文/中国東北地区の大法弟子
【明慧日本2012年10月30日】このタイトルを書き出して、心の中は感慨無量です。私の妻と息子はともに、一万人に一人いるかいないかほど特別な人間だからです。
妻はとても怒りっぽくて独善的な性格で喜怒哀楽の激しい人です。家庭の中のことは何でも妻の一存で決め、彼女の前で私は少しの威厳もありません。修煉する前、私 は何回も密かに「離婚だ! 絶対離婚する!」と誓いを立てましたが、妻の実家の「勢力」はとても強く、一族には姉妹が多くて、義母は「離婚を考えているの? 全財産を放棄する覚悟があれば離婚は可能よ」と宣言しました。その時、私は離婚を断念し、人生の無常と不公平を嘆きました。友人も「あなたの才気と男前で、どうしてこんな妻をもらったのか」と同情してくれていました。
息子は生まれつき多病で、勉強が嫌いで不登校になり、早々と恋愛をする、ネットカフェに溺れて数日も家に帰らない、悪い連中と酒食遊楽にふけるなどして、 金がなくなったら家から盗みます。最初は数十元、数百元から始まり、ついに1万元(約14万円相当)まで平気で盗みました。息子は内気な性格で、箸にも棒にもかからない人間です。私の母はよく「お前の息子は、万人に一人もいないほど扱いにくい子だ。将来はどうするのか」と心配しました。
このような家庭環境の中で、私はどのように修め、どのように精進し、どのように内に向かって探しながら、大法の慈悲をもって妻と息子の歪んだ心を温めて矯正できたのでしょうか? 10数年来、私が歩んだ一歩一歩は苦難に満ちていました。私は絶えず内に向けて自分を探し、自我を放下するうちに、妻と息子も家庭環境もますます良くなってきました。
家庭の難関が一番大きかったのは修煉の初期です。当時、息子の成績が思わしくないため、私は息子を費用がとても高い私立学校に入れて、将来、息子を良い大学に進学させ、さらに海外へ留学させたいと計画していました。息子の出世でメンツを立てたいという虚栄心が大いにありましたが、息子は勉強が嫌いでよく先生に叱られました。
ある日、私は先生に学校に呼ばれました。私は長時間かけてバスに乗り、やっと学校に着くと、ミスを犯した哀れな小学生のように、教室の外で30分も先生に待たされました。その後、彼女は冷たい態度で「お宅の息子は授業中に遊び、宿題もやらず、夜は校舎の壁を越えて外のネットカフェに行ったりします。私はどうしようもありません。息子さんを引き取ってもらいましょうか」と話しました。自分より10歳以上も年下の女性にこのように怒られても、私は何も言えませんでした。自分の息子がこのように駄目なので、先生に言い返すことが出来ませんでした。
家に帰ると妻は「先生は何を言ったの?」と聞きました。私は不満と悔しさがこみ上げて、「あなたの自慢の息子は、いつも私に恥をかかせる……」と言うと、 なんと、妻は反省するどころか「息子は父親が育てるべきです。息子さえうまくしつけられないなんて、大法を修煉しても無駄です」と言いました。その時、私の心の中はとても苦しくて、どうすればよいか全く分かりませんでした。
ある日、息子を叱った時、息子が口答えをしたので、私はとうとう心性を守りきれなくなって、息子に手を出しました。そして憎々しげに「善悪にも応報がある。お前はこのままだと、いずれ悪の報いに遭うぞ。その時になったら、お父さんは道理を教えなかったと言うでないぞ」と言いました。しかしその後の数日、 私自身の体はずっと痛かったのです。とうとう私は我慢しきれなくて泣きました。心の中で師父に、「師父! 私はどうしたらよいでしょうか、どうしたらよい でしょうか?」と問いかけました。
当時の私は内に向けて探すことができず、大法で怨恨を善解させる道理も分からず、どのように旧勢力を否定するかも分からず、難関を突破する時はただ無理やり我慢して我慢して、我慢しきれなくなったら爆発しました。学法もしていますが、本当に法理に従って実行していませんでした。息子の「悪」の一面が私の人心と観念にぶつかるたびに、私は執着を放下して心性を高めるのでなくて、自分の考えに固執して、彼は我が息子だと思うだけで、衆生として見ていませんでした。そのため、情に左右されて、息子との対立も際立ったのです。私はよく自分の考えを彼に無理やり押しつけて、厳しい顔で、こうすべきだ、ああすべきだと説教しまし た。息子はいつも黙って聞いて、最後に「まだほかに言うことがあるのか」と聞き、私が「ない」と言うと黙ってすぐ立ち去りました。彼の後ろ姿を見ながら、「かれは魔ではないか」と私はよく思いました。
