文/東北地区の大法弟子
【明慧日本2014年12月5日】慈悲なる師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!
2012年、私は同修と一緒に大法の真相DVDを配布していた時、警官に強制連行されました。留置場で私は非常に辛くなりました。辛かったのは再び不当に監禁され、自分自身と人を救うこと全体に多大な損失をもたらしたからです。どうしてこれほど意気地がないのでしょうか。
翌日心を静めて、何の漏れが邪悪に隙に乗じられたのか考えてみたところ、私は多くの執着心、例えば、顕示心、闘争心、仕事ばかりやりたがる心などが見つかり、一言でいうと着実に修めておらず、仕事を修煉とみなしていました。しかし、すぐ意識したのは、たとえ私に漏れがあっても、私は大法弟子だから、私のすべては師父が管理し、如何なる生命にも私を邪魔し、大法弟子に試練を与える資格がないということでした。そして、私は確固たる一念を発しました。私は大法弟子だ、私は師父の按配された道だけを歩む、ほかの按配は一切認めず、受け入れず、完全に否定し、解体するということでした。
正々堂々と大法を実証する
私は留置場に送られ、身体検査を受けた時、子宮筋腫が発見されました。当時私はとても喜んでいました。これによって師父がこの形式で私をここから出してくださるのだ、と思っていました。数日後、私はめまいがし、血圧は150-180になりました。私は血圧が高ければ高いほどよい、この形式でここから出るからと思っていました。不当に37日間監禁された時、私は警官に呼ばれました。私を尋問しようとしていました。私はおそらく刑を言い渡そうとしているのだと思い、監房から出て行かなかったのです。すると、警官が数人の男性の受刑者を命令して、私を無理やり運びだしました。私はずっと「法輪大法はすばらしい!」と大声で叫びました。確かに彼らは私に刑を言い渡そうとしていました。私は叫ぶ時に少し激動していたためか、歩くことが難しくなり、男性受刑者に支えられて歩きました。半分くらい歩いた時、留置場の副所長が私に向け「法輪功は病気がないのではないか? どうしてこんな状態なのか!」と叫びました。監房に戻って、落ち着いてきたら、彼の言葉がずっと頭から離れませんでした。私は法を実証し、正々堂々と元気に留置場から出ていくべきだと認識しました。それから、私は再び病業の形式で出所しようとすることを考えませんでした。
すべては師父が決めること
留置場に入ったばかりの時、滞在した監房のリーダー(受刑者の中の力が強い者)は非常に邪悪で、私は何回も煉功しようとしましたができませんでした。彼女は受刑者を指図して、私を邪魔し、師父を罵り、また手を出して私を爪の先できつく押さえました。その後、私は他の監房に移されました。
最初、私は煉功していなかったので、いつも落ち着かなかったのです。自分が大法弟子らしくないと感じました。私は、修煉環境を切り開くべきだ、いくら難しくても、退路はないと思いました。私が大法の要求を満たすことができず、修煉者の基準を満たさなければ、師父はどうやって私のことを構ってくださるでしょうか。私は監房のリーダーに「私は血圧が高いです、私は煉功したいです。煉功するとすぐ良くなります!」と言いました。彼女は「もう少し待ってください」と答えてくれました。しかし、数日間経っても何の動きもありませんでした。私は再び彼女に聞きました。彼女は「手を動かさないでやってください、足を組んで結印することは大丈夫です。監視カメラに映らなければいいです」と言いました。私は「それはいけません」と答えました。実際、その数日間私はずっとどこが煉功にふさわしいか観察していました。本当に難しかったです。南側と北側の壁は監視カメラに向いていました。その後、私は水道の蛇口のあたりで煉功することに決めました。なぜなら、そこには立って洗濯できるスペースがあり、また小さな壁もあったからです。タライを重ねて置くと、あまり気づかれないようでした。こうして煉功して他人にも影響を与えないようになりました。私が自分の考えを監房のリーダーに伝えると、彼女は「そこで煉功するのは良いですが、そちらは濡れていませんか、大丈夫ですか」と聞きました。私は大丈夫と伝えました。私はとても嬉しかったです。