やはり嫉妬心がある
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年11月22日】私は自分の嫉妬心はほぼなくなったと思い込んでいましたが、実は違っていました。自分の心の中に「私」があり、嫉妬心が知らないうちに出てきていたのです。肝心なことは「嫉妬心」に気づくことで、そうすれば、取り除くことができます。

 自分は病業に付きまとわれており、しかも、何年経っても治っていません。表面上は、三つのことをしっかり行っているように見えますが(実際のところは、修煉を怠けているので、支障をきたすこともあります)、そうではありません。時に、自分は考えました。あの人たちは私の修煉状態にはまだ及ばないのに、彼らはいまだに、何の病業もないのです。どうして私はこうなのでしょうか? この恨む心を抱いている私は、誰を恨んでいるのでしょうか? 邪悪? 自分? それとも師父でしょうか?

 その時、私は突然、自分の良くない心に気づきました。その中に嫉妬心があるのではないのでしょうか? ほかの人に病業がないのを見て、嫉妬心が生じてしまいました。ほかの人は自分よりしっかりしていないので、当然、病業があるべきだと思い込んでいました。しかも、人の修煉状態が良いか悪いか、私はどのように判断したのでしょうか? ただ、自分は人より多くのことをやっていただけです。たとえ、人が自分よりよくできていない場合だとしても、病業があるべきでしょうか? このような考え方は邪悪の迫害を認めていることになりませんか? そして、邪悪の迫害は正しいと思うことにもなります。

 実は自分の嫉妬心はまだたくさんあります。たとえば、同修から預かっていた「三退」のリストを見て、人数があまりにも多く、自分の「三退」リストがかなり少ない時、「あなた達はこんなにたくさんの人を三退させています。なぜ私がパソコンで入力してあげなければならないのですか? 威徳は全部あなた達のものです」と思いました。これは典型的な嫉妬心で、その中に「私」も含んでいます。

 私は職場の常人にも嫉妬します。ある人は全然出勤しないのに、給料をもらっています。またある人は、本職以外には、副職もあります。ある人は上司と関係が良いので、よく褒められています。しかし、私はいくら頑張っても、良いことは一つもありません。このようなことを考えると、心のバランスが崩れてしまいました。こんな時、自分は修煉者であるるということをすっかり忘れてしまっています。どうして常人と比べられますか? よく考えると、これは嫉妬心のせいではないでしょうか? 嫉妬心を探し出し、取り除かなければなりません。

 嫉妬心に対して、軽く見ないでください。嫉妬心は修煉の帰路における大きな妨害になります。人心を取り除く時、必ず重視してください。師父は「嫉妬心」に関して、特別に説かれたことが何度もあり、嫉妬心を取り除くことの難しさと重要性を証明しています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/7/30/295335.html)
 
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