他人への押し付けはやめよう
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文/ヨーロッパの大法弟子

 【明慧日本2016年3月30日】昨日、観光スポットで大法が迫害されている真相を伝える際、ある旅行団体の観光客の数人が、「三退」という言葉を聞くや否や私に罵声をあげ、周囲の人々に喧嘩していると誤解を与えてしまいました。彼らに叱責される中で、最初の数十秒間、私は自分に心性を保つように言い聞かせました。しかし、罵声を浴びせてくる人が増えるにつれて、私は徐々に耐えられなくなって、平静さを保てず動じてしまい、一緒に興奮してしまいました。

 夜帰宅後、私は「どうしてなのか?」と考え込みました。どうして人々は私の話を聞かないだけでなく、更に私を叱責までしたのでしょうか? 私は大声を出して話したわけではなく、ただ「三退」を言っただけなのに、どうして彼らがそれほど大きな反応を引き起こしたのでしょうか? どうして叱責された自分がますます興奮してきたのでしょうか?

 心を静めて考えてみると、私は自我を重んじ、他人に押し付けようとする心があったからだと思いました。私は自分の認識を観光客に無理やり押し付けようとし、彼らが私の言う通り、正しいと思う通りに動いてほしいと思ったからです。衆生を救いたい気持ちの下、それを実行する過程において自我と自分の認識を第一位に思い、慈悲なる済度、そして他人を優先する心が欠けていました。もし、自分自身を重んじる心を持っていなければ、彼らに何を言われても心が動じず、常に慈悲で穏やかな気持ちを持っていたはずです。

 大法弟子の誰もが真心から大法の良さを認識しています。しかし、師父は一度も大法の法理を私達に無理やり押し付けたことはありません。無理やり他人に押し付け、他人の感受を無視し、他人に自分の思う通りに何かを実行させること自体、善ではないのです。これは修煉者が取り除くべきものです。

 現段階での個人的な認識ですが、同修のご参考になれば幸いです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/3/24/325751.html)
 
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