【明慧日本2014年3月1日】黒竜江省の王樹森さんは、慶安県民楽郷解放村で1966年11月18日、6人兄弟の4番目として生まれた。上の兄は身体障害で、家族の暮らしは非常に貧しかった。1986年に王さんは大学に合格したが、普通の農民の収入では学費が負担できないため、身体障害の兄が卵を売って、大学を卒業させてくれた。
1990年、王さんは卒業した後、同省鶴崗市の興安鉱地測課に就職した。王さんの人となりは素朴で温厚、苦労をいとわず、上司と同僚から高く評価されていた。しかし、王さんは深刻な結核性胸膜炎・胸積水と心臓病を患い、入院して治療しても好転しなかった。
一、法輪功を学び効果を実感
1996年のある日、王さんは広場で散歩していた時、知人が法輪功を紹介してくれた。王さんはその場で学び始めて、しばらく修煉してから、体の病状はすべて消え、顔が赤くて艶々し、親友は皆「王さんが別人のように変わった」と驚いた。
王さんは「真・善・忍」に基づいて心性を高め、良い人になるように努力し、常に自分を厳しく要求し、職務を利用して私利を図ることは一切なかった。同僚たちは今でも王さんのことを忘れられないという。
二、無実の罪を着せられる
1999年7.20から、現地の新建路派出所の警官は何度も王さんの家に嫌がらせに来た。1999年末、王さんは北京へ行き法輪功が迫害されている真相を伝えた時、鶴崗市興安区新建路町内の書記・張に現地まで連行された後、鶴崗市留置場に半月間拘禁された。張は王さんの妻の所から1千元をゆすり取って、今なお返していない。
中共(中国共産党)の派出所および関連部門は、王さんが再度陳情することを恐れたため、2000年の正月16日早朝8時に王さんを連行した。王さんは鶴崗市留置所・鉱区留置所・第1留置場に転々と拘禁され、殴打・灌食・牢屋・立つ姿勢を強制・罵倒・睡眠剥奪・労役などの迫害を受けた。2000年7月8日、警官は危篤の王さんを鶴崗市病院に放置し、その場を去った。
王さんは帰宅した後、学法と煉功を通じて、体が回復した。勤務先に戻った時、副課長の職務と政協委員の資格を取り消されたことが分かった。その後、勤務中にもかかわらず、管轄区域派出所・鉱区派出所・保衛科・区政府・町内・610弁公室などの嫌がらせは絶えなかった。王さんは家財を没収され、監視され、電話を盗聴され、夜中に電話がかかってきて、何度も呼び出された。
三、テレビで真相を割り込み放送
2002年4月20日、王さんと他の法輪功修煉者は鶴崗地区のケーブルテレビで、「天安門焼身事件」の真相映像を差し込んで放送し、中共政府の虚言を暴き出した。真相映像をテレビで20分ほど流し、多くの民衆が見ることができ、「あの映像は本当にすごい。疑問点についての分析は確かな根拠があり、夢中になっているところで突然停電した」と視聴者が言った。中共鶴崗市委と関連部門が強行して電源を断ち切ったことが後で分かった。
4月21日、鶴崗市公安局は全市規模の連行が始まった。同市の興安区新建路派出所の警官は王さんの家に押し入り、むやみに部屋を荒らし、数人が王さんを担いで強制連行した。王さんの幼い息子はこの恐ろしい場面を目の当たりにした後、笑顔が消えて一歩たりとも母親から離れなくなった。
当日、法輪功修煉者の張躍明さん(懲役19年)、郭忠権さん(懲役14年)、郭興国さん(懲役15年、呼蘭刑務所で迫害され死亡)が連行された。楊永英さんは数年後に懲役17年を言い渡された。当時、600人以上の法輪功修煉者と家族が連行され、鶴崗市留置場は「人が多すぎて負えなくなった」と話していた。鶴崗市市委書記・張興福の指示の下で、警察・検察・裁判所などの部門は、王さんに対して残虐な迫害を実施した。
四、信念を貫く
テレビで真相映像を流した翌日の朝、鶴崗市公安局・興安支局・管轄区域派出所・鉱区派出所・区政府・610弁公室は次から次へと出動した。300人以上の警備体制の中で、王さんを鶴崗市第2留置場まで連行し、その後、第1留置場に移送した。
拷問のイメージ図:手枷足かせで地面につながれる |
