文/中国の朝鮮族の大法弟子
【明慧日本2013年3月28日】最近、妻(同修)と一緒にグループ学法に参加した際、二回も遅刻する人がいることに気づきました。遅刻した同修にドアを開けに行く同修と、彼らの往来は学法中の同修達に対して大きな妨害となっています。ある同修は法を読みながら誰が来たのかをちらっと見上げたり、ある同修は学法中にお手洗いに行ったり、また、周囲の誰が出て、帰ったかを気にして観察している同修もいて、主意識は全く学法に集中していません。そして、学法中に法を読みながら時計を眺める人、法を読みながらあと何ページ残っているかを確かめる人、甚だしきに至ってはうとうとして居眠りする人もいました。
多くの同修は学法中の「細かな事」に容易に妨害され、全く集中して学法出来ていないことに気づきました。
学法中、どこかで携帯電話が鳴りだして、ある同修は無意識にそこをちらっと見ました。私は集中して学法していましたが、やはりそれに気が取られてしまい、これが学法への大きな妨害だと意識しました。暫くすると、別の携帯電話がまた鳴りだしました。二つの携帯電話の持ち主は協調人のようで、彼らには仕事、あるいは用事のある人が多いことは理解できますが、しかしどうしても学法は厳粛になっていない気がしてなりません。しかも周囲の同修の学法にも影響を与え、特に学法に非常に集中している同修を邪魔してしまいます。師父は『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」の中でこのようにおっしゃったと思います。「例えば、法の勉強ができるだけ邪魔されないように、電話を「留守電」に設定したりすることができます。」個人的な理解として、非常に重要な事案を除き、学法の際はどんな要素にも邪魔されないことが最善です。
もう一つ普遍的なことですが、多くの同修は10時や11時のような定時も発正念の時間と決め、学法中に10時や11時のような定時になると、突然学法をやめて発正念をし、発正念後再び学法をし始めます。そうする理由は、多くの同修が定時に一緒に発正念すると、悪を滅する力が強くなり、ちょうどこの時間は邪党組織が仕事中ですので、この時間を逃してはいけないそうです。そして、明慧に提案されている4つの定時の発正念を逃した場合、ちょうどこの時間に前もって補えると言います。
私が思うには、他の定時に多く発正念し、邪悪を滅するのは問題ありませんが、それによって学法が影響されるなら、妥当ではないと思います。特に集中して学法している時、集中力が途切れ学法が大きく邪魔されます。そして、法に対する敬意が欠け、非常に厳重な問題として、師父の要求にある三つのことにも影響を与えていると思います。
学法は形式的なものになってはならないと皆が知っていると思いますが、しかし、多くの同修はやはり常人が教科書を読むように学法していて、手元の『轉法輪』を真の仏法として真面目に、厳粛に思っていない気がします。
また、一部の同修は非常に忙しく、真相資料を作りながら師父の説法を聞き、こうすれば効率が良く、一石二鳥の効果を得られると思っています。しかし、家内(同修)は私にこう言いました。「師父の説法の録音を聴くのも、結局は師父が説法を行っているのと等しく、この時私達は手元の仕事などを置いて、専念して法を聞かなければならず、主意識は集中すべきです。師父が講壇で法を説いているのに、下にいる弟子たちは真相資料を作ったり、これをしたり、あれをしたりすれば、師父への不敬ではありませんか」
私達が認識すべきなのは、師父が講壇で説法を行う時に私達が取るべき態度は、グループ学法の際にも同じであるべきです。
一部の学法グループは一講の『轉法輪』を学習し、その後すぐに各地での説法を学び、そして真相を伝えに出かけるようにしています。時間を無駄なく使い、一見、非常に精進しているように見えますが、しかし長年このように学法してきて、一部の同修は未だに学法の効果が薄く、学法してもあまり消化できていないような感じです。
学法を通じて分かったのですが、師父の要求通りに厳粛に学法せず、学法しても法が得られなければ時間を浪費しているのに等しく、法を得られないだけでなく、自分の果位から落ちることもあります。
(続く)