一念の差
■ 印刷版
 

 【明慧日本2016年4月2日】何かが起きた時に自分に生じた一念により、もたらされた結果には雲泥の差があります。大法弟子は正念を持って正しく行い、問題が起きた時にまず内に向けて探して全体のことを考慮しなければなりません。

 数年前に、同修たちと610弁公室の主任の地元に行き、法輪功の真相資料を配ることにしました。私たちは二人一組で、三組で手分けして資料を配りましたが、私の組の同修ははぐれてしまいました。地元の住民が「法輪功の人たちは度胸が据わってるね。ビラをうちの村にまで配りに来た。警察に連れていかれたよ」と話していたのを聞いて、ドキツとしました。結局、はぐれた同修を見つけることができず、私たちは慌てて同修の家に戻り、真相資料と大法の書籍を他の場所に移し、大法から外れた人心を用いた行動をとりました。

 私たちに正念がなく、人心を用いた行動したため、不法に連行された同修は罵られ、殴られるなどの暴力を受けました。その後、さらに、拘置所に移され、1年あまり不法に労働教養所に収容されました。当時、内に向けて探すことができず、横暴極わる610弁公室に真相を伝え、同修を救出しに行くことは無謀な行動だとしか認識できなかったため、断念しました。内に向けて探すと、問題が起きれば自分が責任を負わなければなりません。私達は同修を置き去りにし、不法に連行された同修に今回の魔難をすべて背負わせたことは間違っています。私は今までの自分の修煉の基点は私のためのものであると分かりました。初めてこれらの問題を認識できて、心から深く後悔しました。師父の写真に向かって、「師父、私は間違えてしまい、良く行うことができませんでした、自分のどの心を取り除けばよいかよくわかりました。これからは、必ず、同修に責任を持って、法に責任を持つ基点に立って正しく行います」と誓いました。

 また数年が経ちました。隣村のブロック塀に大法を中傷するポスターが張られているのを目にしました。世人が毒害されないように、暗くなるまで待って、同修2人と、そのポスターを剥がしに出かけました。その晩、まん丸い大きな月に照らされ、私たちは正念を発しながら、隣村に到着しました。そのポスターはとても長くて、縦1メートル、横は十数メートルの大きさがあり、力を振り絞って剥がして、丸めて抱え、その場を去ろうとした時に後方からバイクに乗った人が現れて、私の肩を掴み、大声で「何してる? 泥棒か?」と怒鳴りつけられました。瞬時、心に一念が生じました。「師父、助けてください」と。

 私は振り向いて、その人に「私たちが泥棒に見えますか? 私たちは真・善・忍を修める善良な庶民です、人を救うためです。私たちが出会えたのはご縁があったからで、幸運に恵まれています。このポスターは世人を毒害することが書いてあるので、これを剥がしました。私にも、あなたにも有益なのです」と説明しました。彼はこの件について取り締まりのパトロールをしているところだと言いました。再び、私は丁寧に「お兄さん、あなたは優しそうで、とても良い人に見えます。お家にもお年寄りがいらっしゃると思いますが、仕事で、任務を実行しようとしているだけで、あなたは私たちを捕まえることはしないと思います。見て見ぬふりをして、私たちを逃がせば、あなたはきっと大きな功徳を積むことになるでしょう、あなたの家族まで幸運に恵まれることになります」と話しました。

 少し躊躇していましたが、彼は「もう行っていいよ」と言い、私たちは無事に帰ることができました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/3/17/325450.html)
 
関連文章