山東省:臨沂市の法輪功修煉者 度重なる迫害の末に死亡
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 【明慧日本2013年2月19日】山東省・臨沂市の法輪功修煉者で、身体に障がいを持つ王光起さんは、13年来、中共(中国共産党)から残虐な迫害・拘禁・暴力・拷問などを受け、田んぼ・菜園・栗園を没収され、最後に乞食をせざるを得ない状況を迫られ、2012年6月19日に亡くなった。享年58歳。

 法輪功を学び新たな人生を得た

 王さんは臨沂市の蒙陰県・桃墟鎮に生まれ育ち、幼い頃から賢く勉強が好きで、学生時代にはずっと成績優秀だった。卒業した後、王さんは地元の小学校の教師になった。 

 王さんは26、7歳の時、突然腰痛を感じ、ある医者から「接骨薬」をもらった。服用後、脊柱骨が変形し、また太腿の骨は壊死し、両足の関節は曲げられなくなった。自分で着替えもできず、杖を突いてゆっくりと移動するのがやっとだった。30歳の王さんは仕事が出来なくなり、結婚することもできなかった。病気を治療するため、王さんは民間の秘伝治療法を探し、毎回多額の薬代金を費やしたが、お金はすべて借金だった。 

 その時王さんの顔も頭も大きく腫れており、隣近所の人はもうだめだと思っていたという。王さんは死を待つのみの生活を送っていた。 

 1998年、王さんは法輪功を学び始めた。修煉を始めしばらく経ってからから、王さんの顔に赤みがさし、2本使っていた杖が1本になり、両足も曲げられるようになった。やがて着替えもできるようになり、平地では速く歩けるようになった。健常時の状態までは回復していないが、病気の苦しみが消えた。王さんは全身不随の兄の世話をしながら、同時に田んぼの農作業をこなして、さらに他人を手伝ったりすることもある。これは王さんにとって、かつての自分からは想像さえできない最大の幸せだった。王さんの変化は地元の住民がすべて目にした。

 真相を伝え、脅迫・暴行を受けた

 1999年7.20、中国共産党の江沢民集団は法輪大法に対する迫害を開始し、王さんも迫害を受けた。

 旧暦2000年1月19日、地元の党書記・方国明は、町内会議という名目で王さんを呼び出し、王さんを桃墟鎮へ拘禁した。鎮の役員は法輪功修煉者から1人ずつ220元をゆすりとったが、王さんはお金がなくて払えなかったため、拘束され迫害を受けた。旧暦2月1日の夜、2、30人の鎮役員は、木の枝で王さんを滅多打ちにし、王さんは体中傷だらけになり、至るところが青紫色に腫れ上がり、頭は椅子で打たれて傷口から血が滴り、服に血が沢山付いていた。 

拷問の実演:暴行

 家に帰った後、政府の役人がいつも嫌がらせに来るため、王さんは正常な生活ができず、仕方なく山に隠れた。山には食べ物がなく、近所の身内に頼って、あちこちから物を貰って命を維持していた。 

 しかし法輪功が迫害され、法輪功の創始者が冤罪を着せられる中、心身ともに受益した王さんは2002年3月、法律に基づいて北京へ陳情に行き、天安門広場で「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断幕を広げて、「法輪大法は素晴らしい」と大きな声で叫んだ。王さんはその場で拘束され、その後、地元の関係者らに連れて帰らされた。途中で地元610弁公室のリーダー・石運端は「俺達が5千元でマフィアを雇ってお前を殺したら、誰も知らないうちにお前は世の中から消える。誰がやったかなんて誰にも分からない」と言った。

 桃墟鎮派出所に戻された王さんは、手錠を嵌められて拘束された。王さんの後から「穴は掘り終わったか?」 「1メートル以上掘った」という声が聞こえた。警官は王さんを山に生き埋めにするつもりだったが、その後情報が漏れるのを恐れて計画を変更し、王さんを7日間拘禁した後釈放した。

 政府役人に迫害され乞食となった

 2002年の春、地元の政府役人らは王さんの財産である鍋・茶碗・たらい・壺・刀をすべて打ち壊した。これらの他に王さんには財産と言えるものはなかった。王さんは20数年間、障がいのため金を稼ぐことができなかったし、王さんの兄は幼い頃から全身不随で、家にある物と言えば床に敷かれた草、数十年間使ったボロボロの布団、食事用の茶碗しかなかった。

室内の様子

王さんと兄の家

 中共の石運端・方国明は人に命令して、王さんの家の玄関・窓を石で塞いだ。また監視役を派遣して、王さんが外に出られないようにし、ご飯・水を与えることすら許さなかった。この時、王さんはすでに立つことができなくなっていた。方国明は村の拡声器で「もし誰かが王光起に食べ物や飲み物をやったら、懲らしめてやる。奴は部屋の中で餓死にするだろう」と放送した。生前の王さんの話によると、ある村民がこっそりと食べ物と水を置いてくれたお陰で、その20数日間をなんとか過ごせたと言う。 

 方国明はまた王さんの田んぼ・菜園をすべて没収し、1万5千元の価値がある栗園を売り飛ばした。王さんは基本的な生活の保障を失い、兄の命を維持するため、障がいのある体を支えつつ乞食をするようになった。

 王さんの2番目の兄(修煉していない)は、中共政府役人の暴行を告発したため、610弁公室の職員らから殴られ、長時間首を押さえつけられて窒息させられ、最後に2千元のお金をゆすり取られた。 

 ある地元の住民は、王さんの境遇を目にして見るに忍びなく、このように話した。「方国明は残酷で、すべてを没収し、あまりにも良心がない。死刑囚にさえ食事を与えるというのに。王さんは何の悪いことをもしていない!  人をバカにするにも程がある!」

 王さんは貧困と中共による迫害の恐怖の中で生活していた。王さんの兄(王光発さん)は2011年に亡くなった。2012年6月19日、王さんも亡くなった。

 
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2013/1/13/267755.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/2/6/137387.html)
 
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