【明慧日本2014年4月22日】
三、心性を向上して、家庭の関を乗り越える
私の闘争心、面子を大事にする心は強く、特に、二十数年の商いの中で私利私欲が強くなりました。人に一言言われたら、二言、三言をいい返し、甚だしきに至っては手を出して喧嘩したこともあります。そのようにやり返さないと気が済みませんでした。しかし、常人の中で養われた悪い習慣と良くない観念は修めてなくすべきです。いかなる心も天国に持って行けません。この方面の執着心が深いため、この面での試練が多かったのです。
修煉し始めてから、2、3日おきに心性の面での試練がありました。私が早く向上するように師父が按配してくださったと分かっていますが、真に試練が来た時はうまく対処できませんでした。あるお店の前を通ったとき、店主は打ち水をしていました。それで私は遠回りをしましたが、その人は私の足のところまで打ち水をしました。我慢すべきだと分かっていましたが、つい文句を言ってしまいました。するとその人は「僕の敷地内です。どこに水を撒くか僕しだいです。何か文句がありますか」と強気で言いました。昔ならば必ずやり合うはずですが、我慢してその場を抜けました。あるお客さんが午前中にある商品を買いに行きましたが、品切れで午後にまた来るから用意してもらいと話しました。午後、そのお客さんが来るまでに仕入れができませんでした。そのお客さんは酔っ払っている状態で、店に寄り、商品がまだ来ていないと説明してあげましたが、なぜ用意しなかったのか、他の店に行かずわざわざこの店まで来たのに、信用がないと大声で怒りました。その時、他のお客さんも私達を見ていました。私は我慢すべきだと分かり、何も言い返しませんでした。最後に彼は他のお客さんに、この人は信用がないから今後はこの店に来ないでと言いながら、帰りました。私は私の闘争心に対して来た試練だと分かりました。1時間後に、そのお客さんは再び店に来ました。私はまだ気がすまなかったのかと頭を抱えましたが、そのお客さんは「ごめんなさい。先は飲み過ぎました。先の僕の話を気にしないでください。今後もこの店に来ます」と言いました。
修煉を始めてから、夫は私が法輪功のことばかり考えて、自分に関心を払わないと文句ばかり言いました。私はそのたびに我慢しましたが、心からは放下できませんでした。その後、修煉してから、色欲を断つべきだと思い、夫と部屋を分けました。真に法理を理解できず、最大限に常人の状態に符合して修煉すべきことができませんでした。その次元に達してもないのに無理やりにやろうとしました。後で携帯電話で真相を伝えるプロジェクトに参加してから、毎日私の家に来る同修が多くなり、夫は怖がっていました。「もう修煉しないで、商いをちゃんとやりなさい。私は怖いです。あなたと逮捕されたくありません」と言いました。
これで、私達のトラブルはますます大きくなりました。ある日家に帰ってみたら、床には全部ちぎれた大法書籍の紙だらけでした。師父の法像も壊されました。私も頭にきて、彼はもう救われないものだと思い込みました。それ以、降夫との関係はますます悪くなり、夫はほぼ毎日私を罵り、離婚の話を何回も持ち出してきました。数カ月後、夫は外で他の女といる姿を息子に見られました。息子が私にそのことを話して、最近夫の態度がちょっと良くなっている理由が分かりました。私はそれでも構わないと、私の修煉に影響さえなければそれでいいと思いました。私が別に反応がないのを見て、夫は家でその女と長時間電話したりし、わざわざ私に聞かせるために、ますます大きい声で話しました。「おまえ、ご飯を食べたか。もうすぐ名分を与えるから、焦らないで」。私はもうがまんできず、離婚すればいいと思いました。
ある日、同修たちが戻ってから、夫は「あなたはもう主要メンバーになりましたね。あなたが法輪功を学んでからどのくらい経ってるのですか。これは共産党の天下です。いずれあなた達はみな逮捕されますよ」と皮肉に言いました。その時ふと、これは夫が話しているのではないと思いました。長期以来、私はこの全てを全部、夫の行いだと思っていました。実は、彼の背後の邪悪の要素が操っているとは思いませんでした。
師父は『精進要旨』「道法」で次のようにおっしゃいました。「弟子として、魔難がやってくるときに、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、充分に関を乗り越えます。それでも魔難が尽きることなく長引くのであれば、もし、心性または行動にその他の問題がないのであれば、きっと邪悪な魔が皆さんの放任している隙につけ入っているに違いありません。修煉者は、なんといっても常人ではないのですが、ならば、本性の一面は、なぜ法を正さないのでしょうか?」。この2年間、私はずっと魔難の中にいました。彼に真相を伝えず、自分が忙しいと彼に関心を払いませんでした。彼の背後の邪悪が彼を操っているのに、私はただ我慢すればいいと思っていました。法に基づいて認識せず、人為的に邪悪を養わせてしまいました。それで私は発正念し、夫の罪を犯しているその口を黙らせました。それ以降、私はいつも夫に対して発正念をして、少しずつ真相を伝えました。
ある日、部屋で本を見ている時、夫はドンとドアを蹴っ飛ばして、私に「もう修煉するな」と大声で言いました。私は修煉しているから、あなたに何回も怒られても、我慢できるのではないかと説明したら、「修煉するかしないかだけ答えろ」と、もっと機嫌が悪そうに私に言いました。修煉すると言うと、夫は足で私の肩を強く蹴りました。修煉するなら、離婚しよう、もう一日も耐えられない。私は心が切り裂かれているように苦しく、本を横に置いて発正念をしました。彼は暴れてから自分の部屋に戻りました。彼に発正念してもだめで、今後どのように暮らせばいいのか、むしろ離婚したほうがいいのではないかと思いました。
いろいろな考えが頭の中で回り、眠気もないから煉功しようと座禅をしました。30分過ぎてから心も静まりました。私は綿菓子のような白い物質が私の身体に落ちてくるのを見ました。私の涙は絶えず流れ、夫がかわいそうでたまりませんでした。このようだったら、夫は淘汰されるのではないか。私は夫の前では大法弟子とは言えない時が多かったのです。私は師父の教えのとおりに家庭での関係をうまくコントロールできず、常人の状態に合わせて修煉しませんでした。私は大法の要求通りに行わず、彼に対して善の心が足りませんでした。それで旧勢力に隙に乗じられ、知らない間に彼に大きな罪を犯すようにさせてしまいました。
師父は法の中ですでにどのようにすべきか教えてくださったのに、私はその通りにしていませんでした。私は自分の非を認識してから、心には完全に恨みがなく、夫に申し訳ない気持ちが湧いてきました。もう少しで彼を台無しにしてしまうところでした。この歴史の時期に彼が私の親族になったのも大きな縁があるからで、この一人を台無しにしてしまったら、彼の背後の生命はどうなるでしょうか。それ以降、私は毎日の生活において彼にもっと関心を払い、機会があるときは彼に大法の真相を伝えました。真相が分かってから、夫も次第に変わり、同修が訪ねてきた時も、以前のように怒りませんでした。そして、三退もしました。たまには私を手伝って、真相資料を作ったりしました。私がいない時、同修が来ても夫が対応してくれました。以前ならありえないことです。私は法の要求通りに行い、修煉者の善と慈悲でこそ、人を変えられることが分かりました。
(続く)