明慧法会|私と妻の修煉の道のり
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文/湖南省の大法弟子

 【明慧日本2014年6月23日】偉大なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 光陰矢の如し。師父のご加護のもとで私は大法の光をすでに10数年浴びてきました。今日は長年の修煉過程を偉大な師父にご報告したいと思います。

 修煉を始める

 1997年末、妻は『轉法輪』という本を持ってきて、「これはとても良い本なので、見てほしい」と言いました。ある日、偶然に私は本の中に作者の写真を発見して、どこかでその方に会ったことがあると感じ、考えてみると、なんと夢の中で会ったことを思い出しました! 私が大法と縁があると妻は考えて、あまり字が読めない私に本を読んでくれました。小さい時から修煉の道理に憧れていた私は非常に驚き、そのようにして、法輪大法の修煉の道に入りました。修煉してから、以前の腰痛、長年の胃病、めまい、排尿痛などはすべて治って、『轉法輪』も全部読めるようになりました。

 迫害の中で揺るぎなく大法を信じる

 1999年7月、中国共産党が法輪功を迫害し始めました。私の親戚や友人はみな私たち夫婦に修煉を放棄するように勧めましたが、私たちはずっと心を動じませんでした。地元政府は現地のすべての大法弟子を「洗脳班」に集めて、「上層部は法輪功のことを2回目の文化大革命としてとても重視している。お前達は無条件に修煉を放棄しなさい」と言いました。あのような恐怖に満ちた空気の中で、妻は大法弟子としての佇まいでテーブルの上で座禅を組み、じっと座っていました。10数人の幹部は生死を度外視している妻を見つめて、誰もあえて妻に手を出そうとしませんでした。

 彼らの話が終わった後、私は「修煉は合法です」と、彼らに30分ほど大法の真相を詳しく説明しました。最後に私は「人類史上、修煉というものはずっと存在していて、信仰は天の理にかなうものです。時期ごとに修煉方法が異なっているだけで、信仰に罪はありません。私は決して修煉を放棄しません」と言うと、彼らはみな微笑んで、部屋の重苦しい空気は緩みました。その日、私たち夫婦は「修煉を放棄する」書類にサインもせず、師父の肖像画と大法書籍も没収されませんでした。師父がずっとそばにいてくださったので、私は恐れる心を放下したからだと思います。

 師父は『各地での説法十』「マンハッタン説法」で「実は常人の中で真相を伝えるときも同じで、相手がどういう態度であっても、ただ慈悲の心をもって接していれば、彼の心の奥底、彼の生命の迷っていない部分は全部分かります。もしいい加減に、ひいては常人の心に動かされてしまえば、きっと良い効果を得ることができません」と説かれました。

 心を純粋にして念を正し、師父の法像と大法書籍を守る

 邪悪な迫害が始まってからも、師父の法像はずっと我が家の客間の壁に掛けて、隠したり外したことは一度もありません。妻は師父の法像に「大法を最後まで修煉します。命をかけて大法を実証し、命をかけて師父の法像を守ります」と誓いました。迫害の初期、とても険悪な環境だったので、地元政府はよく大法弟子の家に行って嫌がらせや違法捜査をしましたが、私と妻は強い正念を持っていたため、邪悪は一度も我が家に来ませんでした。

 ある日、弟ととても仲の良い某共産党幹部が電話をかけてきて、上層部が私たち夫婦を「重要な捜査対象」に決め、ここ2、3日のうちに我が家を捜査しにいくので、気を付けてくださいと教えてくれました。

 これは私たちの心がどのように動くかを見る試練で、心を正しく持てば、邪悪はきっと我が家に来ることはできないと、私と妻は交流して悟りました。その数日、私たちは通常とおりに生活しましたが、彼らは本当に我が家に来ませんでした。これは本当に「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」(『精進要旨二』「最後の執着を取り除く」)ということです。

 大法の潔白を実証するため、妻は2000年2月、北京に陳情に行き、帰ってきた後、不法に留置場に50日あまり拘禁されました。妻が家に帰った後のある日、畑で野良仕事をしていた私は突然、かすかに不吉な感じがしたので、急いで家へ戻りました。家に入った途端、悪人が妻の手から大法書籍を奪おうとする場面を目撃しました。彼らは私にも大法の書籍を出せと言い、私は断固として断ったため、彼らは電話をかけて派出所に連絡しました。妻は師父の法像と大法書籍を抱いて外へ走り、彼らが追ってきたのを見て、妻は書籍と法像を胸元に抱いて、地面に倒れました。

