「利益を求める心」を取り除く
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 【明慧日本2014年4月25日】先日、私は娘と洋服を買いに行きました。帰宅途中に娘が「お母さん、会計した時、請求金額が300元少なかったことに気づいた?」と言いました。私は「本当? 全然気づかなかった。早くお金を返しに行こう」と言いましたが、娘は「今の店は良心に背く手段を用いてお金を儲けているのよ。私達のせいでもないのに、お金を返す必要はないんじゃないの」と言いました。私は「とりあえず、店に戻って店員さんの話を聞いてみましょう」と言い、私達は店に戻りました。

 店に入ってすぐ、私は「先ほど、そちらの計算違いで、請求金額が300元少なかったのでお金をお返しするためにここに戻ってきました。私は法輪功修煉者です。でなければ、私はここに戻ることはありえません。今の人はお金を盗みたければ盗むのに、返すなんてことはありえないと思います。このお金はどうしたらいいですか?」と言うと、店員は「百元だけで十分です」と言いました。その時、私はそれに反対せずに、戻された200元を持って帰宅しました。

 夜の学法の時、不安を感じました。師父の法像を見る勇気もありませんでした。内に向かって探すと「利益の心」を放下していないことが分かりました。お金を返すかどうか、店員に聞く必要はありませんでした。もしかしたら、自分は300元を全部返したくない思いがあったのではないでしょうか? 考えれば考えるほど、法理に沿っていないと思いました。師父の経文『精進要旨』「修める者の忌」が脳裏に浮かびました。「金銭に執着するならば、財を求めて偽って修め、教を壊し、法を壊し、一生を空しく過ごして、佛を修めてはいないのです」。私は心が震えました。いつも自分は「利益を求める心」はないと思っていたのに、今思うと非常に情けなく思いました。

 私は夫に「明日、この貰うべきでない200元を店に返しに行きます」と言いました。夫は「また返しに行くと、本当の変わり者だと思われますよ」と言いましたが、私は「師父の『真・善・忍』の要求に従ってに良い人になります。さもなければ、私は法輪功修煉者ではありません。『真』の境地に達していません。このお金はどうしてももらえないのです。明日必ず返しに行きます」と言いました。

 翌日、私は200元を持って店に行きました。この200元をもらえない経緯を話しました。すると、店員は非常に感動し、大法弟子と普通の人の違いが分かり、「法輪大法は素晴らしい」と「ありがとう」の連続でした。その時、私は心から師父の弟子としての幸せを感じ、誇らしく思いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/20/290182.html)
 
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