真善忍国際美術展に参加した体験
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 【明慧日本2014年7月16日】慈悲で偉大なる師父こんにちは 同修の皆さんこんにちは。私は2010年7月に修煉をはじめた弟子です。修煉を始める前の私は、はた目には明るく元気にしていましたが、心の中には誰にも相談できない悩みを抱え、毎日を虚しく過ごしていました。生きていくのも辛く感じていた2010年の6月に、偶然見た市の広報で気功の無料講座がある事を知り、引き寄せられるように申し込みをしました。

 初回の講座に参加した時、煉功の指導に来ていた地区の協調人を見て、まるで、ずっと離れていた家族に会ったような懐かしさを感じ、それからは毎日のように煉功に行きました。また、修煉をはじめて3日目に家族に超常的な出来事が起こり、長年の悩みの原因にも気付くことができ、大法の威力で家族も浄化されました。

 市の無料気功講座は10回で終わりましたが、その後は、同修の協力のもと、自分の住む町で煉功点を始めて、現在まで継続しています。そして2010年の暮れからは、協調人の家に開設された神韻のコールセンターに行くようになり、本格的に正法の修煉に入っていきました。

 コールセンターでは毎日が修煉で、トラブルが起きたり、しばらく電話が鳴らない時もあったりしましたが、そんな時は全員が内に向かって探しました。自分達の不足に気付いて交流していると、それを待っていたかのようにチケットの注文電話が入ることも多く、師父がいつも励まして下さっていると感じました。

 そして、コールセンターに通いながら、知り合いに神韻を紹介していた2011年の2月、今でも忘れられない、ある夢をみました。

 私は自分の育った街が見渡せる場所に立っていて、何人かの同修も一緒にいました。私達の周りの空気は透明で、呼吸も普通に出来ましたが、ふと街を見下ろすと、街全体がオレンジの空気に包まれ、道を歩く人は誰もいませんでした。そのオレンジの空気には猛毒が含まれていて、少しでも吸うと死んでしまいます。空気なので窓を固く閉めてもダメで、猛毒は家の中にも充満し、それを吸った人は、大人も子供も皆、命を落としていました。

 壊滅状態の街をよく見ると、一面のオレンジ色の中に、ところどころ、そこだけ透明な空気に包まれた 家や、マンションの一室があり、その中にいる人達は生きているようでした。それは全て神韻のチケットを買った人の家でしたが、その数はあまりにも少ないのです。同修は、オレンジに染まった街を見て悲しそうにしていましたが、「自分達のやるべきことはやった」という顔で街を見下ろしていました。

 私はもう一度街を見ました。すると、私の知っている人がオレンジの空気の中にいて、既に息絶えているのに気付きました。あの家もこの家も、私が伝えるはずだった人の家です。私が行動を起こさなかったばかりに、救いを待っていた人が死んでしまったのです。そしてこの全ては私の責任で、同修のせいではなく、全部自分が悪いのです。その時の恐怖と後悔は表現のしようがなく、いくら自分が助かっても逆に苦しみしかなく、私はただ頭を抱えて、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝るしかありませんでした。

 この夢から目覚めた時、夢でよかったと心から思い、このことがまだ終わっておらず、時間が残されていたことに感謝して、更に自分を修めて、神韻の活動を頑張るようになりました。 

 この年の神韻は、東日本大震災で延期になりましたが、放射能に包まれた街を見て、私は、あの夢は正夢だったと思いました。自分の不足のせいでこんなことになったと落ち込んでいる私に、師父は、転んでも必ず起き上がって 更に精進するよう励まして下さいました。その日から、師父の説法を全て読みなおし、家での煉功も自分に厳しくし、足りなかった個人修煉を更に頑張りました。私はまだまだ心性が低く、焦る心もありますが、これからも着実に自分の責任を果たせるように、一歩ずつ歩んで行きます。 