 私と妻はその時に師父のご教戒を謹んで覚えていました。「修めるとは、どういうことなのでしょうか? あなたも、私も、皆も、素晴らしいと言うならば、人の心を見分けることはできるでしょうか? 肝心なときにこそ、人の心がどのように動くのかを見るのです。一部の心を取り除かなければ、佛までをも裏切ってしまいますが、これが小さな問題だと言えますか? 恐れている人がいますが、何を恐れているのでしょうか? 弟子たちよ! ある人が羅漢まで成就した時、心の中に恐れの念が生じて落ちてしまった、というわたしの説いた話を聞いたことがあるのではありませんか? いかなる常人の心であろうと、すべて取り除かなければなりません!」(『精進要旨』「白日の下にさらけ出す」)

 30分後、派出所の人が来ました。彼らは偽善的な話し方で「あなたたちは、一人だけが法輪功を学ぶならまだ良いが、二人とも学ぶと困るね」と言うので、私は「私たちの修煉は国家、社会や家庭にとって百利あって一害もありません。大法の書籍は決してあなたたちに渡しません」と答えました。彼らは「では、お二人は署まで同行してください。私たちを説得できるなら、大法書籍と肖像画を持って帰って良い。説得できなかったら、大法書籍と肖像画を没収する」と言いました。私と妻は口を揃えて「いいですよ」と答えました。その時私たちは師父がそばにおられるので、何も恐れるものはないと思いました。署に着いた後、妻は私と別々の部屋に入れられて、妻はずっと大法の書籍と師父の肖像画を抱えていました。

 彼らは私を別の事務室に連れていき、「大法の本と肖像画を出さないと留置場に送るぞ」と言いました。私はその時に師父が『精進要旨二』「位置」でおっしゃった言葉、「修煉者が経験する試練は、常人にはとても耐えられないもので、歴史上、修めて圓満成就できた人はほとんどいませんでした。人間はしょせん人間であり、肝心なとき、なかなか人間の観念を放下し難く、かえっていつも何らかの口実を設けては自らを納得させようとしています。ところが偉大な修煉者とは、すなわち、重大な試練の中にあって自我を放下し、さらに一切の常人の考えを放下できる人です」を思い出しました。法に照らして考えれば、確かに人間の観念を放下するときが来た、自分は大法を守らないといけないと私は決心しました。私は彼らに「留置場に送っても良いが、本と法像は渡しません。煉功も続けていくつもりです」と答えました。彼らは私たちを留置場に連れて行ったのですが、意外に留置場は私たちを受け入れませんでした。彼らは仕方なく私を釈放して、妻を引き続き拘留しました。私は妻から大法の書籍と肖像画を受け取って、それを無事に家に持って帰りました。

 誓約を果たして衆生を救う

 大法を実証するため、妻は2000年10月に再度北京へ陳情に行きました。逮捕された後、多くの迫害を受けた末、2002年10月に労働教養所で亡くなりました。

 妻の突然の死にも私はあまり悲しく思ったり落ち込んだりしませんでした。妻を待っているのは最も素晴しい未来だと分かっていたからです。妻の大法に対するこの上ない信仰は、ずっと私を激励しています。妻が他界した後も、私はずっと「三つのこと」に精進して励んできました。

 私は普通、夜12時の発正念が終わった後に出かけて真相資料を配り、朝5、6時に家に帰ります。一晩に20~30キロ歩きますが、少しも疲れを感じません。私は謹んで師父が『洪吟二』「正念正行」でおっ しゃった言葉、「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」を覚えています。

 邪悪の迫害が始まって以来、どんな場所でも私は正々堂々と真相を伝えて、とても良い効果を収めています。地元の政府まで行って真相を伝えたことがありましたが、そこの政治法律委員会の書記も真相を聞いて頷きました。親戚の葬儀でも、私は堂々と真相を伝えます。大法が広まること、共産党による迫害、修煉してからの自分の体の変化、釈迦牟尼の修煉、人類の起源、因果応報などを悠々と語ります。

 ある日、多くの人が偽りの「天安門焼身自殺」事件を議論しているところを、私はちょうど通りましたので、彼らに事実を教えました。彼らはあまり信じなくて、その時、私は師父に知恵をくださいと願いました。すぐに上手な説明が頭に浮かんできて、話したら、彼らはみな驚いて、「そうだね、あなたの言うとおりだ。政府は法輪功に濡れ衣を着せるのは容易いことだね」と納得しました。

