よくない状態は「強烈な自我」から生まれる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年12月3日】長い間、自分の体によくない現象が現れました。すねがむくんで、歩きづらくなったのです。階段を3階ま上ったら息が切れてしまい、大変疲れるようになりました。大法弟子は、このような状態ではないと分かっていますが、精進できません。自分がなにか紐のようなもので縛られているように感じていました。

 この1年近く、私は体はだるくなり、元気がでませんでした。学法する時、眠気が強く、発正念の時に手が倒れたりしました。静功をするとき、心の中で絶えず自分の主意識を強め、妨害を排除しましたが、それでも、元気がでませんでした。最近、同修と学法する中で、自分の観念を放下しなければならないと分かり、自分を深く掘り出すようになりました。

 私は内向的な性格ですが、同修達からは、心が広くて、大法に対して熱意があり、しかも、あまり執着心がない人間のように見られていますが、実は、よくない一面は身内の人間が一番よく分かるのです。法を正す最後の時期になり、人心がますます表に浮かびあがってきました。同修の前では、気づかない執着心が、家族の前では余すところなくあらわれるのです。

 家にいるときは、「自我」という執着心が最も晒け出やすいものです。夫と子供の前では、いつも説教したり、責めたり、愚痴を言ったりします。あとで後悔するのですが、大法の要求に従っていないと分かります。自分の言動を変えようとするのですが、なかなか難しいのです。

 数日前、私はある年配の同修の家に行きました。彼女は気が強いのですが、彼女の夫はもともと官職のある人だったので、退職してから家で修煉していても、偉そうな言動がよく現れてくるのです。時には、彼女よりもっと気が強く、自己主義が強いのです。彼女が一言も言っていないのに、夫はすぐ彼女を叱って責めました。彼女は口争いに負けて自分の部屋に戻るのですが、しばらくして、また話しだすと、また叱られるのです。何回も同じことの繰り返しでした。

 私はこの男性同修の言動を観察しました。彼は妻に対してかんしゃくを起こしますが、私たちや2人の子供にはやさしいのです。この場面を見て、私は師父の説法を思い出しました。師父は「二人の間にもめごとが起こった時にはお互いに自分の問題を探さなければなりません。しかもトラブルが起った当事者双方が自分の問題を探すべきだというだけではなく、この問題に出会った傍観者さえ自分のことを自省すべきです。そこまでできればその人の向上がすさまじい勢いで前進することは間違いありません」[1]と説かれました。私は悟りました。私も同じではないでしょうか? 彼に勝るとも決して劣らないのです。私は女性なので、振る舞いはもっと女らしく、もっと穏やかで、もっと気立ての優しい女性になるべきなのです。

 家に帰ってから、内に向かって探しました。何年修煉しても、だんだん「男勝りの女」になっていくことを後悔しました。長い間、夫は朝早くから夜遅くまで仕事をして、お金を儲けることばかり考えて、修煉のことを大事にしたことがありません。彼は学法、煉功、発正念すら保証できないのに、私の時間まで無駄にすることがたびたびあります。私は口出ししないのですが、心の中で愚痴を言っていました。精進せず、仕事ばかりして、何もしない、これもダメ、あれもダメだと言い、自分に向かって探すことは、一度もなかったのです。夫は私の恨む心、不満な心を消そうと、代価を払っています。彼が精進できないのは、私の幾つかの強烈な執着心のせいではないでしょうか?

 私はやっと見つけました。長年私を縛っているこの太いひものようなものは「強烈な自我」です。この執着心さえ取り除けば、自分も夫も共に、向上することができます。

 弟子に悟らせてくださった師父に感謝いたします。合掌。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『シンガポール法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/7/22/294822.html)
 
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