陝西省:親子2人 当局に迫害され、母は労働教養所の拷問で死亡
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 【明慧日本2012年10月13日】陜西省銅川市に在住の法輪功修煉者・徐桂芳さん(66歳女性)は、陜西省女子労働教養所で半年にわたって迫害を受け続け、2012年9月14日、意識が朦朧として身体が極めて衰弱した状態で釈放され自宅に戻ったが、徐さんはすでに帰り道や知人の顔を分からず、危篤状態だった。その後、10月3日午後に徐さんは他界した。

 1999年7.20、中共(中国共産党)の江沢民集団は法輪功への迫害を開始した。それ以降、徐さんは法輪功の修煉をやめないという理由で、中共から残忍な迫害を繰り返し受けた。徐さんは1年半の不法な労働教養、3年間の懲役刑を強いられ、女子刑務所を出所した後も、頻繁に銅川市警察と610弁公室から嫌がらせを受け、身を寄せる場所を失った。徐さんの長女、劉春侠さんも法輪功修煉者で、陜西省女子労働教養所と銅川市610弁公室から迫害を受け、精神障害を起こしてしまった。

 徐さんは2012年2月3日の昼頃、人々に法輪功迫害の真相を伝えるため、真相資料を配布していた際に銅川市印台区公安分局の張偉、何蛋に連行された。その後、徐さんの自宅は不法な家宅捜査を受け、大量の大法書籍と家財を没収された。2012年2月16日、徐さんは陜西省女子労働教養所に収容され、2年間の懲役刑を強いられた。労働教養所で徐さんは信仰を貫き、いわゆる「転向」を拒否し続けたため、残忍な迫害を受けた。労働教養所は徐さんの娘が面会を求めた際、娘が母親の「転向」に積極的に協力しないという理由で、4カ月間も面会を許可しなかった。

 9月、娘が労働教養所で久しぶりに母と面会した際、徐さんはガリガリに痩せて意識が朦朧として、話す気力もなさそうな様子で非常に衰弱していた。徐さんに以前の面影はなく、娘ですら人違いだと思ってしまう程だった。このような状態にもかかわらず、労働教養所側は徐さんを釈放しようとはしなかった。9月14日、徐さんはようやく釈放されて自宅に戻ったが、20日後に他界した。

 徐桂芳さんと娘が受けてきた様々な迫害

 2000年12月25日、銅川市印台区交番の王録軍をはじめ、数人の警官が徐さんの自宅に不法侵入し、まるでヤクザのように、家の中を荒らしまわった後、徐さんを交番に連行して1日間拘束した。

 2006年6月12日、十数人の警官が徐さんの自宅に押し入り、不法な家宅捜査を行った後、徐さんと娘を拘束した。8月の初め頃、徐さんは釈放され、娘の行方を探していたが、当局は娘の安否を一切公表しようとしなかったため、徐さんにやむなく西安市へ陳情に行くことしかできなかった。すると、銅川市公安局と610弁公室の関係者は、陳情のため西安市を訪れていた徐さんを拘束して連れ戻し、陳情の中で自らの悪行が暴露されたことの報復として、徐さんに対して1年半の労働教養を言い渡した。さらに徐さんの娘も、2年半の労働教養を宣告された。

 労働教養所に拘禁されている間、徐さんの娘は、凶暴な警官からのプレッシャー、恐喝などの迫害を受けている内に精神障害を起こしてしまい、症状は日に日に重くなった。労働教養所側は責任から逃げる為に彼女を釈放し、自宅に戻ってから彼女は段々と回復した。しかし、銅川市王益交番、公安局、610弁公室の関係者が次から次へと徐さんの家へ嫌がらせに来るようになった。徐さんの娘は警官らに真相を伝えたが、逆に拘束されて精神病院に送られた上、中枢神経を破壊する毒薬を注射されるなど、更に残忍な迫害を受けた。最終的に徐さんの娘の精神状態は完全に崩壊し、ガリガリに痩せてうわ言を言うようになり、症状は時間の経過とともに深刻になっていった。多くの証言によると、毒薬を注射したのは鄭景麗という者だという。

 2006年、銅川市交番と公安局は答礼訪問という口実で徐さんの自宅を訪れ、不法な家宅捜査を行った上、作り話や、捏造した証拠などを使い、根拠のない罪名を再び徐さんに着せて、懲役3年の不法判決を言い渡した。刑務所で徐さんは残酷な拷問を受け尽くした。その後、徐さんはようやく自宅に戻ったが、地元の交番、公安局、610弁公室の関係者が口実を付けて頻繁に徐さんを迫害しようとしていたので、徐さんは仕方なく家から離れ、身を寄せる場所を失って放浪生活を余儀なくされた。

 2011年後半、徐さんが年配の夫(70歳過ぎ)を介護する為に自宅に戻ったところ、再び銅川市公安局に不法に連行された。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/7/263742.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/10/10/135789.html)
 
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