甘粛省の農婦が迫害され死亡
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 【明慧日本2014年6月3日】甘粛省慶陽市の孫麗芳さんは、法輪功を学んでから健康になった。しかし、中共(中国共産党)が法輪功への迫害を開始した後、孫さんは懲役4年の不当判決を下され、精神と肉体ともにひどい迫害を受け、今年4月19日に亡くなった。享年64歳。

 孫さんの夫は建築会社の作業員で、4人の子供を育てるには1人の給料だけでは生活が苦しいため、孫さんは昼間に畑仕事、夜に裁縫の仕事をして、家計を支えた。長年苦労してきた孫さんは、46歳の時に体調を崩し、リューマチを患って全身の関節がひどく変形した。その後も仕事を続けたが、収入は自分の薬代にも満たなかった。

 1995年の初め、夫の会社の法輪功修煉者は、孫さんの家の大変な状況を知り、よく助けに来ていた。孫さんは感動して、法輪功を学び始めた。

 1週間も経たないうちに、孫さんの体に明らかな変化があり、健康が回復した。孫さんの夫は妻の変化を目にして大変喜び、法輪功への感激は言うまでもなく、法輪功修煉者に対して身内のように親切にし、積極的に部屋を片付け学法場所を提供していた。

 1999年7月、江沢民集団は法輪大法を中傷し、気が狂ったように法輪功修煉者を迫害し始めた。孫さんも被害を受け、学法場所は破壊され、孫さんは絶えず呼び出され、尾行されたが、修煉の意志は少しも動揺しなかった。

 2000年3月1日、孫さんは他の法輪功修煉者の家で学法していた時、南街派出所の警官に連行された。その時、法輪功修煉者の李瑞華さん・焦麗麗さん・楊雪雪さん・路亜蓉さんも一緒に連行され、西峰留置場に1カ月間拘禁され、1人2200元ずつ脅し取られた。

 2001年1月20日、孫さんは北京へ2度目の陳情に行ったが、警官に連行され、再び西峰留置場に1カ月間拘禁され、現金200元を脅し取られた。

 2002年6月のある日、6、7人の警官が孫さんの家に迫って来た。その中の酔っぱらった警官が2階に登って窓から侵入し、孫さんの28歳の娘を殴り倒し、他の警官も家のドアを開けて侵入した。孫さんは裏から太い縄を使って脱け出した。

 2003年4月27日、孫さんは法輪功の資料を配っていた時、待ち伏せていた西峰区公安支局の警官らに連行された。孫さんは西峰区公安支局で5日間、昼夜連続して拷問された後、慶城留置場に監禁され、罪名をでっちあげられて懲役4年を宣告された。同時に連行された法輪功修煉者・高麗金さんは8年6カ月の判決を下され、2人は同時に蘭州女子刑務所に送られた。金艶萍さんは懲役2年、執行猶予3年の判決を受けた。張継玉さんは懲役2年の判決を受け、蘭州大沙坪刑務所に拘禁された。

酷刑演示:老虎凳

拷問の実演:トラの椅子

 蘭州女子刑務所で、孫さんは法輪功の文章を回覧したため、告発されて禁閉室に閉じ込められ、手錠で虎の椅子に7日間はめられた。その後、また重労働を強制され、体に大きな負担がかかった。

 刑務所では煉功を許されず、話をもできず、毎日1人数十キロのニンニクを剝かなければならなず、しかも皮つきのニンニクを1階から6階まで運搬しなければならない。狭い空間で至る所にニンニクの皮と泥があり、刑務所の警官達はいつも「私達は結果だけを見る、過程は見ない」と言っている。彼らは生産量を重視し、衛生面は全く気にしない。長時間入浴させないため、孫さんの皮膚はひどくただれ、両手は更に悲惨で見ていられず、それでも仕事量はますます増える一方であった。

 2006年6月26日、孫さんは帰宅したが、依然として現地の警官からの嫌がらせを受けていた。孫さんは夫の仕事場に行ったりして、安心できる場所はなかった。

 精神と肉体ともにひどい打撃を受けた孫さんは、2008年7月に脳血栓で倒れ、2度の手術を受けたが起きられなかった。そして、今年4月19日に無念の思いを晴らせず亡くなった。

 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/5/26/292604.html)
 
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