テレビで迫害事実を放送 法輪功修煉者が受けた壮絶な迫害(一)
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 【明慧日本2013年7月8日】「あの時、私は痛みで気絶状態になるところで、足が隠れる場所がなく置き場所もなく、あの感覚は正確に表現できないです。時間があまりにも長いと感じ、1分1秒はすべて生と死の瀬戸際の中で苦しめられ、体は極限の苦痛の中で懸命にもがいていました。私の頭の中には、ただ一念がありました。『彼らに頭を下げてはいけない、決して彼らにからかわれてはいけない』」

 上記は、大慶市の法輪功修煉者・朱秀敏さんが拷問を受けた様子を描いたものである。朱さんは法輪大法真相を伝えるため、かつて牡丹江市の陽明公安局に、管で叩かれ、からしオイルをつけてある雑巾で鼻穴を塞がれ、ビニール袋で頭に被せられたなどの手段で自白を強いられた。 

酷刑演示:塑料袋套头

拷問の実演:頭にビニール袋を被せられる 

 2002年に朱さんは、法輪功が迫害されている事実をテレビで放送したため、懲役7年の判決を下され、黒竜江省女子刑務所で残虐な迫害を受けた。朱さんはスタンガンで電気ショックを加える・凍えさせる・暴力・長時間に腰掛けに座らせる・立ったままの姿勢を強制・睡眠はく奪などの拷問で苦しめられ、また奴隷のように酷使され、監視され・買い物を禁止された。

酷刑演示:电棍电击

拷問の実演:スタンガンで電気ショックを加える  

 九死に一生を得た朱さんは「私は生きて帰ることすら想像できなかった!」と語ってくれた。 

 以下は、朱さんが自ら述べたものである。

 私は朱秀敏と言います。生まれてから性格が単純で、人と人の間の腹を探り合い暗闘することに対して、とても慣れず、ずっと心の清らかな環境を探していました。1998年10月『轉法輪』を読んだ時、これが私の探し求めていたものであり、人は何のために生きているかを知り、どのように生きるべきかも分かるようになりました。 

 しかし、良いことは長続きせず、1999年7月、中国共産党が全国範囲で、新聞・テレビ・ラジオなどのメディアを利用して、公然と虚言を流して法輪大法を中傷し、善良な法輪功修煉者を迫害し始めました。

 一、公安局長「信じるか、お前の服を全て脱がしてやる!」 

 世間の人々に法輪功の真相を伝えるため、私と他の修煉者はケーブルテレビに割り込み放送をしました。2002年4月26日、法輪功修煉者・王学士さんは放送最中に、陽明区公安支局に連行されました。その時、王さんは電信柱の上におり、車を発見した時はもう離れる余裕がありませんでした。 

 5月8日午後1時頃、私は駅で4人の警官に連行され、その時、私は「なぜ私を逮捕するのですか」と叫び、10メートル以外の法輪功修煉者・崔さんに合図を出しました(その後、崔さんは連行され、肋骨が折られ、無残にも打ち殺された)。私は車の中に押し込まれて、頭は席の下に押し付けられ、携帯電話と財布は奪われました。 

 私は、陽明公安局の鉄椅子に手錠をはめられ、しばらくして局長の朱は部屋に入り、気が狂ったように私の頭を殴りながら「お前らを捕まえるため、俺達は半月余りぐっすり眠れなかった。信じるか? お前の服を全て脱がしてやる! 私ができないと思っているのか?」と大声で喚き立てました。私はとても堅く言いました。「あなたはできません」彼は「俺にその勇気がないと思っているか?」と迫りました。 

 彼は言いながら私に近づきました。私は大声で「あなたはできません。一つは、あなたは警官で、土匪ではないからです。二つ目は、私とあなたに個人的な恩讐はありません。私達のやっていることはあなたに向かったものではないと分かっているでしょう。私はあなたができないと信じています」と彼に言いました。彼は気を落として、態度を変えました。あとで派出所の指導員が来て、ずっと私は自白するように偽善的に説得しました。 

 私を連行した2人が入って来て、私の足の上の鉄製チェーンを外して、また意志の固い法輪功修煉者を探し当てたと言って、慌ただしく去りました。出る前に私に一言投げました。「お前の仲間が捕まった、待っておけ」 