やっと夜に煉功できるようになりました。こうして、夜2時間の当番の時は法を暗唱し、また1時間静功をしました。後になって、また1時間の発正念を追加しました。同じ監房の人は「あなたは数時間しか寝てないのに、お昼に眠ったりもしない」と言いました。夜当番をしたり、煉功する時は、スチームヒーターの上に干している他の人の干し物も誰の物であれ、早く乾くように心を込めて、ひっくり返していました。同じ監房の若者たちは「おばさんの当番になると、誰の干し物であれひっくり返してくれる」と言いました。誰も私が煉功することを邪魔せず、却って私に便宜を与えてくれました。時間になると私に起きて煉功するように教えてくれたりしました。同時に、私は彼女らに真相を伝え、三退を薦めました。受け入れない人には繰り返して説明しました。最終的に一人を除いて皆、三退しました。
前回尋問に呼び出された際、運び出されたため、結構長い間、警官は私を尋問しませんでした。私は内に向けて探しました。その間、師父は夢の中、常人の名前を借りて私を悟らせました。向上があまりにも遅いということでした。私は自分が警官に対して慈悲心がなく、真に彼らの未来に感心しておらず、ただ自分が出所できることばかりを考えて、法に則ってないことに気付きました。私は心の中で、師父に「師父、私は間違えました。お手数ですが、警官を按配して来させてください、私は準備ができました。彼らに真相を伝え、救い済度します」と言いました。しばらくして、検察院の起訴課の人が訪れました。私は呼び出された際、ずっと師父に「師父、弟子に加持をお願いします。弟子はこれらの警官に真相を伝え、彼らを救います」と言い続けました。検察院の人は私が無事に出てきたことに大変満足していました。師父の加持の下、私は卑屈ならず、傲慢にもならず彼らに真相を伝えました。私はまずその人に「今日私達二人の会話の中で、あなたに協力しないところがあれば、それはあなた個人に対することではなくく、それは政府、政権に対することです」と告げました。彼は理解を示してくれました。穏やかな雰囲気の中、私は2時間ほど話しました。最後に彼は自分は党員ではないと言い、私を理解してくれました。彼は私があまりにも純粋であると言いました。彼の態度により、私は彼が将来私の案件に対して正面的な働きをするだろうという予感がしました。
家族は私に弁護士を招いてくれました。最初に会った時、弁護士は「あなたは4年から7年の刑を言い渡されるはずです」と言いました。私は彼に「そんなことはありえません!」と伝えました。彼は「なぜですか」と聞きました。私は心の中で、私の師父が決めるのだ、と言い聞かせました。私は弁護士にあまり高いレベルの事は言わず、「現在公安、検察院、裁判所の人は皆目覚めていて、真相を分かっているから」と答えました。彼はそれに頷きました。
師父は「あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]と説かれました。師父のお話しに対して、私は修煉をはじめた当初から今までずっと100%信じています。
それから、私は強大な一念を発しました。私は師父の按配された道だけを歩む、すべてを放下する、すべては師父が決める!と。私は心の中で、師父に言いました。「師父、弟子は死ぬことは怖くありません。しかし、弟子は死んではいけません! 弟子は迫害を恐れていません。しかし、弟子は迫害されてはいけません! 弟子はまだ使命を全うできていません。もし邪悪に迫害されてしまったら、私は生きて何の意義がありますでしょうか! 師父、私は法を正す師に手伝い、衆生を救い済度し、自分のやるべきことをやりたいです」
その後、弁護士は私に、私の案件は検察院から公安局に戻されたが、あまり楽観しないほうがよいと言いました。それから、私が思った通り、公安局はまた検察院に交付しました。これは私にとって、師父を信じ、大法を信じるかの試練であって、当時は表面上、私を開放する可能性と、裁判所に渡す可能性、両方とも可能性がありました。私はとても強い一念を発しました。私の案件を裁判所に交付することは絶対許さない、裁判所の人たちが大法弟子を迫害したため、罪を犯し、彼らの未来と彼らの衆生を壊滅させるようにさせてはいけない。大法弟子は衆生を救い済度しに来た、衆生を壊滅してはいけない、邪悪な公安、検察院、裁判所の人を利用して、大法弟子を迫害する企みを叶わせてはいけない! 師父、弟子と衆生のために、決めてください!と。
