、心地良く生活できるかなど、心配してもしきれないほど多くの人心を持っています。これらのことを考えてはいけない、やってはいけないというのではありませんが、私たちは常人社会で修煉しており、まさに表面上は常人の形式に符合しながら、内心ではこの俗世間の数々の執着を捨てなければならないのです。
これらの常人のことに心が囚われすぎれば、面倒なことになり、人心が生まれ、執着心が助長されますが、自分ではわかりません。もしかすると長期にわたって、数年間、あるいは十数年間、大法の書籍を読みながら、もう一方では常人のものを失いたくなく、執着して追求しているのかもしれません。そうなると、これは人間になる道を選んだことになり、当然人間としての結果を得るしかなく、生老病死や苦をなめる中で業を返し、百年後には続けて輪廻します。もしあなたが使命を持ってやってきたとしたら、自分の誓約を全うすることができなければ、その結果は非常に厳粛なことになります。なぜ、旧勢力は敢えて黒い手を下すのでしょうか。まさにこれらの隙や漏れに乗じているからです。
修煉者には基準があり、師父は徐々に人心と執着を放下することができると説かれましたが、最終的に完全に放下しなければなりません。いままで修煉してきた私たちは、よく考えるべきではないでしょうか。自分が修煉する前にどのような執着心を持っていたか、今どのくらい放下できたか、よく考えるべきではないでしょうか。誰をも騙すことはできず、それはただ自らを欺くことになります。天上でも地下でもはっきりと見えています。人間を放下できなければ、それは常人です。修煉者になりたければ、自分の人心を突破し、あなたの前進を阻む各種の人心と欲望を捨てるべきです。あなたに得をさせ、よいことを得させるのはすべて魔です。
一部の同修は人心が重く、常人の名、利、情をとても重く見て、安逸を求める心が重いのですが、実はすでに常人の中に陥っているのに、自分自身は気づいていないだけです。
師父は「私たちの道は非常に狭く、少しでも外れると問題が現れます。皆さんに問題が起きてほしくなく、誰にも修煉の中で滑落してほしくありません。また、情勢の好転につれ、修煉を緩めてしまうことはなおさらあってほしくありません。このすべては皆さんが切り開いたのであっても、未来にまだたくさんのことがあり、あなたが円満成就するその日まで続きます。最も厳しい時期を皆さんはすでに乗り越え、残った時間はそれほど難しくなく、より良く行なうだけのことです。望みがなければないほど、望みが目の前にある可能性が高いのです。つまらないと思えば思うほど、あなたの威徳を築いているかもしれません」「皆さんが本当に協調を取ることができ、十分な正念を持ち、問題にぶつかったら内に向けて探し、修煉を始めたばかりのときのような情熱を持ってほしいと思います。常人のように、数分後、熱意が冷めてしまい、終わってしまうようではいけません」(『大法弟子とは何か』)
「人間がそのような境地まで昇華していき、羅漢、菩薩、佛、道、神になろうとしています。業力の満ち溢れている人間が神になりたいということは真剣に受け止めるべきではありませんか? しっかりと高い基準で非常に厳しくこれらのことに対処し、正念で自分を律するべきではありませんか?」(『米国法会での説法』ニューヨーク法会での説法)。
私たちがみな、しっかりと法を学び、様々な執着心に警戒し、法に照らして修煉することを希望します。