 この4年間、大法のプロジェクトに参加する中で、たくさんの出来事がありましたが、今日は、広島の真善忍国際美術展に参加した体験について交流したいと思います。

 広島で真善忍国際美術展が行われたのは、2012年5月6月10月11月の、合計4回でしたが、私はそのうちの3つの会場で、スタッフとして参加しました。どの会場でも、縁のある人と出会うことが出来ましたが、共通して印象に残っているのは、美術展に入ってきた時には暗い表情だった人々が、全ての作品を一通り見終わった後では、頬を紅潮させ「ありがとうございました」と笑顔で帰っていく姿でした。目の前にいる人が美術展を鑑賞することで浄化されていく様子を見て、大法の素晴らしさを感じ、私も、更に正しくご案内が出来るよう、絵画についても勉強して、自分に与えられた責任を果たそうと思いました。

 次に、各会場での出来事について述べたいと思います。

 一、旧日本銀行広島支店にて

 広島での初めての美術展会場は、広島の中心部にある 旧日本銀行広島支店でした。この建物は、1945年8月6日に、世界で初めて原子爆弾が投下された時に、爆心地から380メートルという近距離で被爆したにも関わらず、倒壊を免れた被爆建物で、平和記念公園を訪れる観光客や修学旅行生も多く来館する、広島の観光スポットです。真善忍美術展の最中も、修学旅行の中学生が団体で入館し、子供たちは純粋な目で絵画を鑑賞していました。平和を学びに来た広島で、迫害の停止を訴える絵画を見た事は偶然ではなく、このことは普段の自分達の生活にも関係していて、善悪には報いがあるということを理解した子供たちは、同修の作った蓮の花のお守りを大事そうに持って帰りました。 

 また、大学で美術を専攻している学生は、作品のひとつづつに詳細な説明を求めてきて、2時間以上かけて全ての作品を見終わった後「自分の描きたい絵は、こういう絵だった」と、真善忍美術展の芸術家たちに敬意を表しました。

 また、心に悩みを抱えた社会人1年生の女性は、迫害の絵の前で力が抜け、座り込んだまま涙を流しましたが、全ての絵を見終わった後、「私もこれから頑張ります」と、振りかえりながら会場を後にしました。歴史ある古代建築風のこの会場で、真善忍美術展の絵画は格調高く人々に真相を伝え、来場した多くの人が名残惜しそうに帰っていきました。

 二、東広島市民ギャラリーにて

 私が住んでいる東広島市は、広島市内から35キロ離れた小さな街ですが、日本人修煉者がたくさん住んでいて みんな美術展の開催を楽しみにしていました。会場の市民ギャラリーは、地元の大型スーパーの中にありますが「市民ギャラリーで開催される催しは全て見に来る」と言う人がいるほど、市民に根付いた会場です。ここでも縁のある人達と出会いましたが、中でも驚いたのは、自分の人生に関わってきた多くの人と、この会場で再会できたことです。暫く疎遠になっていた知り合いや、普段あまり話さない近所の人、学生時代の知人などが、誰に勧められたわけでもなく「偶然」という形で会場へ来てくれました。私はその人たちに絵画の説明をしながら、自分の人生は修煉に入る前から師父に按配されていて、もうずっと昔から見守られていたのだと、改めて師父の御恩に気付くことが出来ました。

 この東広島市民ギャラリーでの美術展は6日間という短い間でしたが、来場者が非常に多く、美術展終了後に会場の責任者が、「こんなにたくさんの人が来場するとは予想外だった」と、その反響の大きさに驚いていたそうです。

 三、広島県民文化センターにて

 この会場では、私にとってひとつの試練がありました。この時初めて美術展の開幕セレモニーを行う事になり、同修から、私に主催者挨拶をしてほしいと言われたのです。そのころ、お祭りなどのステージ発表で、五式の動作の説明をすることはありましたが、私はもともと人前で話すのが苦手だったので、その度に「緊張するのも執着心だ」と自分に言い聞かせながら、ステージに立っていました。

