文/アトランタの大法弟子
【明慧日本2012年10月9日】偉大なる師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!
一.家庭の圧力を押し切って、子供を連れて神韻宣伝に参加する
私は2011年4月中旬に、大法弟子がいないところで法を得ました。修煉を始めて間もなく、もっと自分を高めるために、私は大法弟子のいるところに引っ越しをしようと決心して、アトランタに来ました。
主人は幼少時代から党文化の影響を受けて神や仏の存在を信じておらず、私が修煉を始めた初期にはしばらく別居しようと言い出したことがあります。またよく一人で黙って私と会話をせず、夜中に突然出かけて行き、深夜に帰ってきました。結婚して7年来、夫婦仲が良くて、一度も喧嘩をしたことはなかったのですが、突然こういう情況になって、私は内心で辛かったのですが、穏やかに彼と話し合って、修煉してからの不思議な体験、心性の急速な向上などを語って、毎回彼を落ち着かせることができました。
修煉を始めてから、私は国際電話をかけて、中国国内にいるすべての親戚と知人に「三退」を勧めていたため、彼らの中で大きな波紋を起こしました。将来、中国共産党の迫害に遭って私が帰国できなくなることと、家族までも迫害に巻き添えになることを心配して、舅と姑は私に修煉を放棄させるようにと私の両親に文句をつけて、主人にも圧力をかけました。一時、私は国内の親戚と友人から孤立した状態に陥って、その辛い気持ちは生まれてから初めて味わいました。しかし、私は法輪大法が良いと分かっています。大法が私の身に現した不思議な現象は自分しか分からなくて、どんなことを言われても、私は決して大法を離れないと決心しました。
私は多く学法して、大法弟子の修煉体験文章を多く読んで、勤勉に煉功していたので、真相を伝えるための基礎を築きました。そのため、真相を伝えて大法を実証することをする度、その瞬間に強大な慈悲のエネルギーに囲まれる実感があります。師父は毎日私のそばにいて、毎日師父は加護してくださっていることを、本当に実感できます。
それから主人はインディアナ州に行って兄、姉と日本料理のレストランを経営して、私はアトランタの家で2人の子供と暮らしました。私が2人の幼い子供を連れて大法を実証する経歴は、それから始めました。
その時はちょうど神韻宣伝が始まる前の準備段階で、多くの会議が開かれて、私は毎回4歳と1歳の子供を連れて会議を参加しに行っていました。その後、私は子供を幼稚園に入れて、外に出て神韻宣伝ができるようになりました。私は毎日とても早く起きて座禅をして、それから子供に朝食を食べさせて、幼稚園に送ります。その後、ちょっとだけ朝食を食べてから、一日、神韻宣伝の活動に身を投じます。時には一日外回りをして、まともにご飯も食べられないこともありました。夕方、子供を家に迎えてから食事と入浴をさせて、家事もしなければならなくて、残った時間を切り詰めて学法と煉功をしました。
週末、子供たちは幼稚園に行かないので、私は彼らを連れて同修と一緒に住宅団地に入って、神韻宣伝の冊子を各住宅のドアノブに掛けていました。神韻宣伝をする時に、2人の息子はとても大人しくて、少しも私に面倒をかけませんでした。
1歳の次男はベビーカーの中に座って、ちっとも泣きませんでした。坂の上の住宅に向かう時、私はベビーカーを坂の下に置いて、一人で坂を登ります。階段で振り返ってみると、次男は大人しく座って、笑って私に手を振ったりします。次男の可愛い顔を見て、一緒に大法を実証することができて、この小さな命は本当に幸運だと、私はよく思います。そして人見知りの長男に「それは恐れる心で、勇気を出して話しかければ、怖くなくなるよ」と教えて、それから団地に行った時、長男は本当に怖くなくなって、人に資料をあげて説明することができるようになりました。