王さんは数日連続して自白を強いられ、両手を吊るし上げられ、「大掛」という拷問具に掛けられ、殴ったり蹴ったりされ、木棒も加えられ、手枷足かせで地面につながれ、冷水をかけられ、鉄の椅子に縛り付けられるなどの拷問を受けた。王さんは全身青紫色になり、内傷を負って、何度も吐血し、鼓膜が破れ、何度も気絶した。公安局の副局長・張春青は自ら加担し、「お前を死なせてやる、打ち殺しても俺達は関係ない」と狂気じみて叫んだ。
拷問のイメージ図:吊し上げられる |
2002年10月、王さんは工農区裁判所に懲役18年を宣告された。妻の李暁峰さんも懲役2年の不当判決を下され、家には7歳の息子だけが残されている。
12月28日、王さんはハルビン第3刑務所に拘禁された。合同訓練隊では、「三書」を書くことを強制され、長時間立つ姿勢を強制され、労役をさせられ、睡眠を剥奪されるなどの迫害によって、何度も気絶して、病院に運ばれた。
2003年3月、王さんはまたハルビン刑務所6大隊に拘禁され、「三書」を書かされ、労役を強いられ、監視役を配置されて、人と接触することは一切許されなかった。王さんは意識がもうろうとして何度も倒れた。
2004年6月、ハルビン刑務所は法輪功修煉者に対して「暴力的に転向させるキャペーン」を実施することによって、法輪功修煉者・王大源さんを死亡させた。事件が暴き出された後、真相を覆い隠すため、刑務所は2004年7月1日の明け方に、78人の法輪功修煉者を大慶刑務所・牡丹江刑務所と泰来刑務所にそれぞれ分散させた。王さんは他の30人の法輪功修煉者と一緒に大慶刑務所に連行された。
王さんは5監区に監禁され、24時間監視され、会話を許されず、暴行・灌食・牢屋などの手段で迫害され、家族との面会も許されなかった。2007年8月14日、王さんの妻は息子を連れて大慶刑務所を訪れたが、3日間待っても会うことができなかった。
2008年5月、大慶刑務所長・王永祥と副所長・李威竜は自ら迫害に加担し、警官・楊友竜に木の金槌を特別に作らせた。法輪功修煉者は殴られ、汚水とジュースをかけられ、板で叩かれ、夜中に突然暴行されて目覚め、お金をゆすり取られて労役させられ、法輪功と創始者を罵ることを強制された。王さんは体中傷だらけで、気絶して何度も病院に運ばれた。法輪功修煉者の安醒さん・劉宏図さん・杜徳平さんは皆殴られて変形するほどであった。
警官・楊友竜は必死に迫害に加担したため、2監区の副監区長に選ばれたが、就任したばかりで脳梗塞を引き起こして入院し、未だに激しい運動ができないという。
王さんはすでに12年間、不当に拘禁されている。
五、中共政府は王さんの妻を判決
2002年4月23日、王さんの妻・李暁峰さんは勤務中に鶴崗市留置場まで連行された。留置場で警官は李さんをビンタしたり、髪をぐっと引っ張って壁にぶつけたりした。李さんは夫をかくまったとして2年の判決を下され、ひどい迫害を受けたため、1年余り入院した。2004年、李さんは帰宅したが、家に戻る2カ月前にすでに仕事を除名された。夫は懲役18年を言い渡され、子供はまだ小さく、自分の公職を除名され、生計を立てられなくなった。
拷問の実演:髪を引っ張って壁にぶつけられる |
六、天が母子を加護する
王さん夫婦が連行された時、子供はすでに小学校に入っていた。当時、生活の貧困や成績の優秀な子供を援助する夫妻により、王さんの子供を小学校まで出資し援助してくれた。
子供は中学校の時、先生も同情してくれて、数人の善意の人に助けて貰い、優秀な成績で鶴崗市第一高校(黒竜江省重点学校)に進学した。
子供は高校の時代、善意の人達の助けの下で、ある難関大学に合格した。入学通知書を受け取った後、王さんの同級生の友人は感激して、次から次へと助けの手を差し伸べてくれた。それぞれ数千元を出資し、大学に行けるように資金を集めた。簡単な謝恩宴会では、子供は順番に挨拶する際、刑務所のお父さんを思い出したせいか、顔の表情は重々しかった。
七、良知を呼びかけ、王さんを救出する
本来、徳を重んじて、品格の高尚な人は社会に尊重されるはずだが、今の中国では、王さんのような善良な人は残虐に迫害され、冤罪を被されているのが王さん1人だけではない。ここで正義ある人と正義の国に呼びかける。善良な手を差し伸べて王さんのような人を救援し、1日も早く解放され、1日も早く迫害を停止するように望んでいる。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)