 今回のセレモニーでは挨拶文から考えなくてはならず、最初は戸惑いましたが、中国人同修たちがセレモニーを成功させようと、テープカットのマナーや、来賓のもてなし方など、日本でのやり方を一生懸命に考えている姿をみて、私も自分に与えられたことを精一杯やろうと奮起しました。そして当日、広島の修煉者全員の気持ちが一つになった開幕セレモニーは、滞りなく行われ、私もその時のご縁で、来賓の方々と親しくお話しできるようになり、大役を任せて下さった中国人同修に改めて感謝しました。

 また、この会場では、最終日に忘れられない出来事がありました。展示した絵を片付けるために、最終日の展示時間はそれまでより短めにしていましたが、その終了間際に、来賓の方から紹介されたという男性が訪れたのです。それまで絵画の説明をしながら鑑賞する場合、だいたい一時間はかかっていたので、突然の来場に内心ではとても焦りましたが、せっかく紹介で来られた人を、そのまま帰すわけにはいきません。男性にはこちらの事情をお話しし、絵を見終わった順に片付けることに了承を頂いてから美術展を見て貰いました。同修たちは、男性の鑑賞の邪魔にならないよう 気遣いながら片付け、絵画の説明をじっくり聞きながら最後まで鑑賞した男性は「来て良かった」と笑顔で帰っていかれました。

 そして、ここから奇跡が起きました。少しずつ片付け始めていたとはいえ、殆どの絵はそのまま壁に残っています。今から全ての絵を下ろし、発砲シートで梱包してから、段ボールの箱に納めるには、どう考えても、もう時間が足りません。会場を借りている時間内に全てを片付けなければ、せっかくの美術展に泥を塗ることにもなりかねません。

 その瞬間、そこにいたすべての同修の気持ちがひとつになり、全員が動き始めました。発砲シートを敷く人、絵を慎重に下ろす人、梱包する人、サイズに合った段ボールを持ってくる人・・・それぞれが周りの同修の動きを見ながら、自分のするべきことを探し、年配の同修も、小弟子も、中国人も日本人も、全員が一体となって動き、協調しながら無心で片付けていきましたその時の様子は今思い出しても奇跡としか言いようがなく、みんながそれぞれの役割を果たしながら連携し、驚くほどの短時間で会場を片づけ終えることが出来ました。結局、会場に迷惑を掛けたり、時間を延長したりすることもなく、最後に台所の掃除まで綺麗に済ませて、「大法弟子が集まれば出来ないことはないね」と話して、会場を後にしました。

 四、結び

 今回、「真善忍美術展の体験談を書いてみたら」との言葉を受けて、この体験談を書きましたが、不思議な事に、2年前のことがまるで昨日のように詳細に思い出され、ここまで書くことが出来ました。美術展の発するエネルギーはとても強く、どの会場にも、目には見えない重厚な雰囲気があり、最初は戸惑いながら入ってきた人も、絵の持つ力に引き込まれて、自然と説明を求めてきました。このように、絵画で真相を伝えることは、日本人にも受け入れやすいようで、こちらが多くの言葉を語らなくても、直接、相手の心に訴えることができました。私はただ、その人のペースに合わせながら一緒に鑑賞し、寄り添って話すうちに、自然と打ち解ける事ができ、相手が分からないことや知りたがっていることを説明するだけで、真相説明にとても良い効果がありました。

 修煉の道を振り返って気付いたことは 私達のどのプロジェクトも、衆生にとってはかけがえのない機会であり、仕事のやり方よりも、大法弟子がどのような心で参加するかが肝心で、たとえトラブルが起きても、内に向かって探し、相手のことを考えて協調すれば、自分では思いもしなかった強いエネルギーが生じることがわかりました。この歴史の大切な時期に、これほど重要な役目を与えていただけたことに感謝しながら、これからも自分の責任を果たせるよう、最後まで歩んで行きたいと思います。

 師父に感謝いたします。同修の皆さまに感謝いたします。

 (2014年アジア地区法輪大法修煉体験交流会)

 
 
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