怨恨を放下し、慈悲をもって衆生を救う
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文/河北省の大法弟子 草原

 【明慧日本2016年5月21日】私は内モンゴルの大草原で育ち、16歳になった時、働くために内陸に来て、縁あって法輪功の修煉を始めました。十数年の修煉の道のりで、大法の慈悲や奇跡、そして素晴らしさなどが何度も自分の身に現れました。しかし、今回交流したい内容は怨恨の心を取り除く過程で経験したことです。

 苦しい生活の中、胸いっぱいの怨恨

 16歳の時、父が亡くなって間もなく、母は七つ年下の持病もちの男性と再婚しました。当時、全ての親戚は母を心配して、農作業ができない男性との再婚に反対しました。亡くなった父は長年重い病に苦しめられ、母は1人で私たち5人姉妹を育ててきたので、これ以上母に負担をかけたくはありませんでした。義父は村で教師をしており、毎月少額の給料をもらっていました。この家に来てから仕事をしたがらないし、毎日何もせず、さらには自己中心的で、家の環境は改善されるどころか、さらに悪化していきました。

 母が弟を身ごもった時、義父はちょうど冬休みに入ったにもかかわらず、一度も母のために食事を作りませんでした。当時、私は腕に大きな膿疱がいくつかできてしまい、破れた膿疱から出た膿が服に付き、豚のえさやりや薪割り、料理などをする時は擦れて非常に痛かったのです。しかし義父は少しも手伝おうとしませんでした。この時から、彼への怨恨の種が心に生まれたのです。母が子供を産んだのに食事すら作らず、毎日何もしないで私たちに世話をさせた上に、何度呼びに行っても起き上がって食事をしようとしないなどの不平や不満が日に日に積もっていき、夜になると、時々布団を被って泣きました。

 それから私は都会に出て働き始め、何年か後に結婚して、母と姉妹たち、そして義父と1番下の弟の戸籍を全て都会に移しました。しかし、中国では現在道徳基準が日に日に下がっていき、年をとった義父までが、母に隠れて女を作って浮気するとは夢にも思いませんでした。最初の浮気相手は母の強烈な反対の下で、別かれましたが、間もなく2人目ができました。そしてあろうことか、義父はその女性を家に呼び入れて、その上部屋を借りて住まわせたのです。母は毎日泣き崩れ、義父のこれらの一連の行動により、私の中に怨恨の心がどんどん膨らんでいきました。

 このような情況を目の前に、ついに姉妹たちの怒りが爆発し、母の精神状態も危うい状態になり、毎日数えきれないほど私に電話してきました。私にも自分の生活があるので、何度も電話を掛けられて迷惑なのですが、娘としては母の苦痛を見て見ぬふりをするわけにもいきません。義父が悪いのは言うまでもありませんが、この問題も解決しなければなりません。私は一体どうすればいいのでしょうか。

 師父の教えを聴く

 私は大法弟子なので、師父の教えを聴かなければなりません。師父はこのように説かれました。「目下人類社会に多くの良くない現象、良くない人間、良くない行為があり、完全に人間から背離し、甚だしい場合、一部の人は変態心理だけでなく、魔性まで強いのです。このような情況下では、どのようにすればよいのでしょうか? 皆さんに教えますが、関わらないでください。なぜでしょうか? 大法弟子の偉大なることは宇宙で法を正すことと結び付いており、皆さんの最大の使命は法を守ることです。大法を破壊しないのなら、関わらないでください。大法を破壊するのであれば、その人に真相を伝え、邪悪を抑制し、根絶し、世の人を救い済度します」[1]

 その通りです。義父の行動は確かに最低ですが、私まで姉妹たちのように毎日見て見ぬふりをしていれば、常人に成り下がってしまうのではないでしょうか。末法の時期である今日の人類の道徳観念はすでに奈落の底まで落ちたので、師父はこの時期に大法を広めにやってこられたのです。では、義父はなぜこのようになったのでしょうか。それは法からずれているからです。私は法を得たので、義父にも大法の事を伝え、本当の善と悪をわからせなければなりません。

 内モンゴルから来た義父が未だに分厚い服を着ていることを知った私は、すでに半袖の時期になったとき夏服を2、3着買って見舞いに行きました。1番下の弟の家にいると聞いたので、失礼のないよう、そして偏見を持たずに真心を込めて「お義父さん」と呼びました。この言葉に感動した義父はしばらくの間何も言えませんでした。師父に加持を求めながら、必ず善の心を持って怨恨を抑え、個人の恨みを捨てなければならないと自分を戒めました。人を救っているので知恵が次から次へと溢れだし、一言一言が継父の善の意識を引き出しました。慈悲の心が現れた私には恨みもなく、却って義父が哀れに見えてきました。同時に、義父の過ちを指摘し、尊厳をもった人間にならなければならない、自分を愛してくれる人を傷つけてはならない、同僚や近隣の罵りの中で、こそこそ隠れて生きてはいけないと話し、善悪にはそれ相応の報いがあることも伝えました。法の威厳の前で、義父の思想が変わり、自分の過ちに気づきました。

 師父はかつてこのように説かれました。「以前も皆さんに善とは何かについて話したことがあります。相手に笑顔を見せ、やさしそうに見えれば、それが善だと言っている人がいます。それは人間が表している友好さに過ぎません。本当の善とは、修煉者が修煉の過程で、善をもって修めている過程ですでに出来上がった本当の善のことです。衆生を前に、あなたにまだ修煉してできていない人間の部分があるため、修煉してできた神の部分を完全に表出させることができません。必要なとき、あなたは理性をもって、冷静になり修煉者らしく振舞わなければならず、自分の責任、自分の正念が主導的になるようにしてはじめて、あなたの本当の善が現れます。これは修煉者と神との違いです」[2]

