文/湖南省の大法弟子
【明慧日本2014年9月16日】
迫害を否定する
1999年「7.20」、江沢民集団は大法弟子たちに向けて、有史以来の邪悪な迫害を始めました。共産党のすべての宣伝機関は、まるで天が落ちたかのように、昼も夜もデマを飛ばしました。法を正し、師父の潔白を示し、法を守るため、法を正す時期の大法弟子の、生と死の選択が始まりました。
警察は私に本や修煉者名簿を出すよう強制してきました。「大法を修煉するのに、名簿などありません。名簿がないだけでなく、私は一人も覚えていません。猫も杓子も勉強したければ来ればいいし、したくなければ帰っていただいて結構です。名前は覚えていないし、お金もとりません」と答えました。警察や地域の人々に自分の体を実例に、大法の素晴らしさを伝えると、人々も認めました。そして、「法輪大法は素晴らしい」と彼らに言うと、「家でやるのはいいが、決して外には出ないで」と言ってくれました。
家で修煉するのが嫌なわけではないのですが、中共の人が2日に一回は家に邪魔をしにきます。私はドアに「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は正しい」と書いた札を張りました。彼らに壊されるとまた貼り直し、それからペンキで書き、大法が世界で広まっている真相を貼り付けました。ある時、悪人が私の家を、あちこち歩き回っては写真を撮っていました。「ここは私の家です。まだ帰らないなら、勝手に撮っていることを告訴します。法廷で会いましょう」と言うと、悪人たちは一目散に逃げていきました。
1999年11月、2000年12月に、大法が正しいことを伝えるために私は二度北京に行きましたが、二度とも警察に逮捕されました。二度目は、警官が私たちを駅まで連れて行き、片手に手錠をかけました。私と、片手に手錠をかけられた同修はお互いに支え合い、空いた手で、「法輪大法は正しい」という横断幕を高く上げ、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 我々の師父の無実を証明せよ!」と大声を上げました。その声は天にまで響き渡り、世間を驚かせ、他空間の邪悪を消滅し、たくさんの人々が尊敬のまなざしで我々を見つめ、微笑んでくれる人も、頷く人もいました。
邪悪の巣窟には入らない
2003年10月1日の夜7時ごろ、私は道端で「法輪大法は素晴らしい」と書いたシールを貼っていると、悪人に密告され、大勢の警官らに当地の警察に連行されました。「法輪大法は素晴らしい」と大声をあげると、警官は革靴で私の腰、足、両腕を蹴り、もう1人に頭から水をかけられ、ライターで髪の毛を焼かれました。その人は「ガソリンならよかった。自殺で処理できるからな」と言いました。翌日に県の警察署に連行され、警察に家を差し押さえられてから留置場に連れて行かれました。道中で「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は正しい! 法輪大法は無罪だ!」と大声を上げました。留置場にいても、私は毎日「法輪大法は素晴らしい」と叫び続けました。ある日、上の者が検査しに来るので、「法輪大法は素晴らしい!」と叫んではいけないと注意されました。その日、検査員がたくさん来て、まだ私が部屋に入っていないときに、私は「法輪大法は素晴らしい!」と叫び始めました。たくさんの人が入口で私を見つめ、1人が「この人がここで一番頑固です」と紹介しました。私はこの人たちに、「『真・善・忍』を信奉し、良い人になったのに家を荒らされ、家族を殺されるまで迫害されて、天理があるのでしょうか? 言っておきますが、私はあきらめないだけでなく、最期まで法輪功を修煉するつもりです」と告げました。それから私は「法輪大法は素晴らしい」と大声をあげました。
留置場で2カ月監禁された後、私を家まで帰すと警官に騙され、車はしばらく走っていき、「うちはこの道ではない」と言うと、「省の留置場に送る」と警官が言った途端、まるで天が落ちたようでした。わたしは「天までも私の無罪を訴えている、善い人を迫害したら、天理が許さないよ」と言い、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は正しい! 法輪大法は無罪だ!」と叫びました。あわてた警官は私に「黙れ、頭が爆発しそうだ」と苦しみました。それから道に迷い、道を聞いた後、車を動かしたものの、また迷いました。パトカーの行く先が暗くなり、「これは天理が許さない証拠です。お天道様があなたたちを見ているのです」とわたしは言いました。留置場に着きましたが、留置場が入所を拒否したので、警官は私を病院につれていき検査しましたが、それでも留置場は何度も拒否し、引き取りませんでした。そして、留置場に送ると手紙を書きました。しかし、車がまだ留置場についていないのに、拒否の電話が来ました。その時、すでに太陽が沈みました。そして残されたのは県の警察署に戻ることでした。
