文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年10月13日】
一、法を暗記
多くの同修が学法に関して妨害されているようです。多くの同修は法を暗記することを提唱して、皆が良い方法だと言っています。しかし、具体的に暗記しようとする時に、一部の同修は観念に阻害されました。ここで、私は法を暗記する体験を話して、皆さんと交流したいと思います。
法を暗記することの一番良いところは、法を通読できない時に法を学び、効果が著しいことです。私の場合、その日に学法が少なければ、すぐに妨害されていると感じて、頭の中に何かよくない異物が詰め込まれたようで、なかなか大法が頭に入らなくなります。特に長く学法しなかった同修はもっと妨害されて、学法するたびに居眠りをし、あるいは学法しても頭に入りません。この時に一番良い方法と言えば、法を暗記することです。
法を暗記することは、釘を壁にいれるようで、手で押してもできないならばハンマーで叩けばすぐできます。
一部の同修は暗記する時に自分の観念に阻害されました。一つは自分の記憶力が良くないこと、もう一つは覚えても最初の部分を忘れてしまって、一カ月かかっても一講を覚えられないこと、三つ目は法を暗記する時間を作れないことです。
ここで私の方法を紹介させていただきます。
まず、一つの文を完全に覚えることです。一つの文だけでも30分かかると言う人がいますが、それでもよいです。覚えているうちにだんだん早くなり、だんだんすっきりして、覚えやすいと感じるはずです。それから続けてやりましょう。一文一文で覚え、繰り返さないように注意しましょう。たくさんの人が、先の文を忘れて、ずっと繰り返し覚え、時間が足りなくなります。 一文一文で覚えていけば、やるほどに早くなり、自信もついてきます。たとえ翌日の朝になって、昨日の部分をどうも思い出せないとしても、構わず続けて進んでください。実は、思い出せないことは、覚えて法に符合した部分が隔離されたので、残りの部分は法に符合していない部分だけなので、普通の現象です。しかし、一部の同修はずっと覚えられないと恐れて、ずっと繰り返し覚え、次第に自信を失ってしまいました。この観念を打破して欲しいです。法理はこの部分を解答しているのですが、皆さんはこのように悟っていないだけだと思います。
もちろん速く暗記できる人は、一小節ごとで覚えられるので、できればそれに越したことはありません。とにかく、繰り返し同じ所を覚えないことです。そうすれば、やればやるほど早くなると気付くはずです。
法を暗記することには、予想外の収穫もあります。それは、学法の際の妨害を突破し、覚えるスピードも速くなり、記憶力も良くなるのです。最初は一文一文で覚え、次第に一小節ずつ覚え、それから一ページ一ページずつ覚えられます。
初回は自分の状況に応じて決めましょう。年齢に関係なく、記憶力の弱い人は一文一文で始め、覚えたら止まらず進むことです。次第に間違いなく早くなります。
私の周りに、学法をするのが「苦手」な同修がいて、私は皆にこの方法を教えてあげました。すると、一週間で効果が表れて、学法がしっかりできました。当然、学法がしっかりできている同修は、通読して覚えなくてもよいです。もし学法を妨害されている同修ならば、この方法を使って突破できればと思います。
二、グループ学法による循環朗読
この方法は同修に教えてもらった経験です。多くの同修は交流が好きで、何か問題にぶつかると大量の時間を使って交流し、同修を招集してしょっちゅう交流会を開きます。人数が多くて、安全面でもよくないため、同修が連行されるケースもしばしばありました。
一方で、一部の同修は皆を集めてグループ学法し、終わってから残った人が一緒に交流します。このようにすると、とても効果が良かったそうです。
この同修の方法を、私は教えてもらいました。ある日、二人の同修が対立してしまい、学法グループに来てから、すぐに口論してしまいました。すると周りの同修は、論争しても仕方がない、私達の誰が師父より良く意見を言えるのですか? 師父に及ばないならば師父の言うことを聞いてみましょうよ、と言ってから皆は学法を始めました。グループ学法では一人ずつ順番に読み上げました。あまり人数が多くならないほうが良く、5、6人までが一番良いです。自分の番がすぐ来るので、誰かが居眠りしても、読むときに目覚めて元気になりました。そうこうしているうちに、2時間が経ちました。しかも、最初トラブルに陥った同修はもう分かった、交流しなくてもよいと言って、皆が気持ちよく帰りました。
自分の心より魔が生じる人に対しては、ちょっと難しいようです。同修のやり方は、まず一人に手をつけて、この人をグループ学法に連れてきます。この人が自分の邪な悟りを語ろうとすると、周りの人は、我々の誰も師父の説法には及ばないでしょう、あなたも師父に及ばないならば師父の説法を聞きましょう、と言います。一緒に学法し、この人の発言チャンスを与えないことです。しかもわざと速めに読み上げて、本人の頭の中に雑念が生じる隙を与えないことです。一週間も経つと、この人は徹底的に分かって、さらに同様に邪な悟りに陥った人を助けに行きました。こうした結果、60人余りの学習者を連れ戻しました。
この事件を通じて、皆は「法にできないことはなく、誰かが良く悟ったり、誰かがよく修めたりと言うことは法と比べられない」と分かりました。もちろん、これもケースバイケースのことで、皆さんは法を師にして、偏らないように注意してください。
まだ外に出られない同修がいたら、この方法を使ったほうがいいかもしれません。そしてこのような同修はきっと99年以降な経文をあまり学んでいないので、99年以降の経文を読ませるようにしましょう。
同修の皆さん、学法の妨害を突破したら、どうすればよいかが自分で大体分かるようになると思います。皆が十分に学法して、よくできたら皆が向上することになると思います。
妥当ではないところはご指摘ください。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/10/4/135706.html)