 大法弟子としてどうすれはよいか分かりました。この機会を利用して、義父が連れてきた浮気相手にも真相を伝えなければならないと考え、「お義父さんと内モンゴルから来た叔母さんと一緒にご飯を食べに行きましょう」と告げると、私に合わせる顔がないと義父は言いました。「私は大法弟子の人格を持って、彼女を傷つけるようなことはしません。私たち修煉者は縁を大事にします。もし良い縁ならば願いは叶い、悪い縁ならば法の中で解決しなければなりません。お義父さんにも彼女にもよい未来が待っていることを心から望んでいます」と伝えると、継父は頷きました。

 あるレストランで待ち合わせましたが、その女性が目の前に現れた瞬間、大法を修煉していなければ、私はきっと彼女を殴り飛ばしたに違いありません。しかしながら、大法弟子は衆生を救うのみで生命を破壊してはならないと自分自身に言い聞かせました。そして、彼女が近づいたとき、目が熱くなりました。すべては偉大な師父と法が、すべての名利と情を取り除いた大法弟子を作り上げたことを悟りました。「こんにちは、叔母さん、長旅で疲れたでしょう」と言ったところ、彼女は唖然として、しばらくの間固まっていました。彼女と義父が好きな料理を注文し終えた後、私は有名な観光地やショッピングセンターなどを教え、いろいろ話しました。

 会話の途中で彼女の目が二度も赤くなりました。食事の後、彼女に40分ほど大法が迫害されている真相を伝えました。すべてを聞いた後、彼女の警戒心が薄れ、お互い真剣に話し合っていると感じました。彼女が義父との関係について話したとき、やはり心が痛みましたが、すぐに師父の詩を心の中で暗唱しました。「人とは何か、情慾身に満つ。神とは何か、人心存する無し。佛とは何か、善徳巨く在り。道とは何か、清靜として真人」[3]

 自分の佛性だけを働かせ、何の恨みもなく穏やかな気持ちで、ここ1年の間母がどのようにして泣きながら毎日を過ごしてきたか、また、自分がどのようにして大法の要求通りに修煉してきたかを彼女に伝えました。私の真心と善に感動した彼女は初対面の日に「三退」し、真相DVDを受け取り、その上義父と住んでいる所にまで案内してくれたのです。

 大法と縁を結ぶ

 それから、義父と彼女は師父の広州での説法を見始め、毎日3講は見ていました。彼女が実家に帰ることを知り、高価なお土産を贈りました。感動した彼女は自ら私に携帯電話の番号を教え、今度会う約束もしました。

 彼女が帰る前夜、「彼女が『轉法輪』をほしがっている」と義父から電話がかかってきたので、翌日車を運転して義父と彼女を駅まで送り、本を渡しました。道中、私は本当の家族のように2人に接し、恨みも憎しみもなく、今までにない穏やかさとうれしさ、そして名利と情を放下したときの軽快さと楽しさを感じることができたのです。

 叔母さんは家に帰った後、私に電話をくれました。機関車の中で突然足が攣ったけれど、すぐに『轉法輪』を思い出して読もうとしたところ、まだ読んでいないのに足が治り、大法は本当に素晴らしいと私に伝えました。そして、「もう二度とあなたのお義父さんとは会いません。安心してください」と言ったのです。感動した私は心の中から師父に感謝しました。

 私が引っ越す時、1番下の弟とその友人たちが手伝いに来ました。手伝ってくれたお礼にとご飯をごちそうするとき、彼らに真相伝えようとしたところ、中の1人が私に歌を歌わせようとしました。よい機会だと認識した私は「大法の歌を歌うけど、いい?」と聞きました。実は弟の反応が少々気になったのです。ところが、彼は「法輪大法の歌にしよう」と言ってくれたのです。そして、「機縁は一瞬にあり」と「損得一念」という歌を歌い終えた後、思っている以上に順調に「三退」を勧めることができました。中の1人の男の子が、「標さん(弟の名前)はよくあなたの事をとてもいい姉だと話しています」と言った時、今迄自分がしてきた小さなことを弟がすべて見てくれて、覚えていてくれていると悟りました。

 師父の新しい『論語』がでた後、義父にも見せようと思いましたが、彼は再びお酒やたばこに手を付けたので、放っておこうと思いました。しかし、夜眠ったとき、義父の夢を見て、「どうして新しい『論語』を見せてくれないのか、修煉のために君の所に来たんだよ」と言われたのです。これほどはっきりしている夢はきっと師父が見せてくださったとすぐに悟り、義父にこの夢の事を話して新しい『論語』をあげたところ、彼は連続して3回も読み直しました。数日後、法輪功を修煉し始め、お酒やたばこを徹底的にやめると電話がありました。彼の変化と選択を見て、ふと師父の詩を思い出しました。「慈悲は能く天地の春を溶かし、正念は世中の人を救う可し」[ 4]

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ法会での説法」
 [2]李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [3]李洪志師父の著作:『洪吟』「人と覚者の分別」
 [4]李洪志師父の著作:『洪吟二』「法正乾坤」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/5/1/327362.html)
 
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