 二、管で叩かれ、からしオイル雑巾で鼻穴を塞がれ、頭にビニール袋を被せられる 

 私の手足は鉄の椅子に固定され、靴下を脱がされました。背の低い人はゴム管を三つ折りに捩じり、思い切り私の足を叩きました。叩きながら「もっぱらお前の足を叩いてやる、足の爪を紫黒にさせてやる、剥がれるまでな」と叫びました。 

 第1発目は、あまりの痛みで、私は思わず叫んだため、彼らは大笑いして汚い言葉を言い出しました。私は二度と声を出さず、彼は必死に叩いても、私は無表情で何の反応もないことを見て、とても不思議に思いました。「きつく締められて、感覚がない」と言い、チェーンを少し緩めてから、また殴り始めました。私はずっと静かに彼らを見つめました。

 あの時、私は痛みで気絶状態になるところで、足が隠れる場所がなく置き場所もなく、あの感覚は正確に表現できない。時間があまりにも長いと感じ、1分1秒はすべて生と死の瀬戸際の中で苦しめられ、体は極限の苦痛の中で懸命にもがいていました。私の頭の中にただ一念がありました。「彼らに頭を下げてはいけない、決して彼らにからかわれてはいけない」

 それから、彼は私の全身を打ち始め、どのくらい時間が経ったかは知りませんが、ようやく止めました。彼はテーブルの上にある5、6本のからしオイル瓶を指さして、「これらが空になったから、また用意する。俺達はお前らをやっつけるため、多くの経験を積み重ねた。『太空帽子』もある」と言い、背の高い人は手を出さず、側で見ていました。

中共酷刑示意图:人为窒息

拷問のイメージ図:窒息させる 

 低い人はからしオイルを雑巾に塗り、私の鼻に塞いで、迅速にビニール袋を被せました。私は彼らにからかわれるより死ぬ方がましだと思い、その瞬間、息をしませんでした。彼らは私が驚いたりもがいたりする様子を待っていましたが、ビニール袋は静止するままで、何の動きもありませんでした。彼は不測の事態があると感じ、ビニール袋を引き裂いて、私の鼻穴に水をかけて、オイルが鼻の中から流れて下りてきました。この時に私はやっと息を吸いました。互いに沈黙を続けた後、彼は「私は多くの人を拷問したことがあって、手を緩めることはなかったのに、今回は手が下せなくなった」と引き揚げました。 

 私は留置場で、法輪功修煉者・曲玉萍さんが拷問を受けた光景を目撃したことがあります。警官は曲さんの髪を引っ張り、鼻の穴が上に向くようにして、直接オイルを注ぎ込みました。曲さんは直ちに鼻水と涙が一斉に湧き上がって、それでもビニール袋を被され、呼吸ができなくなりました。曲さんが袋を噛んで破った瞬間、またもう一枚を被せられ、気絶して鉄の椅子と一緒に倒れました。それで、冷たい水をかけられて、目が覚めた後に引き続きオイルを注ぎ込まれ、また卒倒して、何度も繰り返しました。

 三、黒竜江省女子刑務所で様々な拷問を受ける 

 2002年5月10日、私は牡丹江市第2留置場に連行され、10月に王学士さん・徐亜力さんと同時に懲役7年の判決を言い渡されました。 

 2003年1月、私は黒竜江省女子刑務所の合同訓練隊に送られました。当時の刑務所の建物と設備が非常に粗末でした。前のビルは監室で、後ろのビルは食堂とボイラー室として使われていました。身内のいない受刑者が亡くなった後、死体はボイラー室の裏に投げられ、死者の顔がネズミにかじられ、本当に悲惨で見ていられない光景でした。 

 食堂ビルの2階は昼間は教室として使い、洗脳歌曲を流したり、法輪功修煉者を「転向」させるビデオを放映したりして、刑務所の規則を暗記するように強制しました。夜は宿舎として使い、机と椅子の上にぎっしりと人が詰められていました。 

黑龙江省女子监狱
黒竜江省女子刑務所

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/24/275755.html)
 
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