山東省:妻が臓器狩りの犠牲に 夫が口封じされ死亡(一)
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 【明慧日本2012年9月19日】山東省煙台市の法輪功修煉者・賀秀玲さんは、2004年3月に脳膜炎と診断されて病院に運ばれ、まだ息がある状態で死体安置所に搬送された。賀さんの腰に包帯が巻かれていたため、生きたまま腎臓が強制摘出された疑いがある。警察は賀さんの夫・徐承本氏に、10万人民元を渡すことと引き換えに、訴訟をやめるよう話を持ちかけたが、徐さんは拒否した。2年後、徐さんはインターネット上に、賀秀玲さんが臓器狩りの犠牲者になったという文章を発表した。文章が発表された翌日に徐さんはすぐに連行され、賀さんの遺体もすぐに火葬された。

 夫の徐さんも洗脳班に連行された後に迫害を受けた。わずか数カ月で体重が77キロから50キロ未満まで減り、体はがりがりに痩せた。精神も崩壊し、ぼうっとしていた。2年後に亡くなったときには、皮膚がただれていたた。薬物で口封じされた疑いもある。

 本文は、徐さんが生前に口述したものと明慧ネットで発表された文章を元にまとめたものである。

賀秀玲さん

 病院で臓器狩りの犠牲者に

 山東省煙台市の法輪功修煉者・賀秀玲さん(52歳女性)が2003年8月に公安に不当連行された後、煙台市南部の留置場で不当に拘禁された。2004年3月に脳膜炎と診断され、留置場から毓璜頂病院に搬送された。

 賀さんが連行されて半年が経った後に裁判が開かれた。法輪功関連の印刷物を作成したことが理由で、賀さんに有罪判決が下された。中国の法律では、法輪功は違法ではない。また、国民に信仰の自由と言論の自由が与えられ、印刷物を制作し信仰を広める権利が保障されている。しかし、現実では警察側がさまざまな名目をつけて法輪功修煉者を迫害している。法輪功修煉者を迫害する指令は中国共産党の上層部が直々に下したものであるため、法輪功修煉者は残酷な拷問や虐待を受けている。その中で最も残酷なのは、生きたまま法輪功修煉者の体から臓器を奪い取って殺す「臓器狩り」である。臓器移植を受けるほとんどの患者は、臓器が生きた人から強制摘出されたものだとは知らない。

 賀さんの夫・徐承本さんは次のように述べた。

 2004年3月10日の午後5時頃、芝罘区「610弁公室」の李文光が徐さんに電話を掛け、賀さんが病気を患っているかどうかを質問した。徐さんは、彼女に病気はまったくないと答えた。続いて、李文光は賀さんが毓璜頂病院で治療を受けていることを伝えた。その連絡を受けて徐さんは病院に向かった。3月10日午後7時ごろ、徐さんは病院の6階にある脳神経内科の32号室で賀さんを見つけた。病室には賀さん以外に二人の病人がおり、病人の家族が付き添っていた。また、3月8日に留置場の役人が賀さんを病院に搬送して監視し、病院が結核性脳膜炎との診断を下したていたことが、後になって分かった。

 徐さんが賀さんを見たとき、目の前の惨状に驚愕した。賀さんはすでに命が尽きかけ、声が出せず、寝返りが打てず、手と首周りが変色していた。また、賀さんの看護を担当する看護士も医者もおらず、治療も施されていなかった。片手には手錠をかけられベッドにつながれていた。手首にかさぶたや傷跡が見られた。そして、男女が出入りする病室なのに、下半身が裸にさらされていた。

 徐さんは賀さんに体の調子について尋ねた。すると、賀さんは手を胸に当てた。徐さんが賀さんの体を起こすと、賀さんは痛いと声を漏らした。賀さんは左目があけられなかった。結核性脳膜炎なのに、なぜ胸が痛いのかと徐さんは疑問に思った。賀さんは背部の腰を指差した。そのとき、徐さんはまだこのことの意味が分からなかった。賀さんは食事を取りたがっていた。5、6分後、留置場の役人の男女が一人ずつ入室してきた。「留置場の役人が妻の病室を何時間離れていたかわからない。彼らは妻のことをまったく気にしなかった」と徐さんは話した。

