文/中国陝西省の大法弟子 清竹
【明慧日本2013年4月1日】弁護士達が私達の同修の為に無罪の弁護をしてくれることは、私達大法弟子と協力し大法を実証し衆生を救うもう一つの道を開くことであり、師父に認められたことです。この道を正しく、より良く歩むために、同修達は明慧交流文章を通じてそれぞれの体験や認識を述べ、私達にとても良い参考となりました。この機会に私も、私達の地区で弁護士を招聘した後に現れた幾つかの問題を書き出して、同修の皆さんと交流したいと思います。
一、弁護士に対する印象
迫害を受けている同修に無罪の弁護をするために、私達の地区は北京から三人の弁護士を招聘しました。そのうちの一人は60歳位のベテラン弁護士で、常人から見れば胆力と識見に卓越し、法律業界でも権威と知名度のある人でした。去年、私達の地区である同修に無罪の弁護を行う際、彼の有力な弁護は邪悪を震え上がらせ、法廷内の全ての常人を驚かせ、良い作用を働きました。そして彼の弁護の申し立てや法廷での行為は大法のウェブサイトで認可され、これらの事ことから私達は彼に対し幾分敬服する心を抱くようになりました。
私はわが地区の協調人として、この前何回か弁護士が来られた時、様々な原因で彼に会えず、少し残念に思い、今度彼に会えたら、ぜひ彼と相互協力において意見交換しようと思いました。その弁護士に会えた時、彼の室内には既に数人の同修が来ており、私は座って彼の講演のような大言壮語を耳にし、何物も眼中にない表情や態度を目にした時、彼に対する印象が次第に変わりました。しかし理性的に、「彼を理解してあげよう、彼はあくまでも名利を追求する一人の常人で、修煉者の基準で彼を評価してはいけない」と思いました。私は相互協力の話題を切り出した時、彼の回答は私を驚かせました。彼は私達大法弟子の行為が働く作用を全面的に否定し、私達の真相手紙や、真相電話、近距離の発正念や邪悪を暴露する活動を彼の仕事の妨げと見なし、断固反対すると言いました。彼の叱責のような言論を聞いた後、私は無言でした。彼はあれだけ多くの大法弟子に接してきて、何故いまだに私達の行為にこれほどの反感を持つか、理解に苦しみました。
二、大法弟子の行為
如何に弁護士達と協力し大法をより良く実証していくか、その際の要は私達が常に法に基づいているかどうか、弁護士との位置関係を正しく認識出来ているかどうか、そして自分の感情に任せず、如何に理智を持って対応していくかにかかっていると思います。
二回ほど、弁護士と接する際にこのような場面を見かけました。一つ目は、ある弁護士室で、数名の大法弟子は同修を救援する一心で弁護士と良い関係を築くため、彼に良いお酒や良いお茶を贈呈していました。ご周知のように、このような賄賂染みた行為は今の腐敗した社会でさえ非難されているのに、「師に手伝い邪風を阻止する」(『洪吟三』)であるべき大法弟子であれば、尚更このような行為とは無縁なはずではありませんか? 二つ目は、戸外で三人の弁護士と六人の大法弟子が食事を共にした後の帰り道、前で歩いている老人弁護士は両手をある女性同修の肩にかけて歩いていました。私はこの光景にびっくりしました。近寄ってきた一人の同修が私の眼つきを見て、事を丸くおさめようとこう言いました。「あの弁護士は少し足が不自由です」言い換えれば、あの女性同修は良いことをしているというのです。どうしても周辺に助けてくれる人がいなければそれはそれでいいですが、しかし、すぐ後ろに四人の男性がいるのではありませんか! 古くから、男女付き合いは正しく弁えるべきだと言われていますが、大法弟子なら尚更ではありませんか? 師父が要求されたように、私達は「大志を懐きながら細かいことに配慮」(『精進要旨』「聖者」)すべきではありませんか? 私たち皆が知っていますが、法を正す時期の大法弟子の言動の一つ一つに重みがあって、未来の人々に残されるものです。宇宙の神々が私達のこのような大法弟子のイメージに損傷をきたす行為を見た際、どう思われるのでしょうか。
三、弁護士との位置関係を正しく認識しよう
大法弟子としていられるのは私達の無上の光栄です。全宇宙の神々に羨望され、大法を実証出来るのは大法弟子の威徳と資格を備える人だけに限ります。
この時期に、正義を持つ弁護士の出現は決して偶然ではありません。これらの弁護士は幾ら表面上で良くできても、いくら非凡な能力や識見を持っていても、実際それは神の按排であり、神に加持されて出来たことです。それらがなければ、一人の常人は果たして何が出来ますか? 神がこのような按排をする目的は、大法弟子に手伝い、大法を実証することにあります。良く法を実証出来れば無量の威徳が得られ、反対に大法弟子とうまく協力出来なければ、あるいは阻害作用を起こした場合、彼らの未来は想像がつかないほど恐ろしいものになります。師父が『オーストラリア学習者への説法』の中で言及されたように、同修達はある常人の法学教授に崇拝する心を起こし、彼を大法弟子の成すべきことに参与させてしまいました。常人は神の成すことに参与出来ないのです。一旦参与した場合、大法弟子の修煉や大法を実証することの妨げとなり、危険な境地に入ります。また、常人の角度から弁護士との関係を考えて見ましょう。一人一人の弁護士に対し、私達は4~5万元を払って招聘しています。費用を払ったのであれば、私達の弁護士との関係は雇用者と被雇用者の関係となり、被雇用者は雇用者の一切の按排や要求に従うはずで、そうでなければ私達は彼を解雇し、または他人を選び直すべきです。
しかし、私達のところでは本末転倒の現象が現れています。一切を弁護士に従い、一切を弁護士に託しています。まるである家庭の主人が何事も使用人の言いなりになっているようで、可笑しくありませんか?
道義上でも、常人の間でも言われているように、人の金をもらえば、人の災難を無くすべきです。これらの弁護士は無罪の弁護をすることを承諾し、しかも金銭も受け取ったのであれば、自分達の約束を果たし、人間社会の道義を守るべきです。
近年、全国各地で正義ある弁護士を招聘することが増え、これは良いことです。しかし、その過程で私達は必ず理智を持ち、他の地区の良い経験や教訓を参考に、この大法を実証し、衆生を救う道をより良く、より広く歩んで行けるようにしましょう。