職場の中での修煉体験
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文/日本の大法弟子

 私は11年前に法を得ました。同修が、会社の屋上で行っている煉功に誘ってくれたのがきっかけで修煉をはじめました。最初のころは自分の健康のことしか考えることができませんでした。しかし、学法するようになって大法の素晴らしさがわかり、多くの人に大法に恵まれてほしいと思うようになり、職場の人々にも洪法・真相説明するようになりました。

 一、大法弟子の自覚をもって行動する 

 学法を始めてから、自らを真善忍で律することを学びました。会社の中でも大法弟子として自分の良くできていないことを改善するように心がけ、より善い人ならなければなりません。

 以前は嫌いな人には優しく接することができませんでした。それで相手にもかなり悪い印象を与えていました。私は会社の中で苦手な人を克服するように努力し始めました。ある時、私が苦手としていた女性が相談に来ました。彼女は私が嫌な態度をとるのではないか、と思っていたようでしたが、私は快く相談にのり適切に対応しました。このことがきっかけで、彼女の私への態度も変わりました。このようにして誰にでも親切に丁寧に対応し、善い人であるようこころがけるようにしました。徐々に苦手であった人に親切にできるようになり、以前の自分を克服することができ、職場の人々から頼られるようになりました。どのような人にもどんな時でも大法弟子であることを自覚し、親切に対応することができるようになり、人間関係のトラブルも解消されました。 

 会社では職場の人たちは毎日私と顔を合わせ、長い時間私を見ています。そのため、大法弟子としての行動に気を付けていなければなりません。身なり、作業着や作業靴の汚れはないか、机の上は整頓されているかなど当たり前のことができていなければ、かなりマイナスのイメージになります。それで同修に私の良く出来ていないところを指摘してもらうように頼みました。指摘を真摯に受け止めすぐに改善していくことが大切です。指摘を受ける時は辛い時もあり、分かっていてもすぐに直せないこともありますが、一人の行動のために大法のイメージが悪くなるようではいけないので改善するよう努力をしました。その他、昼休みの煉功開始時間を少し早めて午後の仕事が余裕をもって始められるように改善し、誰かが私を悪く思っているようなことを同修が耳にした時は教えてもらい、自分を振り返り改善するようにしました。会社内で大法の良さを伝えることはかなりの努力が必要です。

 大法弟子として常人と同じレベルでいてはいけないので、更に自分への要求を厳しくしなければなりません。そこで、私は人が嫌がる仕事でも率先してやるようにしました。例えば、清掃は皆やりたがらない仕事の一つですが、率先して行うようにし、職場の美化に務め、周りにも働きかけました。それにより、トイレもきれいに保たれるようになり、資材置き場なども整理され、掃除に来る方に「最近はとても環境が良くなった」と褒められるようになりました。

 二、職場の人々への洪法活動

 会社での煉功は昼休みに屋上で行っており、会社内にも案内しています。私は煉功音楽を準備する担当になり、社員の誰がいつ習いに来てもいいように毎日決められた時間に必ず行っています。私が不在の時は他の同修が準備します。煉功を新しい社員へ紹介する時もしつこい勧誘にならないように心掛けています。

 屋上には日光を遮るものは無く、夏は暑く外壁の温度は60℃くらいになることもあります。冬は風をよけるものもなく雪や霰が降ったこともありとても厳しい環境です。そんな中で帽子をかぶることもなく、防寒服を着ることもなく毎日煉功しています。

 会社の人々への真相説明は昼休みや出張時などに行うようにしています。話をするのもしつこい勧誘にならないように気をつけ、真相を伝えることを一番に考えて行っています。

 ここで迫害停止の署名活動を社内で行ったことについて紹介します。私は各職場を回り、一人一人に真相を説明し、署名したい人だけに署名してもらいました。勤務時間中に行うと会社からのクレームになるといけないので、かなり気を付けて、主に昼休みと業務終了後に行いました。私の話をよく聞いて快く署名する人が多かったのですが、中には自分は業務の関係上署名ではきないと断る人もいました。また、この署名活動に不満を感じた人が会社に話を上げ、同修に注意しました。この同修からは活動をやめた方が良いと言われました。他の同修とも交流し、真相を伝えることは人を救っていることであり、署名を強制したわけでもなく、勤務時間内に活動したわけでもないのでやめる必要はないと判断し、最後までやりました。

 ある職場では他社から5人ほど来ており、その人たちにも説明することができ、すぐに署名をしてくれました。これまで仕事で接触する機会のなかった人にも署名活動をきっかけに真相を伝えることができ、ほぼ全員の人に真相を説明することができました。

 署名活動に対し会社からの注意があったことで、常人のルールに符号しながら行っているのかを振り返り一層注意して行うようになり、また自分たちは人を救うとういう重要なことを行っており安易にそれをやめるようなことをしてはいけないと改めて思いました。

 これ以後も新しく入ってきた人には、その都度機会をみて真相の説明を続けています。

 三、新しい職場での修煉

 3年前に福岡の子会社に異動することになり、年取った両親を熊本に残し、福岡と熊本を往復することになりました。新しい環境での修煉も、これまでの8年間の経験で続けていける自信もあり、あまり気にしていませんでした。