私が息子をしつけようとすると、妻はいつも息子の味方になって私を罵ります。また、私が家事をしないと言って私を罵倒します。しかし私が家事をすると、今度は「キッチンを汚した」とまた私を罵倒します。何回か、私はわざとキッチンに立って何もしないでいると、妻は客間から「あなた、またキッチンを汚しているでしょう」と罵りながら「視察」に来ます。その時、私は法理がはっきり分かっておらず、家庭の難をただ個人修煉の難として対応し、法を正す角度から旧勢力の按排を否定しませんでした。妻から見ると、私は優しくて、虐めてもかまわない人間なのです。
私の商売はずっと繁盛して、生活条件は悪くないのですが、妻は節約癖があり、私が食べたいものを作ってくれず、私が食べたくないものばかり作りました。ある日、長く肉を食べていない私が久しぶりに豚肉の角煮を買ってくると、妻は罵倒しながら豚肉をごみ箱に捨てました。たぶん、私が肉を食べたい執着心を取り除くことに妻は手を貸しているのだと思いますが、心の底にはやはり苦しみと不満があります。「お金をたくさん稼いでいるのに、肉を一口食べることさえ満足にできない。男として私はあまりにも情けない。もし大法を学んでいなければ、きっと妻と殴りあっていただろう」と考えました。師父は『転法輪』の第四講に「以前は多くの人が、心性を守り切れないた めにさまざまな問題が起き、ある次元まで修煉が進んだのに、それ以上向上することがなかなかできませんでした」と説かれました。ここを読むたびに、私は必ず今の次元に止まらずに突破していこうと思いました。
学法して法理に対する理解が高まるにつれて、妻と息子がこのように私を苦しめるのは旧勢力の按排で、前世にきっと私と悪縁を結んだので、このような家庭の難関から私は抜け出ることができるかどうかを旧勢力が見ているのだと、私は分かりました。家庭の難を乗り越えられれば、私は基準に達したと旧勢力も認め、 乗り越えられなければ、旧勢力はきっと私を駄目にして、同時に妻と息子も駄目にすると思います。私はこのような按排を決して認めたりせずに、徹底的に否定しました。それから妻と息子に大法の真相、身を処する道理、善悪応報の事実を教え、大法の素晴らしい力でまず身辺の肉親を救い、良い家庭環境を切り開こうと決心しました。それから、妻と息子が反対する時には私は沈黙し、彼らの気分が良い時に、私は引き続き大法の真相と身を処する道理などを伝えました。
最初、妻と息子は私の言ったことを信じず耳も貸しませんでしたが、だんだんと、少しずつ受け入れるようになり、時には質問もしたりしました。私は自信がついて、もっと根気良くなりました。
でも、その数年間、私が最も困っていたのは、息子の悪習と妻の性格です。息子は小学校の時から、家からお金を盗み始めていました。私にばれた時、お金は友人から借りたと嘘を通そうとして、妻は私が息子を問い詰めると私を止めました。私は怒って驚きました。これらの事は常人の理で対応すべきではないと分かり、内に向けて自分の執着を探しましたが、お金を惜しむ心なのか、息子に対する恨みなのか、息子を厳しく処罰したい心なのか根を探し当てることはできませんでした。
それ以降、息子は私たちの財布に目をつけて、私と妻がちょっと油断したら、息子は数百元ないし数千元(1万円は約800元)を盗みました。私と妻は毎日の売上金を店の金庫に置き、できるだけ家に現金を置かないようにしました。こうして家ではしばらく何も起きませんでした。
しかし、息子のほうは少しもお金に困る様子が覗えませんでした。息子は靴と洋服を買うことが好きで、靴は一足500元以上、服はすべてブランド品で、1枚は千元近くします。そのうえ、数日経ったらまた新しい靴を持ち帰ってくるので、家には彼の靴がたくさんあります。どこから来た靴なのかと聞くと、友達がくれたものだと息子は答えました。ある日、私はクリーニング店へ行った時、店長から「○○さん、息子さんの靴を持って帰って下さい」と声を掛けられました。 「息子はここで靴を洗っているのですか」と聞いたら、店長は「そうよ、一回15元で、もう数年前からここで洗っている」と言いました。息子がこんなにお金を浪費していると知って、私はとても悲しくて気持が重くなりました。自分の修煉がしっかりできていないせいで、家族と私の間にはずっと一枚の壁が存在しているように感じました。「私は大法弟子として不合格だ。一体私はどうしたら、妻と息子が良くなるのだろうか、私は一体どこが間違ったのか」とよく自分に問いかけていました。
(続く)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/10/19/135959.html)