 留置場の役人は賀さんが薬と点滴を拒否したと言ったが、徐さんには信じられなかった。男性の役人が薬を持ってきた。徐さんは賀さんに薬を飲ませた。薬には風邪薬が含まれていた。結核性脳膜炎なのに、なぜ風邪薬が必要なのか徐さんには分からなかった。その後、看護士が賀さんに点滴を打たせたとき、賀さんは拒否しなかった。男性の役人は賀さんが点滴を拒否したと言ったが、おそらくこの話はうそで、留置場の役人が賀さんに薬を飲ませず、点滴を打たせなかっただけだと徐さんは疑った。

 徐さんが賀さんに食べ物を食べさせようとしたとき、留置場の役人はりんごをわずか2切れ与えただけで、それ以降は食事をとらせなかった。なぜ賀さんに食事をとらせないか徐さんには分からなかった。留置場の役人が賀さんに尿道カテーテルを入れられているためだと説明したが、尿道カテーテルはどこにも見当たらなかった。後に医者に確認し、尿道カテーテルは用いられていなかったことが判明した。

 徐さんは賀さんに付き添えるように役人と交渉した。男性の役人が留置場の所長・張福田に電話をして判断を仰いだ後、徐さんの要求を拒否した。「私は彼女の家族なのに、なぜそばにいてはいけないのか?どの規定に違反したのか?」と徐さんは反問したが、役人に病室から追い出された。この見舞いはわずか十数分で終わった。

 その後、徐さんは張福田に、「賀秀玲はただ良い人になるように修煉しただけなのに、なぜここまで迫害されなければならないのか? 命が尽きかけているのに、なぜ手錠をかけられるような酷いことをされなければならないか? 誰が指示したのか?」と問いただした。それに対し、「公安と留置場の法律に従ってやっただけだ」と張福田が答えた。

 涙を流す遺体と心電図測定表を破る医者

 翌日の8月11日朝7時頃、「610弁公室」の李文光が再び徐さんに電話し、すぐ病院へ行くように連絡した。徐さんはすぐ服を持って病院に向かった。病院に着くと、李文光は賀さんが亡くなったと伝えた。だが、死因を説明せず、徐さんに賀さんの遺体を見に行かせないようにした。徐さんが持参した服もそのまま家に持ち帰るよう徐さんに要求した。彼らは徐さんが賀さんの遺体に触れることを阻止していた。そのせいで、賀さんの遺体が何日も裸のままで死体安置所にさらされ、賀さんの親族の心が深く傷つけられた。

 3月11日午前10時頃、賀さんの親族が死体安置所に来た。そのとき、賀さんの遺体の下半身は裸にさらされていた。遺体の状況を確認すると、手足にぬくもりがあり、左目がくぼんでおり、紫がかった黒色になっていた。そして、背部の腰に包帯が巻かれていた。脳膜炎なのに、なぜ腰に包帯が巻かれているのかと徐さんは不審に思った。賀さんの妹は何年も賀さんに会っておらず、賀さんの遺体を見て、「姉さん、どうしたの? 目を開けて! 私達は何年も会っていないのよ」と号泣した。

 賀氏の妹が号泣した瞬間に、遺体が涙を流し、顔にも汗が流れ出ていた。この状況を見て、賀さんはまだ死んでいないと親族らは確信し、すぐに医者に連絡した。

 医者に三回連絡した後、ようやく一人の男性医師と二人の女性看護婦が心電図モニターを持ってきた。賀さんの心電図の測定結果が徐々に印刷されていた。結果表が10数センチ印刷されたところで、上下するカーブが描かれたのが見えた。通常では平坦な線が死亡を意味し、上下するカーブは心臓が脈打つことを意味する。「見てください! 心臓がまだ脈打っているのに、なぜ死体安置所に運ばれたのか?」と賀氏の妹は大声で問いただした。医者がそれを聞いて驚き、賀さんの心電図測定表を破ろうとした。親族は阻止しようとしたが、医者は測定表を手に持ったまま病室から逃げ出した。

 その後、憤って悲しんでいる親族は再び賀さんの脈をとり、まだ脈があることを確認した。死体安置所に勤めている老年の職員に検査を頼んだ。老年の職員は白い手袋をはめて、賀さんの脈を測った。確かに脈があった。老年の職員は驚いて、「こんなことは見たことがない」と話した。

 親族達は病院の医者に助けを求めたが、どの医者も助けなかった。親族達はさらに赤十字社や警察、医療事故課などに助けを求めたが、どの部署も手を差し伸べなかった。翌日、親族達は賀さんとの面会を禁じられた。三日目、面会が解禁されたが、賀さんはすでに脈がなく、手足が冷たくなり死亡していた。

続く

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/9/262578.html)
 
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