観念を変え、家庭の事情から抜け出す
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文/中国湖南省の大法弟子 回帰

 【明慧日本2016年4月28日】師父は「特に一部の古い弟子です。あなたの生活のすべてが修煉の中にあると考えたことがありますか? あなたの言動、あなたが行なったすべて、いずれも修煉の中にあり、あなたは分かっていますか?」【注1と説かれました。師父は本当に家庭や家族の情に捕らわれている大法弟子の事を心配しておられます。そして、私自身も家族の情に捕らわれている修煉者の1人でした。

 1997年に大法を修煉し始めました。それ以前は高血圧やリウマチ、めまいなどの病に苦しめられてきましたが、法輪大法を修煉してからすべての病が治りました。私は今年で72歳になりますが、同年代の人たちより健康です。そして、修煉を始めてから一度も病にかかったことがありません。けれども、長年、息子たちに絡まれて、もう少しで修煉する機会を失うところでした。そのため、最後の時に私を引き戻してくださり、精進させてくださった師父と、同修たちに感謝しています。

 私には3人の息子がいて、皆で一緒に住んでいます。長男の嫁はすでに亡くなりましたが、彼女は結婚してすぐに女の子を産みました。初孫の嫁ぎ先の実家は農村にあり、生活が不便なうえ、彼女は都会のクラブで働いているため、深夜2時頃に家に帰りました。まだ1歳を超えたばかりの曾孫の夜の面倒は私が見ていました。次男の嫁が生んだ2番目の子も1歳を過ぎたばかりで、その赤ん坊の夜の世話も私が見ていました。計算してみれば、1日の睡眠時間は3時間足らずでした。その上、家族全員の衣服の洗濯 や、布団干し、1日3食の食事の用意、その後片付けなど、すべての家事は私がしなければならなかったため、法を勉強する時間も真相を伝える時間もあまりありませんでした。時々集団学法に参加することはできましたが、法を勉強する度に眠くなり、発正念する時でさえも、手が倒れてしまい、とても修煉者のあるべき状況とは言えませんでした。疲労が溜まって毎日めまいにおそわれているのに、息子からは「隣のおばさんも70歳を超えたけど元気じゃないか。まして修煉者でもないのに、お母さんよりもたくさん働いてるよ」と文句を言われ、その嫁からも冷たい目で見られていました。

 息子の嫁の母が時々手伝いに来てくたので、この機会を借りて真相を伝えるために農村に行きました。しかし、これも時々でしかなく、精進どころか「大法弟子」という称号にすら相応しくありませんでした。そして一時期は真剣に法を勉強していなかったため、内に向けて自分を探さず、同修と誤解が生じ、怒った私は学法チームにも参加しませんでした。それからは際限がない家事に追われて全く法を勉強しなくなったのでした。

 しかし、同修は、法が作り出した生命であるため、ずっと沈んだままの私を見てくれました。嫌がることなく何度も家に来て私と交流を繰り返し、法の上で切磋琢磨し、家族による妨害から抜け出すのを手伝ってくれました。師父と同修に心配をかけながら、10何年もの時間を経て今日まで歩んできたのは一体何のためだったのでしょう。法を得るためでした。しかし、法を得てもそれを大切にしていなかったのも自分自身です。師父は「これは悟るか悟らないかの問題で、つまり、済度できるかできないかの問題なのです」[注2]と説かれました。

 考えれば考えるほど緊張し、考えれば考えるほど後になって怖くなってきました。法を得てから、師父は私の身体をきれいに浄化してくださったのに、私は家族の些細なことで忙しい日々を過ごしていました。浄化された後の健康な体は修煉のためであって、常人の生活をするためではありません。私のような年寄りの修煉者に、師父は「定められた天寿を越えた、延長された生命は、すべて煉功するために与えられたものであり、間違った考えが浮かんだだけで命の危険を招くことがあります。」[注2と説かれました。]私はなんと愚かだったのでしょう。旧勢力はこのように生活の一部である家族の事で学法と煉功、そして法を実証することを妨害していたのです。情は魔であり、すべての執着心の根源でもありました。それは私に纏わりつき、ゆっくりと侵食していき、私を常人の情の輪に閉じ込めていきました。しかしながら、同修の助けにより旧勢力の企みに気づくことができました。師父についていかなければ、旧勢力に引きずられていってしまう、と気づきました。そこで私は「必ず師父についていきます」と心の底から誓いました。

 頭ですべてを理解しただけでは何も始まらないので、実際の行動に移さなければなりませんでした。私は発正念しながら師父に加持を求め、堅く決心して息子夫婦と孫たちに「この命は師父がくださったものです。そして必ず大法を修煉します。息子をここまで育て上げ、今は孫だけでなく、曾孫の面倒まで見なければなりません。この家で、私はベビーシッターよりも忙しく、法を勉強する時間がない上、衆生どころか、自分自身すら救えません」と伝えました。正念が出ると、誰も何も言い返せませんでした。それからは子供たちの反応を気にすることなく、毎日の午前中は真相伝えるために出かけていき、午後はできる限り集団学法に参加し「三つの事」を欠かさずにやることができました。家族や息子夫婦たちもこのスケジュールに納得してくれて、何もかもが順調にいっています。

 これらの変化を見た同修も、奈落の底まで落ちた私を再び引き上げてくださった、師父の慈悲と威徳に感謝しています。今では同修たちと共に信念を持って法を実証する道をしっかりと歩んでいます。

 注:
 [1]李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
 [2]李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/4/18/326801.html)
 
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