明慧法会|勇猛邁進して真に修める弟子になる(四)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年4月27日】

 四、執着心を修めてなくす

 私は地元で初めて携帯電話で真相メッセージを送りました。当時のメッセージの内容は全部私が編集し、一つひとつ番号を入力して送りました。メッセージを送る中で一番現れたのは闘争心でした。ある日私は明慧ネットで地元の警官の電話番号を見かけ、その人に2通のメッセージを送りました。即時に迫害をやめなければ、必ず悪の報いが現れるという内容です。その人の返信は、悪口ばかりで、師父を誹謗中傷する文言もありました。私はその人に「悪事をやめなければ、地獄に落ちます」と返しました。その人は「地獄に落ちても、おまえを逮捕して監禁する」と返信し、その後も2、3通私を罵るメッセージを返信してきました。自分もムキになり、この人は救えないと携帯の電源を切ってしまいました。最初の頃は、メッセージを送るとき、常人の心に動かされ、褒められたら嬉しくなり、そうでなければ相手とやり合いました。

 6年間、携帯電話で真相を伝える中で、私は多くの執着心、闘争心を取り除きました。直接電話で三退を進める中で、相手に動かされず、穏やかな口調で善の心を持って真相を伝えようとしました。相手の態度がどうであれ、自分が共産党に騙されている可哀そうな衆生を救っていることだけを考えました。ある人は電話に出てから「あなたは自分で修煉をすればいいではありませんか。なぜ嫌がらせの電話をするのですか」と言いました。私は「怒らないで、私に2分だけ時間をください。あなたは何回かこのような電話をもらっているようですが、それはあなたが縁のある人だからです。法輪大法は佛法で、大法弟子は佛を修めている人たちです。善を語り、慈悲を語っています。私達は面識がなく、私は自費であなたに電話しているのです。何の目的もありません。ただ将来災難がやってきた時、多くの人が災難から逃れられるように願っています」と言うと、その後相手の態度も柔らかくなり、もっと深く真相を聞いてくれました。

 ある人は自分は何も信じず、自分だけ信じる。災難がやってきたら、どうせみんなが一緒に死ぬから大丈夫だと話しました。私は「どれほど大きい災難でも、生き残る人がいます。生き残った人は必ず神佛の保護を頂いた人たちです。私が今日電話するのは、あなたの平安のためです」と話し、相手のいかなる態度にも心を動かされず、罵られても穏やかな心理状態でいられ、ただ彼らを残念に思うだけでした。これは私が歩む道で、偉大なる宇宙の大法の中で修煉してこそ、人から抜け出ることが出来ます。

 後になって、携帯で真相メッセージを送るプロジェクトに参加する同修も多くなり、中には年配の同修もいました。私は長くやってきたので、私を訪ねてくる年配の同修が多かったのですが、きょう教わったものを明日には忘れてしまう同修も多くいました。その後、私に恨む心が生じ、私の時間を台無しにして私のことを配慮してくれないと不満に思いました。自分が精進していないと思い込んでいる同修には態度がなおさら冷たたかったのです。直接話すと相手の気分を損なうので、もう来ないでほしい気持ちを遠回りで話そうとしました。

 ある日、性格が割に弱い中年の同修は、数回教わっても、身につかず、非常に申し訳ないと私に何回も言いました。ある日その同修は「私がこのプロジェクトに参加しないほうがいいですね。なぜ頭がこんなに悪いのでしょう」と話しながら涙を流しました。私は同修の純粋な気持ちに感動しました。学法の時、私には寛容の心が足りないことに気づきました。しかし、認識はしたものの、この心は取り除かれませんでした。

 数日前、ある同修が私を尋ねてきました。私はその同修に冷たい態度で「他の同修が帰ったばかりで、あなたが来ましたね」と話しました。その同修は「あなたは私達と交流するのを好んでいると思いましたが」と言ったので、私は「ここは交流する場所でもないし、時間が空いたら私は学法したいのです。多くの方が相次いで来ると私は学法の時間がありません。もう来ないでもらえますか」と言いました。彼女は、あなたは内に向けて探すべきですと言って帰りました。後でこのことをいつも私のことを聞いてくれる同修に話しました。その同修も私が内にむけて探すべきだと言いました。私は「あなたは、私の環境を分からないわけでもないのに、なぜこのように言うのですか」と感情的に話しました。その同修は「あなたの状況はわかってます。この数年来なぜこの環境が変わらないのか、あなたも考えるべきではありませんか」と言いました。

 私は問題があるときは直接話さず、遠回りした言い方を好んでいました。それなりに社会経験のある人は、顔色を見れば分かるのではないか。なぜそこまで話さないと分かってもらえないのかと思いました。自分の基準で他人を測り、深く考えてみるとやはり他人の怨みをかうのを恐れていました。時間が経つに連れ、相手にわかってもらえないと恨む心が生じたのです。毎日学法をしているものの、法に照らして自分を正していませんでした。私はこの問題で数年間、向上できていませんでした。

 これらの問題を認識してから、この恨む心は必ず修めてなくすべきだと思いました。後に、私の環境は変わり、同修たちも本題の話が終わったら「あなたは時間がないから、もう邪魔しません」と言ってすぐ帰りました。

 修煉の中の些細なことを書いてみました。私の体験は師父の保護がなければ今日まで歩んでこられませんでした。修煉の中で多くの不足がありますが、限られた時間の中で着実に修め、三つのことをしっかり行い、史前の大願を果たします。

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/16/281582.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/30/143441.html)
 
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