師父は良い人を按排して私の川渡りを助けってくださった
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2016年3月15日】2000年5月、麦の収穫時期のある日曜日、私は収獲した麦を屋根の上で干した後、自転車に乗って100キロ離れたところに資料を取りに行きました。

 村を出た後、青空が突然灰色になり、強風も吹きだしました。帰ろうかと思いましたが「今日行かないと、明日は行く暇がない」と悩んでいたとき「常人の中でいくら大きな事があっても、修煉と比べたら、大きいことではない」という同修の言葉を思い出し、前に進みました。

 途中、川を渡って3~4キロ先に自転車を置くと、バスが来ました。バスに乗った後、振り返って村を眺めると、上空が黒雲で覆われ、雨が激しく降っていました。このとき、自分の服が濡れていないことに気が付き、師父に感謝の気持ちでいっぱいでした。バスが走って、雨がずっとバスの後ろで降っていました。市内に着いて、経文と明慧週刊と真相資料を受け取りました。

 帰りは長距離バス乗り場で安全検査を受けなければなりませんでした。当時は法輪功が酷く迫害されていた時期で、荷物と鞄を全部開いて検査されるのでした。私は心の中で黙々と「佛光は普く照らし、礼儀は圓明となる」を念じ、師父の加持を求めました。検査の順番になると、検査の人は電話を受けたり、他の人と熱心に話したりして、私の荷物を検査しませんでした。このようにして私は無事に乗車できました。

 下車したときは雨も止んでいました。自転車に乗って家への走り道で川に着くと、目の前の光景に驚かされました。大雨のせいで、川の水が大きく上がっていました。10数メートルの幅の川に水が溢れ、流れも激しかったのでした。どうしよう、路上には誰もいないし、空もまもなく暗くなるし、他の道を回ったら余分に30数キロかかりました。私は大変焦りました。さらに、この数日間の畑の作業による疲れも加わり、涙がボロボロ落ちてきました。

 突然、師父が説法の録音の中でおっしゃった「あなたは困っているとき、なんで師父を呼びかけなかったの? これも師を信じ、法を信じるあなたの程度を見られたのです」を思い出しました。私は両手を合わせて師父に「前に進むか、他の道に回るか、どうしたらいいでしょうか? 師父の按排に従います」と念じました。

 そのとき、突然、人の声がして「お嬢さん、どうしたの? 渡らないのですか?」が聞こえました。てんびん棒を担いでいる叔父さんと叔母さんが声をかけてくれました。叔母さんは「おいで、広いところは水の流れが穏やかです。自転車を叔父さんに任せて、私たちは手をつないで渡りましょう」と言いました。私たち3人はこのようにして川を渡りました。2人にお礼を言って、叔父さんから自転車をもらうと、2人は一瞬にして消えました。私は涙が流れ「師父でいらっしゃいますね。師父はこの2人を按排して助けてくださったのですね。師父のご恩に感謝する言葉が見つかりません。師父、私はしっかり修煉します」と心の中で師父に申し上げました。

  家に着くと、屋根の上に干していた麦は、近隣の人と友人に全部収められていました。また子供たちは放課後、友達 の家で食事を済ませていたことが分かりました。師父の慈悲なる按配にたいへん感謝いたしました。

(ある正念を発しているときの経験)

 2004年秋のある日、午後の5時過ぎ、同修から電話があり「早く市に来てください」と言われました。私はバスで3時間かけて市に着きました。同修から知らされたのは、1つの大きな資料点が警察に破壊され、同修も連行されました。私たち数名の同修は円になって座禅し、この件に対して正念を発しました。 

 皆はまず自身の空間場をきれいにし、時間になると、掌を立てました。掌を立てた瞬間、私の目の前に5列になってずっと見えないところまで並んでいる昔の時代の兵士が現れました。前の一陣の兵士は旗を振って叫び、その次の一陣は太鼓を打ち、その次の一陣は矛と槍を持ち、その次は長い銃を持ち、また馬に乗って指揮している将軍もいました。

 私は驚きました。映画を見ているのかなと思いましたが、師父の説法の中に、このような一幕をおっしゃったことがあるのを思い出し、すぐ自分の神通力を出して邪悪を滅することにしました。私がよく使った法器は小さな手裏剣でした。無数の手裏剣が指と指の間から雨のように飛び出すと、一瞬で目の前の一陣のたくさんの兵士が倒れました。滅した悪人がこんなにたくさんいたのかと思った私が少し緩めようとすると、次の一陣の兵士が現れました。彼らは前の一陣の兵士と異なる服を着て、別の時代の兵士でした。彼らも全部倒れました。このように一陣一陣が来て、次から次へと消滅されました。この過程でとてもはらはらしました。またもう一つの功能が戦場を掃除しました。道が一瞬にしてきれいになりました。

 正念を発するとき、体力が足りないと感じたら、心の中で「師父、師父」と叫ぶと、すぐにエネルギーが増えました。私たちが時々刻々師父を思い出し、無比な尊敬の心で師父をお呼びすると、師父は本当にどこにでもいらっしゃり、なんでも助けてくださいました。

 当時、学法の量がとても多く、時間があると、法を勉強し、法を暗記していました。ときには、法を勉強しているとき、体は本の中に入り、2つの大きな目が字を拝読し、脳に刻印し、妙に外界と隔離しているように感じていました。

 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/18/322343.html)
 
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