小さな事に現れた人心
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文/山東省の大法弟子

明慧日本2015年7月28日】今年の2月ごろから姑の体調が悪くなり、よく腹痛がして心臓もつらいと訴えていました。病院に行き検査してみると、医者からは大きな不具合は無く、消化不良気味だと伝えられました。

 姑には息子1人(私の夫)と娘2人がいましたが、みんな仕事を持っているため、姑の面倒を見るのは私一人がする事になりました。

 姑の性格は少し変わっており、考え方も他人が理解できないところがあります。姑は子供らを信用せず、貯金は誰にも渡しません。そのため、息子と娘たちにも嫌われています。私は修煉者であり、この変わり者の姑と言い争いなどは一切せずに、1日三度の食事を作って、姑と仲良くしています。また姑にはよく「法輪大法が素晴しい、真善忍が素晴しい」と教えて、おかげで姑の体調がだいぶよくなってきました。もう姑のお腹は痛くなることはなくなり、便秘も改善されました。

 ある日、私は姑に「お義母さん、私は1日3回食事を作り、病院に行く時も私が付き添っています。だからお義母さんの貯金は私が預かっておきましょうね。もちろん私は決してお義母さんの金を使ったりしません。ただ私が預かっていると、万が一病院に行く時にもすぐ出せるし、何かと便利なんです」と言いました。何気なく言った言葉のようですが、この時、実は「姑の貯金を家に置いたほうが安心できる、記憶力が衰えた姑は金を落としたら大変だ」と私は思っており、利益心が動じていました。言った言葉に自分でも何か問題があると微かに意識していました。しかしその時は深く考えていませんでした。

 しかし、翌朝、姑は突然泣き叫び、心臓がとてもつらく、病院にすぐ行きたいと訴えました。そして法輪大法を信じないという話をしだし、「やっぱり、この病気は病院に行かないと治せない」と言いました。

 姑は「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じてから姑の多くの病気は無くなったのに、どうして突然このように変化したのでしょうか? 私は突然、事の重大さに気付きました。修煉者として私は「物事の善し悪しは人間の一念によるもの」という道理に気づき、昨日、貯金に関して姑に言った言葉、そしてその裏にある私の不正の念が、今回の出来事の原因であるとすぐに分かりました。「万が一病院に行く時にすぐ出せる」と言った事で、私は姑の病を求めてしまったのではないでしょうか? どんな良くない一念でも面倒や災いを招くのです。

 私は「お義母さん、『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』を念じて下さい。私は今から食事の支度をします。食事が済んだら、すぐ一緒に病院に行き、心電図でも取ってもらいましょうね」と姑を慰めました。それから姑はずっと「法輪大法が素晴しい、真善忍が素晴しい」と念じていました。

 私は師父の肖像写真の前に来て、お線香を立てて師父に謝りました。「師父、私は間違いました。昨日、姑に言った話には利益心が隠れていました。そう言ったのは本当の私ではなく、私はそれを認めません。妨害を除去して下さるようお願いします」

 そして、私はご飯を作って、姑と一緒に食べました。食事の後、姑は突然「もう病院に行く必要がありません、私は良くなりました」と言いました。後になって病院に連れて行ってくれないと姑に責められるのを恐れて、私は再三に姑に「やはり病院に行って、検査だけをしても安心するでしょう」と勧めても、姑は固く「もう行く必要がありません。もう本当に良くなりました」と答えました。前後で30分、姑の態度はこんなに大きく変わりました。自分の昨日の利益心を否定したら、慈悲なる師父はこの一難を解消してくださった、と私は分かっています。

 今、姑はいっそう師父と大法を信じるようになって、毎日誠意を込めて「法輪大法が素晴しい、真善忍が素晴しい」と念じて、体は以前よりずっと健康になっています。

 この小さな出来事は、修煉者(私)の大きな問題を反映しています。修煉は本当に厳粛なことです。日常生活の中で、どんな時でも自分は修煉者であることを忘れずに、どんな事が起きても大法で測り、正念で対応しないといけない、と私は新たに体得しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/7/8/312127.html)
 
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