 師父と大法を信じれば、できないことはない

 2002年5月のある日、姪が急いで我が家に駆けてきて、警察がもうすぐ来ると知らせてくれました。今回、警察は十分な準備をして、捜査令状まで用意して、私を「重点捜査対象」にしたのです。当時、私の家にある真相資料はとても多く、私は師父にご加持を願って、邪悪が私の空間場に入れないように、資料が見つからないようにと強い正念を発しました。発正念をする時、頭は非常に清浄な状態になって、体がとても軽くなり、別の空間に入ったようでした。結局、警官らは家の内外、家の後ろの山まで捜査しましたが、目立つところに置いていた真相資料さえ発見できませんでした。その日に私が深く体得したのは、師父と大法を信じる限り、できないことは何一つない、ということです。

 旧勢力による経済面の妨害を解体する

 2004年のある日、我が家の日用品が10数点も盗まれて、収入のない私に大きな不便と困難をもたらしました。大法弟子のものは盗まれるべきでなく、このような事が起きたのは、自分の修煉に漏れがあることが一つの原因で、旧勢力の妨害だと私は考えました。修煉の中の漏れは私自身で直しますが、旧勢力の妨害を決して認めるわけにはいきません。妨害を否定して盗まれた日用品を取り戻そう、と私は決心しました。

 ある日、私は知り合った若者の家に偶然に行きました。なんと紛失した日用品の何点かが彼の家に置かれていました。私は善意に彼に「これらの物は私のもので、あなたはおそらく他の人から借りてきたのでしょうが、私に返して下さい」と言いました。その日の夜、彼は我が家に来て私に謝り、物品を返した後、弁償金を私に渡そうとしました。私は断って、「今後このようなことに首を突っ込まないでください。こんなことをすると、人としての信用を失います。今日のことを秘密にするから、安心してください」と彼に言うと、彼は非常に感動しました。

 またある日、我が家の200元(約3500円)相当の物が盗まれました。手がかりがあったので、盗んだ人の家に行きました。最初、彼は認めませんでしたが、私は大法の法理を伝えて、彼に身を処する道理を分かってもらいました。それで、彼は盗んだものを私に返し、心から自分のやったことが間違っていたと分かりました。彼の家族は私にとても感謝しました。今後、彼はきっとどのように良い人になるかが分かったと思います。それから、我が家は一度も盗難事故に遭いませんでした。

 情に対する執着を放下する

 2009年、地元の某同修が逮捕され、獄中で私の名前を自白したので、私も逮捕されました。表面上から見れば、同修の供述が原因なのですが、実は当時。息子の結婚のために、我が家は家を建てていたので、私は学法と発正念の時間を確保できなくて、とうとう邪悪に隙に乗じられたのです。つまり、自分の修煉に漏れがあることが本当の原因でした。

 私は労働教養所に入れられて、1年の不法な労働教養を言い渡されました。労働教養所の中で、私は非常に子供たちに会いたいと思いました。妻が迫害されて死に至ったことで、子供たちはすでに大きな苦痛に耐えたのですが、今はまた私のためにきっと焦って心配しています。

 労働教養所の警官は私の親心を利用して、「修煉をやめる意思表示をしないと、子供たちに面会させない」と私を脅迫しました。子供たちとの面会を待ち望んでいた私は、その強い執着心に動かされて、うっかり邪悪に妥協して、「修煉をやめる」というに書類に署名しました。その後、教養所で同修たちと接触して、はじめて自分のしたことが間違っていたと分かって、たいへん後悔しました。

 一年経って、釈放される数日前、警官は私を呼び出して、「労働教養終了証書」にサインするように指示しました。そこに罪を認める内容が書かれたので、大法の修煉に何の罪もないと思って、私はサインを断りました。警官は息子に「お父さんがサインしないと、労働教養期間が延長されてしまう」と言って、私を説得するようにと息子を扇動しました。息子は私の目の前で大声で泣き叫んで、「お父さん、サインしないと期間を延長されてしまうよ。お母さんはサインしないために延長されて、その間に迫害されて亡くなったことを忘れたのですか」と言いました。母親の死に息子はたいへん心を痛めて、泣き声はますます凄くなりました。邪悪が情を利用して私を動揺させようとしていると私は分かっていたので、私は冷静に「心配しないで。目の前の苦難は実は一瞬のものにすぎない」と息子に話しました。私の態度を見て、息子は仕方なく帰りました。出所当日、私は何のサインもせずに正々堂々と労働教養所から家に帰りました。恐れる心と情に対する執着心を放下して、心性が高まった時、師父は私の周囲の環境を整えてくださったと思います。

 今後、法を正す中で、自分の身にある不正な要素をすべて一掃して、より清浄な心で衆生を救い、三つのことをしっかりと行って、先史の誓約を果たしていきたいと思います。

 師父に感謝します!

 同修たちに感謝します!

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/20/282143.html)
 
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