甘粛省:元国民党高官が生前に受けた迫害事実
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 【明慧日本2012年10月5日】甘粛省慶陽(けいよう)市に住んでいた法輪功修煉者・楊国梁さんは、国民党(1912年8月25日に孫文、黄興、宋教仁たちが、中国同盟会を母体として結成した中国の公開政党)の軍隊の副司令官だった。そのため、1949年以後、楊さんは名誉を回復するまで、中共(中国共産党)当局に死ぬほど苦しめられ、心身ともに深刻な打撃を受けた。1997年、楊さんは法輪功と出会い、法輪功を修煉してから、健康を取り戻した。しかし1999年7.20、中共は法輪功に対する弾圧を開始した。楊さんは法輪功を学んでいるという理由で、中共当局から再び残酷な迫害を加えられ、2004年11月25日、無念な思いを晴らせないまま、この世を去った。享年78歳。

生前の楊国梁さん

   楊さんは1944年に国民党の軍隊に入隊し、1948年、副司令官に任命された。1949年に中共が政権を奪取した後、楊さんは労働改造を強制され、「反革命分子」という口実で、さまざまな拷問を受けた。

 1978年、政策が変わり、楊さんはやっと名誉を回復したという。

 1984年、妻が亡くなり、楊さんは人生に絶望し、修行の道に入ろうとした。多くの古代の書籍を読み、自転車に乗って廟や寺を訪ね回ったが、真の修行の道を見つけることはできなかった。

 20数年の長期にわたり中共の迫害を受けた楊さんは、性格が悪くなり、気が短く、体も弱くなり、腰も曲がった。

 1997年、楊さんは法輪功と出会い、法輪功の修煉を通じて、穏やかな性格になり、病気もいつの間にかなくなり、腰もまっすぐ伸ばせるようになった。いつも家から数キロ離れた所まで行って学法し、また人々に法輪功を伝え、とても生き生きとしていた。

 しかし1999年7.20、中共が法輪功に対して不当な弾圧を開始し、それ以後、落ち着いて過ごすことができなくなった。楊さんは地元の派出所により洗脳班に送られ、街の掃除を強いられたり、首に札をかけて街を引き回されたり、批判会を開いて批判されるなど、さまざまな侮辱を受けた。

 2000年2月29日、楊さんは地元の法輪功修煉者と一緒に、法輪功への迫害停止を求めて北京へ行った。しかし連行され、刑務所に1カ月間拘禁された。

 2000年4月18日、楊さんは他の法輪功修煉者15人と共に、地元の中共政府の役人に首に札をかけられ、西峰市肖金鎮の街を引き回された。そのうえ、劇場で1万人による批判会で批判され、侮辱された。

 2001年、テレビででっちあげの「天安門焼身自殺事件」が放送された。

 2001年7月26日、楊さんはある法輪功修煉者の家を訪ねた時、警官に連行された。警官は楊さんの所持金を没収し、刑務所に1カ月間拘禁した。

 2002年、西峰市公安局は楊さんに労働教養処分1年6カ月を宣告し、省の労働教養所に送った。しかし、教養所側は高齢の楊さんを見て、収容を拒否した。そこで、警官は西峰区の麻薬中毒回復所に移送した。同施設で楊さんはさまざまな迫害を受けたため、痩せこけて歩行困難となり、寝たきりの状態になった。家族が再三、楊さんの解放を求めたため、施設側は責任を逃れようとして、2003年5月ごろ、やっと楊さんを解放した。

 しかし、さまざまな残酷な迫害を受けた楊さんは、帰宅してからも状態は悪化する一方で、2004年11月25日に死亡した。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/27/263297.html)
 
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