その間、リーダーは何回も私に、「あなたと一緒に連行された人たちはなぜみな釈放されたのでしょうか、みな(煉功しないという)保証書を書いたからです。ここはあなたがいる場所ではない、あなたも保証書を書いてください!」と言いました。私は「私の同修が保証書を書いた訳がないし、私も書きません」と答えました。
その間は本当に耐え難かったのです。新年の前に弁護士から私の案件を検察院に交付されたと聞いてから、数カ月間、音信不通になりました。身辺には切磋琢磨できる同修がおらず、ただ自分一人で悟るだけでした。師父を信じ、大法を信じていましたが、自分が真に旧勢力を否定できるまで至っているか、法の基準に至っているか、100%の自信がなかったのです。その間、いつも選択に直面していました。私はずっと良くない結果を否定し、師父の按配された道を歩む、師父が決める!と思い続けました。前回私に対する不当判決はちょうど4.25の前でしたが、今回ももうすぐ4.25でした。断固としてそれを否定する、4.25は大法弟子が平和な陳情活動を行った記念日であり、大法弟子が迫害される日になってはいけない、宇宙の中にはこういう理がない、と念じました。
私は毎日、不正な考えを否定する中で過ごしました。私がいた監房のある頑な人は「あなたが本当に出られたら、私は大法を信じます」と言いました。結果として、慈悲な師父は彼女を悟らせてくださいました。「おばさん、私は夢であなたがここから出て行くのを見ました」と言う人、「私は夢であなたが帰宅したのを見ました」という人、また「あなたが黒い洞窟から出ていくのを見ました」と言う人もいました。
私は不当に7カ月と1日間監禁された後、起訴されず、無条件に釈放されました。私はやっと正々堂々と留置場から出られるようになり、「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]を身をもって、体験できました。やり方が法に符合すれば、すべては師父が決めます!
大法弟子が迫害された初期、私は不当に懲役5年の刑を言い渡されました。当時、邪悪な迫害を否定することをまったく知りませんでした。今回はすべてを放下した状況下で、毎日旧勢力を否定し、師父の按配された道を歩みたいという信念の下で、偉大な師父と大法に対する揺るぎなく信じ、慈悲で偉大な師父の加持と啓示の下、私に対する旧勢力の迫害を否定できました。
師父について、16年近く修煉して来ました。15年間の血生臭い、風雨を伴った狂気じみた迫害の中、数多くの魔難を経験しました。不当に公職から追放されたり、家族がばらばらになったり、不当に刑を言い渡されたりして、今日まで歩んで来ました。私は恩師に対して少しも疑ったことがなく、迫害の中、巨大な難関に直面しても、いつどこでも師父に対する正しい信念を動揺させたことがありません。
98年に修煉をはじめ、半月経たないうちに、私は自分が何を得たか、この世にまたこれほど貴重なものがあって、それを私が得たと分かり、本当にあまりにも幸運でした! 全世界のすべてをもっても、私に修煉をやめさせることができません。何も私の修煉の道を阻むものはありません。師父の弟子になり、法を正す師父に手伝う大法徒になったことは無比なる光栄です! 無比なる神聖なことです! 今後、時間を大切にして、自分をしっかり修めてはじめて、偉大な師父の慈悲な苦度に背かず、弟子と衆生のために支払った師父の巨大な代価と耐え忍びに背かず行うことができます。万古の機縁は少し気を緩めると過ぎ去ってしまいます! 時間を大切にし、共に精進し、自分をしっかり修め、衆生を救い済度し、使命を全うしましょう!
慈悲な師父、ありがとうございます。私を助けてくださった同修のみなさん、ありがとうございます。
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2]李洪志師父の詞:『洪吟二』「師徒の恩」
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/11/146809.html)