ある日、神韻の宣伝活動をやり終えて、私が運転して家に帰る途中、兄弟二人は疲れて寝ついたのですが、長男がいつの間にかシートベルトを外したことを、私は知りませんでした。急ブレーキをかけた時、長男の頭は前の席にぶつかって、額に大きいこぶができて血も出ました。家に帰って見てみると、数センチの傷がありました。長男は傷口を見たいと言いましたが、自分の傷口を見させるのは母親として忍びないため、私は見せず、ただ「大丈夫、明日になったらきっと治るよ」と言いました。結局翌日、傷口はかさぶたになって、数日後、かさぶたがとても早く剥がれました。これはきっと師父が保護されたのだと思います。
またある日、神韻宣伝を終えて帰ってから、2人の息子がともに熱が出ました。私は彼らに『転法輪』を読み上げて、多く水を飲ませました。長男は「お母さん、師父は私たちの業を消してくれています。そうでしょうか」と聞いて、私はとても驚きました。「師父は業を消してくれる」のようなことを、私はわざわざ子供たちに教えたことがなくて、数回口から出た程度ですが、なんと幼い長男はそれを覚えてくれたのです! 幼い生命は一枚の白紙のように純粋で、親が白紙の上に何かを書いたら、子供はそれを覚えるのです。長男は師父の写真に向かって、「師父、私は家に帰りたい。家に帰りたい。師父について家に帰りたい」と言ったこともあります。いろいろ思い出して、涙が私の視界をかすませました。師父のご加護を頂いている大法弟子の家庭の子供は、やはり常人の家の子供と違うのだ、大法弟子の子供は法を正すために何をも惜しまずに人間世界に降りたのだ、私は必ず責任を持って、大法小弟子を良く育てていこうと思いました。
病業の関を乗り越えて、神韻宣伝を滞らせない
修煉を始める前に、私は胃炎、頸椎ヘルニア、腰椎変形などの持病があり、とても痛かったのです。修煉してから、師父は体を浄化してくださり、持病は全てなくなりました。神韻宣伝を始めてから、持病のあった部位はまた痛くなって、とても長い期間続いて、昼も夜も、とても痛かったのです。それは世々生々に積んだ業力で、それぞれの段階に現れて、私が乗り越えて心性を高めるためのものだと分かって、私はひたすら痛みを我慢して、神韻の宣伝を滞らせたことはありませんでした。
ある日、私は全身の痛みを我慢して、食欲が出ないため何も食べないまま雨の中、団地に入って、各住宅のドアノブに神韻宣伝の小冊子を掛けていました。靴は濡れて中に雨水も入って、歩くとちゅっちゅっと音を立てて、寒さは足底から上へと伝わって来ました。私はプラスチックの袋で靴を包んで、引き続きドアノブに神韻宣伝の小冊子を掛けていました。資料を1部でも多く掛けると、1人でも多くの衆生が神韻の情報を知ることができ、救われる機会を掴むこともできる、と私は思っています。
2回も病業の関に遭って乗り越えて、私はこのように悟りました。夫と子供に対して、私は「善」をやり遂げていない部分がまだあり、頑固に無神論を堅持する主人と話す時、時には焦って闘争心が生じます。子供を教育する時もよく焦って、子供に対して善と忍が足りません。
また病業の関は、師父と大法をどれほど信じているか、病院に行こうとして動揺するかに対する試練でもあり、痛みを恐れる心をも除去してくれています。
神韻宣伝をやっている間、大なり小なり、難と関は絶えません。運転中に私はよく師父の説法録音を聞いて、時には発正念をします。しかし、何回も運転中にとても眠くなって、他の空間から来た形の見えない力が私の集中力をかく乱しているのを感じました。その時、運転中に危険な情況は確かに発生していました。毎回、私が師父にご加持を願うと、その瞬間に頭がすっきりして眠気は一掃されました。師父にとても感謝しています。
またある日、私は同修の家に行きました。帰る前、その同修は突然、繰り返し私に安全に注意するよう言い聞かせました。彼の家を出て間もなく、横のガソリンスタンドの中から一台の車が速いスピードで道を横切ってきました。一瞬、私は急ブレーキを踏んで、衝突事故を避けられました。彼の注意があったから、その日私はあまり車のスピードを出していませんでした。そのおかげで事故を避けることができたわけです。師父が彼の口を通じて私に注意されたのだと分かった瞬間、師父に対する感謝で胸がいっぱいになりました。
(続く)
(2012年ニューヨーク法輪大法修煉体験交流会)