 しかし、新しい職場は今までとは全く違う仕事で20年あまり勤めて培ってきた知識を生かすことはできず、一から始めなければなりません。今までの職場がいかに整った環境であったか改めて知らされました。誰も親切に教えてくれるわけでもなく手探り状態の中、様々な辛い経験をすることになりました。仕事に慣れるまで時間がかかり、学法も煉功もする余裕なくなりました。しかし、常に仕事に執着しないよう心掛け、パソコンでの学法の時間に間に合うよう努力しました。少しの時間を作って会社でも煉功しました。すると、早く出社する必要もなくなり、会議で意見が通るようになるなど状況が改善され時間が取れるようになりました。いくら忙しくても学法し、大法弟子としての自覚をもって行動することで状況が改善されることが分かりました。振り返ってみると、自分の心性を向上させるのには大変良い環境だったということが分かりました。

 新しい職場でも、法を正す時期の弟子として大法の素晴らしさや真相を伝えていくことは行わなければなりません。外出する機会が多く出張の時や市場調査の時を利用して真相を伝えました。ある男性社員が異動してきました。彼は法輪功を良いと思っていないという噂を聞きました。それで彼と会議に行くことになった時、車の中で法輪功をどう思っているのか尋ねました。彼は迫害のことは知っていましたが、真相は知らなかったので説明しました。そして、どこか良い練習場所はないかと尋ねると、彼の母校を紹介してくれました。法輪功を良いものと思っていなかったなら自分の母校を紹介するはずはありません。目の前にいる人への洪法を怠ってはならず、自分の責任の重さを強く感じ、どこでも自分が出会った人への真相説明を確実に行っていかなければならないと思いました。

 社内での洪法は徐々にやり出しましたが、あまり休暇も取れず異動する前のように行動できていませんでした。だんだんとそのような状況に慣れてしまい、自分を緩めてしまっていました。ある時、家で何かのCDを探していると、別のCDが出てきたのでどんな内容なのか見てみました。それは、2005年に熊本で開催された「法輪大法体験交流会」のビデオでした。今から8年前の自分が修煉体験を発表している姿がありました。今の自分とは違う人のようでとても勢いがあり、一生懸命にそれまでの体験談を語っていました。修煉を始めたきっかけから、体が健康になったこと、人間関係のトラブルが改善されたこと、大法の大型活動に初めて参加した日のことや、2004年に初めてニューヨークの法会に参加した時のこと、師父の按配や多くの同修の助けがあったおかげでそれまで修煉できたことなどでした。『轉法輪』の最後の方にある「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越えられそうもない時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行い難いと言われても本当にできるかどうか試しにやってみて下さい。もし本当にやり遂げられればきっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」という文章を心に刻んで修煉していたことを思いだし、それを見て本当に涙が出て仕方がありませんでした。

 『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』に、「修煉者は長期にわたる修煉の過程で一貫して強い正念を保持し、法を得た当時の心境、初期のときの純粋で清らかな心を保持することができれば、それは本当に素晴らしいことです」とあります。初期のころの自分を見せられ、今の自分とのギャップを感じ、このままではいけない、もっと自分を引き締めて修煉者らしく行っていかなければならないと自分を振り返ることができました。

 四、職場以外への洪法活動の中で自分の不足を見出す

 師父は『二十年説法』で「修煉はまだ終わっておらず、引き続き大法弟子として行うべきことを行い、今後のことをしっかり行い、あなたにとってまだたくさんの機会と時間があります。しかし、もしたくさんのことをしっかり行わなかったら、本当にたくさんの悔いが残ります」と説かれています。これを読んで本当に何か行うべきことを行わなければという気持ちになり、熊本の同修に相談し、熊本市議会議員へ真相説明を行うことにしました。

 以前同修と一緒に活動した時、私は横で発正念をしていました。今回は別の同修と二人で訪問し、主に私が真相説明し彼女がフォローしてくれました。最初に訪問した議員には、あまり思うように話ができませんでした。二番目に訪問した議員にも同様にあまり話すことができず、質問に返答できないこともありました。内に向けて良く考えてみました。私は自分が真相説明しに行くのに、あまり自分で準備をしていませんでした。分かっているつもりで、いざ説明するときになるとできていませんでした。以前一緒に活動していた同修がいかに用意周到に活動を行っていたのかが分かりました。相手を見て色々な角度から話をしていかなければならなかったのです。活動する場合、ただ行うのではなくきちんと行わなければ、やらない方が良いと師父もおっしゃっています。相手のことをよく考え、相手に合わせた真相説明をできるように用意をして行動しなければ、相手を救うことはできないのです。相手を救うことを第一に考え、慈悲の心で物事を行っていれば自ずとやるべきことは見えてきて、アポイントの取り方から、話し方、すべてが相手を救うことのために行うことができ、それを成功させることになるのだと分かりました。私は相手を思う気持ちが足りず、自分のことを先に考えていたのです。自分の足りない部分を補って、人心を放下し、衆生を救い済度することに役に立つようにもっと精進しなければならないと思いました。

 以前にも議員へ真相を伝えていましたが、その後交代もあり新しい議員への真相説明を行いました。私たちの大法の活動に感動する議員、また以前渡した資料をしっかり見て、よく知っている議員もいました。直接話ができ、訪問を断る議員は以前ほどいませんでした。熊本の大法弟子の地道な行政への真相説明が行き届いており、以前とは状況が変化しているのだと感じました。どんな人にも慈悲の心で平等に接しなければ相手を救うことができません。師父の按配のおかげで自分の不足を見出すことができました。師父に感謝いたします。

 これからも修煉を始めた当時のことを振り返りながら、法に則って三つのことをきちんと行い、限られた法を正す時期の大法弟子であることを大切に思い、心の中から協調し、精進していきたいと思います。

 (二〇一三年日本法輪大法修煉体験交流会で発表)

 
 
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