広東梅州市・5年間拘禁された朱賢生さんは再び連行
■ 印刷版
 

 【明慧日本2016年1月29日】広東梅州市梅県区程江鎮の法輪功学習者・朱賢生さんは、2016年1月16日に地元の検察院に逮捕状を出され、逮捕された。現在弁護士雇い、詳しく調べている。

 昨年12月14日午後3時半ごろ、梅県区公安局と程江派出所の10数人の警官らは朱さんの家に侵入し、パソコンなどの私有 物を押収した上、遊びにきていた張美明さんと李秀芳さん(朱さんの妻)の3人ともに梅県区公安局に連行した。李さんと張さんは当日の夜に釈放された。朱さんは梅県区扶大留置場に移送され、拘禁された。

 朱さん夫婦は大法の修煉をやめないため、何度も家宅捜査され、連行されて迫害された。朱さんも何度か拘禁された。労働教養されたり、懲役の判決を下され監禁されたりした。

 2000年7月、朱さんは梅県の610、程江派出所、程江鎮政府の役員らに程江派出所に連行された。3日間、不法に拘禁され、その後扶大留置場に移送され、1カ月間ほど拘禁された。家族が5000元のいわゆる保証金を強請られた。

 翌年4月、朱さんは再び扶大留置場に連行され1カ月間ほど拘禁された。妻の李さんも洗脳クラスに連行され20数日間迫害された。

 2002年3月、朱さんは3回目に扶大留置場に連行され、70日間にわたり迫害された。体重は急に70数キロから55キロに落ち、その後ずっと回復できずやせこけている。 

 2005年5月の月末、梅県の「610弁公室」は朱さんの自宅に侵入し、朱さんを連行しようと企んだが、不在のためうまくいかなかった。料理していた李さんは絶えず真相を伝え、数時間家に閉じこめられた。

 同年6月1日、梅県程江鎮司法所の3人は、朱さんの家のドアを無理やり壊し、李さんを梅城江南路原梅県交警ビルにある、洗脳クラスに連行し迫害した。李さんは断食で迫害に抗議したが、5,6日後に10数人に頭と四肢を押さえられ、乱暴に灌食された。あまりにも酷くて李さんは死ぬところだった。2カ月後に李さんは脱出し、家があっても帰れず、長期間にわたり各地を彷徨っていた。

 同年8月19日、梅県の「610弁公室」は公安局の警官らと共謀し、2、30人の警官らが朱さんの自宅に侵入し捜査した。朱さんは脱出し、各地を彷徨っていた。娘と高齢の母親が残され、助けあって生活していた。

 同年12月30日、朱さんは興寧市興寧留置場に連行された。興寧市で借りた家も捜査され、パソコン、プリンター及び大法真相資料などを押収された。1カ月後、朱さんは不法に労働教養3年を言い渡され、三水労働教養所に移送された。健康診断の結果が悪かったため釈放された。娘も同時に連行され、梅県扶大留置場に15日間拘禁され釈放された。

 2008年5月6日夜10時ごろ、梅県の「610弁公室」の数10人の警官らは朱さんの家を囲み、ドアを壊し家に侵入した。パソコン、プリンター、大法真相資料及び4000元の現金などを押収した上、朱さんを扶大留置場に移送し、拘禁した。5月15日夜、数10人の警官は再び朱さんの家に侵入し、妻の李さんと娘を梅城江南路原梅県交警大隊の洗脳クラスに連行した。李さんは病状が現れたため10日後に娘と一緒に釈放された。

 2008年8月、朱さんは不法に懲役5年半の判決を下され、不服で上訴したが却下された。広東省第三刑務所(梅州刑務所)に移送され迫害された。2012年3月28日に釈放された。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/27/322773.html)
 
関連文章