道中で私は「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は正しい法です!」と、大声を上げました。「やめないか。あなたは一日中ずっと叫んでいたのに疲れないのか? こっちはおかげで頭がおかしくなった!」と、警官が言いました。私は彼らに真相を伝え始めました。「善悪には必ず報いが来る」ことは不変の理であることを教え、大法弟子がしていることはすべて衆生を救うためであるとも告げました。
迫害されている中、私は「師父を信じ、法を信じる」ことだけを念じていました。師父のご加護のもと、当日の夜に、娘婿が私を家まで背負って帰ったのです。
衆生を救い済度する
2005年から2010年までの間、私は三度故郷の四川省に帰りました。一度目は夫の実家で真相を伝え、脱退を勧めました。四川省は法輪功への迫害がひどく、私が迫害されていることは四川省まで伝わり、父は私に帰ってほしくはありませんでした。反対を押し切り、夫の実家に帰ると、私を決して外に出さないように、弟がずっと私のそばで監視しました。私は衆生を救うために帰ってきたのです。家にいたのでは救えません。私は必ず外に出ると発正念をしました。すると、弟はじっとしていられず、農業をしに出て行ったのです。私もあわてて鞄を持ち外に出ました。
旧正月の前の日に、50年前の古い友人に会い、私を家まで連れてゆき、「今まであなたのことをあちこちから聞きまわったが見つからず、噂では死んだと聞いたのだが、なぜこんなに元気なのだ?」と言われ、これは師父の按排で、彼ら一家を救わなければならないと思いました。私は彼に法輪功を修煉していると言いました。法輪功と聞いた途端、彼はすべての扉や窓を閉めました。私は彼に法輪功は素晴らしいもので、天安門の自殺事件は嘘で、作り物だということを教え、信じてはいけないと告げました。そして、法輪功を修煉して、1カ月で病が全治し、10年以上薬に触っていないと教えました。翌日、彼の家に新年を祝いに行き、私の健康な体を見せて、私自身が法輪大法の素晴らしさを実証しました。彼らに真相資料を見せ、脱退を勧めました。彼の家族は皆学校で仕事をしていて、校長、主任、書記など、皆古い党員で、2人の孫も隊に入っていましたが、合計16人がすべて脱退しました。
今回実家に帰っている間に、私は98人を脱退させることが出来ました。2008年にまた実家に帰り、140人を脱退させました。そして、2010年には130人を脱退させたのです。雲南省の夫の実家にも行きましたが、誤解している人がいたため、48人しか脱退させることができませんでした。
一対一の真相伝え以外にも、私は長期にわたって真相の手紙を送りました。同修に手紙を書いてもらい、それを封筒に入れ、他の地域へ持っていき、本地域に送ったり、本地域から他の地域へ送ったりして、どれくらい送ったか覚えていません。師父が我々を救うために言っておられることや、しておられることを思い出すと、心を締め付けられます。私はさらにたくさんの衆生を救い、師父を喜ばせたいと願っています。
師の恩に感謝
他人の自分の年を聞かれ、私は70過ぎているといつも答えますが、他人は信じてくれません。せいぜい50~60歳と言われます。「20歳のころに体が悪いときは60~70歳と言われ、その数え方をすれば、今や100歳を超えています」。10年以上の修煉の道で、師父は常に私を見守ってくださいました。師父や大法がなければ、この命はずっと昔に亡くなっていたのです。悪人に迫害されたとき、大声で叫んだ「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は正しい法なのです!」は、私の心底からの言葉なのです。どこにいようと私は衆生にこの言葉を教えます。
言葉では言い表せられないほど私は師父に感謝しています。師父の言葉を聞き、「三つのこと」をしっかりやり、法を正す修煉の道を一歩一歩しっかり歩み、さらにたくさんの衆生を救い、師父の恩に応えたいと思います。
慈悲で、偉大な師父に感謝いたします! 同修に感謝いたします!
合掌。
(完)
(明慧ネット第十回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)