内に向けて探し、隔たりを無くす
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文/大連市の大法弟子

 【明慧日本2013年6月5日】ある日インターネットで、知り合いの同修(同修と隔たりがある)が他の同修を救出するために、公安部門に送った手紙の内容を見かけました。私の第一念は排斥で、それを見たくなくなり、その同修に対する自分の観念が出てきました。明らかに間違っているのを分かっていながら、放下できませんでした。

 この時、横で正常に印刷していたプリンタが、突然かつかつと音が鳴り始めました。当時私は自分の心理状態がよくないから起きた問題だと思い、心を静めてその同修の手紙を読み終えました。手紙からは同修の誠実で、善良な心を感じることができ大変感動しました。同修の日ごろの表れが自分の観念にあわなくて隔たりが生じ、その心は同修に対する嫉妬心であることに気づきました。そのためプリンタのおかしい音が止まらなかったのです。私に同修と協調しようとする心が生じてから、すぐアイディアも浮かび、自分がやるべきことをやりました。その日の夜、監禁されている同修たちが喜んでいる様子を夢で見ました。その後手紙を書いた同修を見たとき、違和感と恨む心がなく、同修の長所がたくさん見え、また同修への理解する気持ちも湧いてきました。

 同修の間に存在する隔たりは、邪悪に迫害し妨害する口実を与えています。師父は『大ニューヨーク地区法会での説法』で次のようにおっしゃいました。「時に心性上の摩擦が現れますが、それも認識上または心性上に執着があるからもたらされたことです。これらのことは小さいのですが、空間にあるでたらめな良くない生命に隙に乗じられやすいのです。これらのことに皆さんは注意すべきです!」 私たちが本質的に内に向けて探し、私が異なる法の要求に達した時、大法の威力は自然に現れ、邪悪はすぐ解体されてしまいます。

 ある時、周りの同修たちは邪悪に逮捕された同修の救出に力を合わせていました。協調する中でいろいろな原因で少なくないトラブルが発生し、互いに排斥し、非常に激しいところまで至り、順調に進んでいた同修の救出が停滞してしまいました。この時、私は問題の厳粛さを認識し、心を静めて内に向けて探し、同修を救出する全過程を振り返ってみました。これで自分の問題が分かりました。私は自分に執着し、自分の意見を固守していました。表面上は皆と一緒にやっているようですが、実は自分と異なる認識を持つ同修を無視する傾向があり、他人にやり方を変えてもらおうとしました。この執着を見つけてから、邪悪を解体し、同修の救出を成功させるには全体の協調ができなければならないと分かりました。この認識に達してから、同修を恨む心はなくなり、隔たりもなくなって、心から自分の行為を恥ずかしいと思いました。監禁された同修は1週間後に帰ってきました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/27/274447.html)
 
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