不幸中の幸い
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文/河南省の大法弟子

 【明慧日本2015年8月21日】若い頃、友人と一度山に遊びに行ったことがあります。山の至る所に八卦を見る人がいました。聞くと、とても当たるということだったので、私も一度引いてみました。引いてみたら大凶でした。それから数十年たちましたが、いまだにはっきり覚えています。そこには「鉄樹花開」(極めて希という意味)と書いてありました。卦を見る人は私に「あなたの運命はとても良くないです。運命を変えたければ鉄の樹に花が咲くまで待たなければなりません」と教えてくれました。この四文字は黒い雲のように私の心を包みました。

 案の定、思い通りにならないことが次々にやってきました。最初は当時の環境の影響で、働いていた芸術団が解散してしまいました。やむを得ず小さいころから追い求めていた芸術の仕事をあきらめ、ある会社の経理になり、すべてをゼロから始めました。間もなく、深く愛していた夫が浮気をしました。負けん気が強かった私は、彼に裏切られたことに耐えきれず離婚して子供を連れ家を出ました。しばらくして、さらに不幸なことが訪れました。人を助けるつもりでしたが、罪がないのに巻き添えになり、11年の有期刑になってしまいました。

 最初、留置場に拘禁されていた頃は、非常に気落ちして、不満と辛さで息もできませんでした。それに、年をとった両親と幼くて体の弱い子供に対する切実な思いで、連続して数日間一言も話しませんでした。ひいては、自分の命は最期に至って、少しの希望もないと思っていました。

 2000年3月、留置場に法輪大法の修煉者が入ってきました。彼女らはみんな北京に陳情に行ったため監禁されました。年齢は様々でしたが、みんな明るかったのです。私は、留置場は人間世界の地獄だと思っていましたが、彼女らは穏やかで親切でした。誰にも同じように親切だったのです。

 私はとても好奇心がわいてきて、その中の1人に聞きました。「皆さんは法を犯してもいないのに、ここに監禁されていますが、辛くないのですか。なぜ皆さんは怒らないのですか」彼女はこう答えました「私たちは大法を実証するためにここに来ました。私たちがやっていることは宇宙の中で最も神聖なことであり、ここに来たのも、ここにいる縁のある人に法を得させるためです」。私はあまり理解できませんでした。なぜなら、留置場に入る前に、私は法輪大法のことを知らなかったからです。

 続いて彼女は「佛法は人に良い人になるように教えています。なぜ人には苦難があるのか」を教えてくれました。これらの今まで聞いたことのない道理に、私は一気に夢から覚めたようでした。長い間苦悶していた私は、一筋の光が見えたようで、とても暖かく感じ生き返りました。

 その晩、彼女が持ち込んだ手書きの『精進要旨』と『洪吟』を見せてくれました。私は一晩で一気に読み終えました。読み終えたら、まるで長く出会えなかった親族に出会えた感じがしました。

 それから私は、大法弟子らと一緒に煉功し、学法し、修煉者になろうと決心しました。私は「大法だけが私の運命を変えられる。確固たる意志で修煉してこそ、本当に鉄の樹を開花させることができる」としみじみ感じ取りました。

 もちろん、修煉の道のりで何回も試練を体験しました。当時、留置場では非常に厳しく学法と煉功を禁止していました。一度、監房で集団煉功をしていたところ、巡視していた警官に発見され、私はすぐ手錠と足枷をかけられました。また、監房の全員が蒸しパンの配給を止められ、具の少ないスープだけを配給されました。それでも、同修の皆さんの励ましの下、私は強靭な意志で試練を乗り越えました。また、大きな病業の難も順調に乗り越えられました。それから現在まで14年間薬を飲んだことがありません。

 刑務所に入ったら、私の長所を生かすため、文芸宣伝隊に配属されました。そこは非常に複雑な人の群れでした。専門性が強かったためトラブルが際立っていました。特に嫉妬心が突出していました。私は最も複雑な人の群れを最も良い修煉環境として受け取りました。良い人になることを始めとして、至る所で修煉者らしい要求をしました。すべての人に善の心で接し、人と言い争いをしませんでした。大法の慈悲と穏やかさを全ての人に伝えました。自分もその中で大法の博大で奥深い、また素晴らしいところを体験しました。

 各方面でとても良く行ったため、周りの人と刑務所の警官からも好評を得ました。そして1年半の減刑申請をしてくれました。ちょうどこの肝心な時に、もう一つの試練がやってきました。同じ監房の人が手柄を立てて刑を減らされるために、私が隠していた大法の経文を警官に渡しました。そのため私は独房に19日間入れられました。その間、絶えずいろんな人が私に面談しました。刑務所の所長、教育課の課長、政治係の人が順番に私と面談して、大法を放棄し、信仰を変えれば、1年6カ月の刑を減らしてくれると言いました。これらの脅しと利益の誘惑に対して、私の心は動じることなく、さらに屈服しませんでした。またこの機会を利用して、自らの体験をもって、大法の素晴らしさを伝えました。

 その後、彼らはなす術がなく、私の減刑の資格を取り消しました。そして私を生産任務が重い所に移しました。私にさらに多くの苦を舐めさせ、私の心を変えようとしました。彼らは勘違いをしていました。修煉者は苦を舐めることを恐れず、どこでも「真・善・忍」を基準とし、心性を向上させ、真に修める人になり、新たな修煉環境をきり開きます。こうして新しい所でも、私は比較的良い成績を残し、最終的には周りの人の称賛を得ました。

 刑務所側は完全に失敗してしまいました。私を脅すことができなかったばかりか、却って人々に修煉者の正しい気風と確固たる心で大法を修煉する姿を見せました。専門的なニーズにより私は文芸宣伝隊にもどされました。この一連の魔難を体験してから、私はさらに修煉の意志を固め、成熟しました。いかなる圧力も私の修煉を阻むことはできませんでした。数年後、私は3年9カ月減刑され、早く釈放されました。 

 家に帰ってから私は、積極的に80歳の年老いた母の面倒を見て、長年の恨みを善解しました。心の中の憎しみを放下し、神韻DVDと法輪功迫害の資料をもとの夫の家に持って行き、彼らに真相をはっきりと伝え、大法に対する誤解を取り除きました。 

 私は法輪功を修煉するまで、傲慢で負けん気が強く、自分に利があれば譲らない性格でした。修煉してからは、人と人のトラブルに全て因縁関係があると解り、トラブルと不愉快なことがあれば、内から探すようにしました。至る所で他人のことを先に、自分を後に考えました。親族も現在の私は以前の私とは別人だと言いました。私は「法輪大法が私を徹底的に変えました」と言いました。私の影響の下で、今年84歳の母と68歳の従妹が相次ぎ修煉を始めました。

 常人の言い方をすれば、私は不幸な人間です。しかし現在の私はとても幸せです。災いが転じて福になり、生命のどん底の時に大法を得て、しかもあの特殊な環境で何回も厳しい試練を耐え抜き、心が緩むことなく歩んできたからです。私は自分に不足があることを知っています。座禅するとき双盤が良くできていないし、時には人を怒ろうとしたりします。しかし、私はしっかり修め、師父に付いて帰ると決めました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/19/311099.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/7/15/151549.html)
 
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