香港への旅が彼女を変えた
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文/鈴児

 【明慧日本2016年2月8日】趙君さんは私の実家の隣人で、私とは幼なじみでした。小さい頃に父親を亡くし、気が優しい小学校教師の母親と一緒に暮らしていました。未婚の叔母さんも同居していました。趙さんは気性が激しく、一家は彼女の言いなりになっていました。

 趙さんは小さい頃から家族の心配の種で、いくら厳しく教育されても効き目がありませんでした。隣人は彼女の叔母さんからよくこの話を耳にしていました。「上等な人は自ら立派な人間になり、普通の人は教育を受けてよい人間になり、レベルが低い人は殴られても人間にはなりません」。成長したした趙さんはますますコントロールしにくく、酒食や遊楽にふけって、踊りや賭け事に夢中になり、むやみに異性と付き合い、母親と叔母を悩ませました。賭け事

 もっとも印象深いのは、母親が末期がんのため病床についた時、趙さんは母親に博打に使うお金をせびり取ろうとしました。母親は重病の上、治療のためによく上海に行かなければならず、彼女に与えるお金があるはずがありませんでした。趙さんは家にあった唯一の白菜を市場に持って行き売ってしまいました。この事を私に伝える母親の悲しい絶望的な表情は、たとえ石でできた人間がみても涙を流したことでしょう。

 その後、趙さんは2回結婚し、二度離婚しました。前夫との間の娘さんが成人した後、趙さんのような母親を受け入れることはできないと言って、7万元を出して趙さんとの親子関係を断ち切りました。その後も、趙さんは依然として放蕩な人生を送っていました。

 その後、娘さんが結婚して双子を産み、子供の面倒を見てほしいと連絡してきました。趙さんは本性が変わらず、足腰が痛いから病院に行くと言って博打に走り、毎日2回お酒を飲み、良いおかずも求めました。酒の匂いが子供に良くないと抗議した娘さんを無視して、毎日欠かさずお酒を飲んでいました。娘さんの舅が意見を言おうと口を開く前に、趙さんは罵り始め、姑は黙って我慢するしかありませんでした。

 一時、趙さんに大法の事を伝えようと考えましたが、自信がありませんでした。

 ところが、予想もしなかったことに、2014年の年末ごろ、趙さんは私の実家を訪ねました。香港への旅が趙さんを完全に変えたのです。

 趙さんは香港で大法が迫害されている真相や大法の素晴らしさを知り、修煉を決意したそうです! 香港から帰った後、趙さんは酒をやめ、博打をやめ、人を罵ったり殴ったりすることもやめて、大法の法理を持って自分を律するようになりました。今回、趙さんは大法の本を求めるために私の実家を訪ねたそうです。長年の自分の慈悲のなさを後悔するとともに、洪大で慈悲なる師父のご恩に感謝し、大法の素晴らしさを実感しました。

 先日、趙さんがまた訪ねてきました。今の趙さんは毎日、以前一緒に遊んでいた仲間たちと一緒に『轉法輪』を読み、師父の説法ビデオも見せたそうです。また、趙さんの変化を目にし、娘さんの舅も大法を学び始め、毎日師父の説法ビデオを見るそうです。娘さんも最初の心配と恐れから一転して、趙さんを支持するようになりました。今は一家が和気藹々として、法輪大法の佛恩を受けています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/27/322778.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/2/3/155045.html)
 
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