【明慧日本2013年3月30日】吉林省長春市の法輪功修煉者・馬秀華さんは不当に一年間、労働教養所に拘禁され迫害を受けた。釈放後、馬さんは精神状態がおかしくなり、2011年に実家の楡樹県大楡公社と秀水の間に隣接する堤防の上で凍死した。56歳だった。
馬秀華さんは長春市緑園区在住。実家は楡樹県南勝街である。元生産資料工場の会社員だった。1996年から法輪功の修煉を始めて、2000年10月5日、法輪功のために北京へ陳情に訪れた。しかし、途中の長春市駅で3、4名の男性に取り押さえられて連行され、大廣という拘置所に身柄を4日間監禁された。その後、長春市四間房派出所の警察・王清華らに拷問された。
2000年10月22日、馬秀華さんは長春黒嘴子労働教養所に移送され1年間拘禁された。警察は馬さんの頭や顔を殴りスタンガンで電気ショックを加えるなどの拷問を加えた。馬秀華さんはいわゆる修煉を放棄する「転向」の要求に応じなかったため、第6大隊から第4大隊へ移され、更に酷い拷問と虐待を受けた。日常的に通常の倍の過酷な強制労働を強要され、奴隷扱いされた。馬さんの手はあちこちが血だらけになっていた。
2001年、馬さんは労働教養所から釈放され自宅に戻ったが、精神状態が異常であることが分かった。にもかかわらず翌年の11月、長春市四間房派出所と「610弁公室」(法輪功を迫害する目的で設置された中共の不法機関)が自宅の鍵を壊してドアを破り、家の中へ侵入した。日常生活をかき乱され、馬秀華さんの精神状態は更に悪化した。食事の時間を忘れ、自宅すらわからなくなってしまった。馬さんは数日間も路頭に迷い、自宅に帰れないこともあった。家で面倒を見る人もいなくなり、毎日路頭をさまよった。近所の人々は彼女がゴミ等を拾って食べているのを見て食事を与えていたという。
2008年から2011年の間、馬さんは夫に連れられ実家に戻った。夫は彼女を実家において去って行った。その後、彼女は凍死した遺体で発見された。