同修の間の縁を大切に
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年7月12日】私は修煉を始めてから、熱心に大法の事に励みました。同修に相談されたとき、できることであれば、心を込めて協力しました。しかし、たくさんの事をしたため、それなりの矛盾も多かったのです。

 ある時、同修に誤解されました。彼女の家の裏庭が少し狭く、のちに誰かが別のところで煉功しようと提案したため、彼女は怒ってしまいました。私の提案だと勘違いし、チームで私を名指して「あなたはちゃんと修煉しているのですか。ちゃんと修煉しているなら、そのそばかすだらけの顔はなぜ治らないのですか」と怒り出しました。その時、他の同修たちの目線も私に向かっていました。しかし、私は自分が修煉者で、心性を守らなければなりませんので、彼女と口論しませんでした。その後、その同修は私を誤解したと知り、泣きながら謝りに来ました。私は「私たちは修煉者ですので、大丈夫です」と答えました。

 法を勉強することで、自分の内を探すことを学びました。何でも議論したり、誰が正しいか、誰が間違っているかという概念もなくなりました。何事においても自分の心がどのように動いたのか、どういう心理が出てきたのかなどに気づくことができたのです。気分が悪ければ、それは取り除くべき心理が動き出しているのです。それが自分かどうかをはっきりと認識することで、師父はそれを取り除いてくださいます。これが修煉だと悟りました。

 私は同修との間に隔たりはほとんどありません。しかし、一度だけ、ある同修に誤解されました。以前、彼女のチームの同修に会うと、みな明るかったのですが、その後、会うと皆に冷たくされましたが、その理由がわかりません。後にある偶然の機会にその理由を知りました。そのチームはある交流会で、私が安全に気を付けず、昼に各建物にシールを張るだけでなく、同修の家に行くたびに、その同修が捕まえられると言われました。それを知り、私はいい気分はしませんでした。その後私を誤解した同修が引っ越すと聞きました。同修の間に隔たりがあってはいけません。彼女が引っ越せば、私はもう二度と会えなくなり、このへだたりをなくすこともできなくなります。そう思った私は同修と一緒に、彼女の家に行き、誤解を解き、旧勢力の按配を取り除くことができました。

 ある大規模な学法チームで、あまり来ない同修が突然、「皆さんにお願いがあります。私の叔母は以前修煉していましたが、やめました。しかし、彼女の体はとても弱く、自殺なども考えています。誰か彼女と話してくれませんか」と言い出しました。部屋は静まりかえり、誰も行きたがりませんでした。これを見た私は、自分が行くというと、その同修はとても喜びました。彼女の叔母の家に行ってみると、とても苦しそうでした。私は法理を踏まえて、彼女とたくさん交流し、長年の心の病を直すことができたのです。

 「あなたの家で、学法チームを立ち上げましょう」と言うと、彼女は少しおびえているようでした。「我々修煉者は、皆何かしらチームを持っています。環境もだいぶ楽になった今、この状態で、チームを持っていないといけません」という私の言葉に、彼女は同意しました。彼女と何日か法を勉強し、その後皆と交流することを通じ、彼女の状態もだんだんとよくなってきているのを見て、私は帰りました。それからしばらく経ち、道で偶然彼女に会ったとき、急に抱きしめられて何度も感謝されました。「今私の状態はとてもよくなりました。資料も作り、何でも持っています。師父にはもちろん感謝していますが、あなたにも感謝しています」と言われました。

 ある日、息子が突然玄関でうずくまり、「お母さん、僕もうだめです!」と何度も呻き声をあげました。どうしたのかと聞いたところ、胸と背中を何かに刺されているようで、痛くて仕方がないと言いました。息子も修煉しています。その時、ある同修も家にいて、彼の様子を見て、「病院に……」と言いかけましたが、私はすぐに「病院は彼の『病』を治すことはできません」と答えました。息子に病院に行くか、それとも、法を聞くかを聞くと、彼は私に法を読んでほしいと答え、痛みを我慢し何とかベッドに這い上がりました。私は息子に「業力による病」についての法を音読しました。これを聞き、これは病ではないと息子が悟りました。それから彼に『轉法輪』の「第六講」を音読しましたが、息子は聞いているうちに眠ってしまいました。そして、翌日になり、すべての症状がすっかり消えたのです。その後、「お母さんに法を読んでもらっているときが、一番気持ちよかったです」と言いました。師父は業力による病に打ち勝つ法をはっきりと説いておられます。ですから、私は自分自身とほかの同修に起きた症状を病と思ったことは一度もありません。

 全体に協力することは自我を放下し、利己心という執着をなくし、師父の要求に応えることだと悟りました。我々に残された自身を修煉し、衆生を救う時間はもうあまりないのです。ですから、同修たちもこの万年に一度しかない機縁を大切にしなければなりません。修煉はとても厳粛なことです。師父が按排された修煉の道をしっかり歩み、ともに精進していきましょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/17/306317.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/3/26/149482.html)
 
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