イギリスの大法弟子:「一念」が結果を左右する
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文/イギリスの大法弟子

 師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!

 私は2005年に法輪大法の修煉を始めて以来、正直に言って精進している弟子とは言えませんでした。長い間、私の修煉はとてもゆっくりとして、怠けていました。この漏れはまさに、邪悪が私を妨害する理由になりました。先日、私の一つの正しくない考えにより、もう少しで壊滅的な結果を招くところでした。その出来事は私にとってとても良い教訓になり、また、私に修煉の厳粛さを教えてくれました。

 私は引っ越しをする度に、所在地の病院に行って登録をしていました。しかし、4年前の時には、登録をしませんでした。修煉者として、私には医者がまったく必要ないと考えたからです。しかし数カ月前、やはり登録したほうが良いかもしれない、もし病気になり、欠勤届を出すには医者の診断書が必要になるという考えがふうっと浮かんできたのです。この一念のせいで、私は次第に病気になるのではないかと思うようになりました。今になって、当時の考えの変化の過程をはっきりと見ることができます。私は病業を取り除くべき修煉者から、病気を患う常人になってしまいました。

 その頃から毎食後に、心臓に鋭い痛みを感じるようになり、また、その痛みの程度と発作の頻度はともに増える傾向にありました。私は妻に状況を伝え、体重をコントロールしたいのでと言って、食事の減量を彼女に頼みました。「胸と肋骨がまるで傷つけられたかのように痛む」と妻に訴えました。私はまだ42歳ですが、恐怖を感じるようになり、最悪の状態まで予想し、もしかして心臓病発作ではないかと心配しました。妻と漢方医の同修が私の状態について交流し、私の良くない考え方が邪悪を引き寄せ、自分自身をこのような危険な立場に置いたのだと、2人の考えは一致しました。

 翌日出勤した時、胸部が次第に締めつけられるような感じがしてきました。私は痛みが軽減するように発正念をし、そして師父に助けていだだくようお願いしました。かろうじて仕事が終わって帰宅し、私はすぐに学法をしました。師父の説法を読みながら、私は「死」に対して認識が新たになり、とても感動し、涙を一生懸命こらえました。

 私は妻に対して、とても重い情を持っていました。もし自分が亡くなったら、妻が平安に生活していくために、私に何ができるのかまでも心配しました。妻は「あなたは旧勢力を否定し、発正念をして妨害を一掃すべきですよ」と言いました。私は妻の意見が正しいと思っても、私の頭は混乱して、妄想をたくましくし、とても悲しく思いました。

 その日の夜、私は神韻公演を観に行った夢を見ました。休憩時間に、10数年来会っていない2人の古い同僚に出会いました。彼らは子供を連れて公演を観に来ていたのです。私は彼らに話しかけませんでしたが、彼らが神韻会場に現れたことが、内心ではとても嬉しかったのです。

 私は目が覚めて、衆生を救うことが自分の使命だと改めて認識しました。私は自信に満ちて、強大な正念を発しました。これほど強い発正念をするのは、私にとって久しぶりのことでした。以前は発正念をする時、私は集中することができませんでした。しかし、その日はいつもと違って、発正念をした時、私は旧勢力の按排を否定し、また師父にご加持をお願いして、「師父について最後まで歩んでいきます」と誓いを立てました。

 しばらくして妻も目覚め、妻も夕べ見た悪夢の光景を私に話しました。夢の中で、悪魔は手に短刀を持ち、私の心臓を激しく突き刺しました。またその他の不潔な光景を妻は見ました。「きっと前世に私が良くないことをしたので、今、彼らが私に仕返しをしている」と私は思いました。私は法理から更にはっきりと、どうしてこれらの苦痛を経験しなければならないかも分かりました。妻は「発正念の時、あなたは魔に対して『もしかつてあなたに借りがあるならば、円満成就してから、私は自分の福徳で償いをします。私ができなくても、私の師父がしてくださいます。今、私は大法弟子なので、衆生を救い済度しなければなりません。あなたが済度されたいのであれば、大法に同化してください。私を妨害し続ければ、あなたを取り除くしかありません』と言ったらどうでしょう」とアドバイスしてくれました。

 私はただ「師父について最後まで歩んでいきたい」という一念が湧いただけで、すべてが瞬間に変わりました。過去何カ月あるいは数年間、私は大法と修煉に対して、ここまで深く理解していなかったため、このような危険な淵にまで来てしまったのです。しかし、強固な正念により、すべてが瞬時に変わり、私の胸の痛みは完全に消えてなくなりました。私の正念はますます強固になりました。

 私ははっきりと悟りました。修煉者がどうして病気になるのですか? もし、私達が長期にわたり床につくとか、入院するならば、どのようにして世間で大法を実証しますか? これは決して師父が望まれることではありません。特に今の特殊な時期、人を救い済度する時間は緊迫しています。私にまた病気の症状が現れた時、もし私の第一念が「病院へ行こう」であれば、私は常人のレベルだとしか言えません。第一念が「私は師父について衆生を救い済度している」であれば、私は一人の修煉者だと言えます。これは修煉者と常人の根本的な違いだと私は思いました。

 内に向けて探す時、私は自分自身の修煉過程に存在しているたくさんの問題に気づきました。自分の執着と修煉の漏れを探し出すことも、一つの苦難に満ちた修煉過程であると思います。自分の思想が法理に符合していれば、師父は私を救って、新たに修煉の道に導いてくださいます。今の私は、修煉して執着を取り除き、正法の進展についていきたいと思っています。

 この出来事は表面上から見れば、生死の試練のように見えますが、実際は、私の師父と大法に対する正念の試練です。これは真の修煉の道に踏み出す、私の重要な第一歩でもあります。

 師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (2012年イギリス法輪大法修煉体験交流会の原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/28/263322.html)
 
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