薬物を飲まされ 迫害された寧夏省の法輪功修煉者が死亡
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 【明慧日本2013年2月19日】寧夏省の銀川市女子刑務所で迫害され、精神に異常をきたした灵武市の法輪功修煉者・駝美玲さんが2011年に死亡したことが、去年になってやっと分かった。駝さんは無実の罪を着せられて迫害され、50歳にしてこの世を去った。

 駝美玲さんは灵武市薬剤局の元職員で非常に明るい性格だった。仕事にも真面目で皆に愛されていた。家庭の中でも良い妻・優しい母であり、幸せな日々を送っていた。2003年に駝さんは引っ越して、灵武市家具屋で買い物をしている途中、何の理由もなく警察に連行された。その後、懲役3年の判決を下されて銀川市女子刑務所に入れられ、迫害を受けた。その間、刑務所側は駝さんを強制的に「転向 」させようとした。長期にわたって手錠をかけられたまま監禁された。孤立させられ、人との対話も禁じられた。更に警察はほかの受刑者に指示し、駝さんに飲ませる水の中に成分不明な薬物を混入させた。その後、駝さんは意識がもうろうとした。その状態になってから警察は直接、駝さんに無理やり成分不明な薬物を飲まさせたため、駝さんは精神に異常をきたした。

 2006年、駝さんは釈放されたが夫に離婚すると言われ、実家の陝西省に帰った。70歳の両親だけが頼りだった。2008年、精神状態がおかしくなった駝さんは大雪の中で野原に座って凍死寸前のところを村人に助けられ、一命を取り留めた。

 下記の記述は、銀川市女子刑務所の駝美玲さんに対する迫害の一部である。

 一、10人の受刑者に順番に監視・侮辱・虐待される

 2003年駝さんは銀川市女子刑務所に監禁後、過酷な労働を強要された。強制的な洗脳も受けたが、駝さんは「真・善・忍」を信じて中共(中国共産党)の洗脳を拒否した。すると、駝さんは警察の重点迫害の対象となった。警察は麻薬常習犯・殺人犯などに指示し、駝さんを順番に虐待させた。特に、監区副区長の劉志琴は麻薬常習犯の蘭春花・楊桂花・趙文青らに指示し、駝さんに日常的に暴力を振るわさせ、恐怖を与えた。

 2003年末、監区区長の張勝華・副区長の劉志琴は「転向」強化期間を設け、卑劣な手段で駝さんを完全に孤立させた。人との会話を禁じ、接触も認めなかった。更に受刑者に、罵る・殴る・蹴るなどの精神的侮辱・肉体的暴力を振るわせた。

 駝さんは転向に応じなかったため、皆の前で刑務所区長の張勝華・副区長の劉志琴らが駝美玲さんを侮辱して、批判した。また、受刑者に命令して駝さんへの迫害を強化した。

 駝さんは家族・親族との連絡・電話・面会を完全に禁じられ、更に他の人と会話する権利も奪われた。一度、刑務所が規定した、大きな声で「はい! 隊長! 報告します!」という命令に従わなかったことで、月に一回の家族との面会を禁止され、面会室に一日立たされた。

 二、副区長の劉志琴が成分不明な薬物を飲ませる

 2004年のある日、受刑者の黄は他の受刑者にこう話していた。「駝さんが区長の張勝華・副区長の劉志琴に虐待され気がおかしくなった。区長の張勝華・副区長の劉志琴は受刑者を唆して駝美玲さんを寝かせないように命じた。また成分不明の薬物を飲ませられた。その後、駝さんは訳も分からない言葉を口にし、とつぜん大声で一人で笑ったりした。足に力が入らず立っていられなくなり、体中から力が抜けた感じがしている」と話していた。その後、駝さんは更におかしくなり、完全に精神状態が崩壊した。それでもなお、刑務所は彼女に手錠をかけて食事の時だけ手錠を外していた。

 受刑者の蘭春花の証言によると、副区長の劉志琴が駝さんに白色の粉(成分不明な薬物)を毎日飲み水に混ぜて飲ませていた。それから気がおかしくなったという。

 第四監禁区の警察は他の法輪功修煉者に対して、「お前たちも転向に応じなかったら駝美玲のように薬を飲ませてやるぞ!」と脅迫していた。実は、この劉志琴は元々、灵武市のある病院の精神科医だった。駝さんがおかしくなった様子を見て、第一監禁区の警察は公然と成分不明の薬物を駝さんに飲ませるようになっていた。

 2006年、駝さんが釈放された後、刑務所は罪を隠すために駝さんに真実を言わなかった。2006年の6月、駝さんは夫に寧夏精神病院へ連れられて入院したが、病院側は駝さんに成分不明の薬物を大量に注射した。それから駝さんは痩せ果てて、毎日昏睡状態に陥った。

 夫に離婚され、家庭もボロボロになった駝さんは、こうして健康な身体と幸せな家庭が崩壊し、一家離散となってしまった。これが今日、中共が迫害によってもたらした実態である。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/1/28/268302.html)
 
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